今春に北杜市の山高神代桜や真原桜並木は見に来ていたが、あいにく時間の都合で清春芸術村までは辿り着けず、何としてもゆっくり見に来たかった場所。
清春芸術村とそこに附属する清春白樺美術館は、武者小路実篤や志賀直哉を始めとする白樺派同人による美術館構想を、親交のあった吉井画廊社長(当時)の吉井長三氏(1930~2016)が、廃校になった清春小学校の跡地に私財を投じて実現した複合施設。
吉井氏の依頼により、清春芸術村の基本設計は建築家の谷口吉郎氏が、死後は息子の谷口吉生氏が引き継ぎ、清春白樺美術館やルオー記念館の設計を担当。
ラ・リューシュ
ラ・リューシュとは、「蜂の巣」と言う意味。アール・ヌーヴォー様式のロタンダ(円形建築物)は、エッフェル塔を建築したギュスターブ・エッフェル(1832〜1923)設計によるもので、もともとは1900年のパリ万国博覧会のパビリオンとして造られ、現在もオリジナルはパリ15区に存在。芸術村のこの建物は、吉井長三氏が設計図を買い取り、パリとまったく同じものを1981年に再現。清春芸術村においても有料の貸しアトリエとして利用することができる施設。
一部の部屋が外から見られるようになっていた。
真下に柱がないのが良くわかる。こわっ💦
杉本博司氏デザインのレストラン「素透撫 STOVE」
電通ビルでの姿はこちら:
清春芸術村とそこに附属する清春白樺美術館は、武者小路実篤や志賀直哉を始めとする白樺派同人による美術館構想を、親交のあった吉井画廊社長(当時)の吉井長三氏(1930~2016)が、廃校になった清春小学校の跡地に私財を投じて実現した複合施設。
吉井氏の依頼により、清春芸術村の基本設計は建築家の谷口吉郎氏が、死後は息子の谷口吉生氏が引き継ぎ、清春白樺美術館やルオー記念館の設計を担当。
ラ・リューシュ
ラ・リューシュとは、「蜂の巣」と言う意味。アール・ヌーヴォー様式のロタンダ(円形建築物)は、エッフェル塔を建築したギュスターブ・エッフェル(1832〜1923)設計によるもので、もともとは1900年のパリ万国博覧会のパビリオンとして造られ、現在もオリジナルはパリ15区に存在。芸術村のこの建物は、吉井長三氏が設計図を買い取り、パリとまったく同じものを1981年に再現。清春芸術村においても有料の貸しアトリエとして利用することができる施設。

ザッキン「メッセンジャー」
一部の部屋が外から見られるようになっていた。
エッフェル塔の階段
1989年のエッフェル塔完成100周年の際に、フランスから移設されたエッフェル塔の一部。エッフェル塔は高さ300メートルで、4階上部の180メートルが鉄製のらせん階段となっていたが、100年近い歳月が経った為、取り替えられることになり、24に分割されたものの1部。
清春白樺美術館
谷口吉生氏の設計によって1983年に開館。右側には、同じく谷口吉生氏設計のレストラン「ラ・パレット」がある。
美術館前には、大きな蚊帳のような中に、ベッドやソファなどが置かれていた。HOKUTO ART PROGRAM ed. 1 での、永山祐子氏の「森の体験を切り取るテント DROP」
ルオー礼拝堂 宗教画家ジョルジュ・ルオーを記念した礼拝堂。
梅原龍三郎アトリエ
東京都新宿区市谷より移築した、吉田五十八氏(1894〜1974)設計による梅原龍三郎のアトリエ。建築面積28坪、アトリエ部分24畳。
光の美術館
安藤忠雄氏が設計し、2011年に開館。展示室に一切の人工照明がなく、ガラスで切り取られた天井の一角や、壁のスリットから入る自然光のみ。
茶室 徹(てつ)
藤森照信氏が設計し、漆喰塗り作業を縄文建築団メンバー(旧:路上観察学会)の赤瀬川原平氏、南伸坊氏、林丈二氏らが協力して建設した茶室。命名は作家の阿川弘之氏。2006年完成。地上約4メートルの場所にあり、樹齢80年の檜を使って支えられている。室内は1.7坪、内部は通常は非公開だが、茶室で人が動くたびに茶室も揺れるのだそう。
真下に柱がないのが良くわかる。こわっ💦
移動アトリエ
1980年、フランスのシトロエン車を改装して、三方をガラス面にしている。好きな場所に停めて車中から絵が描ける日本で初めての移動アトリエ車。梅原龍三郎氏や奥村土牛氏など、芸術家達が使用した。
杉本博司氏デザインのレストラン「素透撫 STOVE」
左に置かれている石のオブジェは、志水晴児氏作。築地の丹下健三氏建築の電通ビル前に置かれていたのだが、電通ビル取り壊しにより、ようやくここを終の棲家とすることになった。電通ビル前では底の部分だけが触れている状態だったが、ここでは、横の飛び石と同様、足が付いていた。
電通ビルでの姿はこちら:
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