中村キース・ヘリング美術館へ。宿泊したキーフォレスト北杜のオーナーの中村和男氏はキース・ヘリングの蒐集家で、美術館を建てられることになり、そのコレクションは300点以上。ちょうど、開館15周年記念として「混沌と希望 CHAOS AND HOPE」を開催しており、キース・ヘリングの作品約150点が見られた。建物は北川原温氏設計による。
DSC_1991

受付の横では、「カーリングドッグ」1987
IMG_6384

「闇へのスロープ」を行くと、「ラディアント・ベイビー」が光っている。キース・ヘリング氏が希望の証とした。
IMG_6386

IMG_6388

展覧会では、晩年の作品などの「最終章」の部屋を一番に訪れるようになっている。
「アポカリプス(黙示録)」1988 作家のウィリアム・S・バロウズとの共作で、バロウズの10遍の詩に沿ってドローイングとコラージュで混沌とした世界の終末を描いている。
IMG_6404

IMG_6403

「無題」1988 最後の個展の為に制作した作品。
IMG_6398

「オルターピース:キリストの生涯」1990 エイズによる合併症の為に亡くなる2週間前に完成。粘土を削り原型を制作。彼の追悼式で聖堂の祭壇画(オルターピース)として奉納された。
IMG_6399

「セルフ・ポートレート」1988
IMG_6401

「無題」1988
IMG_6400

1958年ペンシルベニア生まれのキース・ヘリングは、1980年代当時21歳のNYの美大に通う学生で、多様な表現方法を学び、記号論は芸術表現として確立させるも、アカデミックな美術のあり方に馴染めず。不況下のNYでは、街の落書きは存在証明のようなもので、それに表現の可能性を見出した。広告主のない黒い紙が貼られた地下鉄のホームの広告板に、サブウェイドローイングを開始。違法行為の為、30秒で地下鉄のホームの壁に描いては別の駅へ移動するなどしていた。警察に捕まったが、短時間に描く為に絵画を記号化することで、人型が生まれた。しかし、現在のバンクシーと同様、壁から引き剥がして転売する人も出て来た為に地下鉄での活動は終え、アートをグッズ化して販売するポップショップを始めたのだそう。
IMG_6407

IMG_6409

「サブウェイドローイング」は白いチョークのみ。人型の周りに動きを現すアクションラインは、メッセージを強調するため。
IMG_6413

IMG_6411

競争社会「無題」1982 
人間模様をも描いている。顔の表現がないのは、自分の映し鏡になり、カタチが人々の心を捉えた。
IMG_6410

「ニューヨーク市地下鉄のキース・ヘリング」1982年頃
香港生まれのツェン・クウォン・チ(Tseng Kwong Chi 曾廣智)氏は、ヘリングの活動を初期から記録し続けた写真家で、この写真もチ氏による。1990年、ヘリングの死から約3週間後にエイズによる合併症で亡くなったとのこと。
IMG_6408

「スイート・サタデー・ナイト」1985 1985年2月の黒人歴史月刊に併せて開催された国際ダンスフェスティバルで上演された演目の為の舞台背景。
IMG_6427

「踊る二人のフィギュア」1989
巨大彫刻は亡くなる前の年。アルミで出来ている。高さ3メートル。楽しそうに見えるが、エイズを宣告された翌年の作品。
IMG_6425-001

「無題(アクロバット)」1986
IMG_6426

「無題(腹に頭)」1987~88
IMG_6424

「無題(ピープル)」1985 
IMG_6423

IMG_6422

IMG_6420

IMG_6419

IMG_6430

IMG_6434

IMG_6435

IMG_6431

IMG_6432

あまりに作品数が多いので<2>へ。


にほんブログ村 美術ブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 美術ブログ 美術鑑賞・評論へ
にほんブログ村