中村キース・ヘリング美術館の<1>からの続き
美術館の開館15周年に際し、これまでの15年間が展示されている。
「スリー・リトグラフス(ピープル・ラダー)」
1987年に中村キース・ヘリング美術館創設者の中村和男氏が、NYのギャラリーで初めてこのキース・ヘリングの作品に出会い、コレクションが始まるきっかけとなった。
版画作品「ブループリント・ドローイングス」どれもメッセージ性が強い。
17点のドローイングは、1980年12月~81年1月にかけて制作。オリジナルのドローイングをブループリント(青写真法)する企画により皮紙に墨で描き、NYでの最初の個展で発表された。会期中ブループリント数点と、後にオリジナルドローイングが売られたが、オリジナルの所在は不明。手放す前にドローイングを撮影していた為に版画制作が出来たのだそう。
真っ黒な防水布に大胆に描いた作品「無題」1986 本邦初公開の新収蔵作品。
反戦反核、反アパルトヘイト、覚醒剤乱用防止などをうったえるポスターなどを制作。テレビや雑誌にも出演したり、アニメにもなるなど、現代アートの騎手となり、1986年には、分断されていたドイツベルリンの壁に「希望の絵」を描いたり。
中村和男氏のインタビュー映像も。キース・ヘリング愛を熱く語っておられた。
大山エンリコイサム 氏の作品が!「FFIGURATI #263」2019
ヘリングの記録写真上に描いている作品。
今まで見たエンリコイサム氏の作品は:
屋外にも作品がある。
中庭のミュージアムシアターには、「無題(輪になった人物)」1987
♡が見る角度によって、色々な影や周りの緑を映し出す。
カフェなどにも作品がいっぱい。
お手洗いだって面白い。
美術館の開館15周年に際し、これまでの15年間が展示されている。
「スリー・リトグラフス(ピープル・ラダー)」
1987年に中村キース・ヘリング美術館創設者の中村和男氏が、NYのギャラリーで初めてこのキース・ヘリングの作品に出会い、コレクションが始まるきっかけとなった。
版画作品「ブループリント・ドローイングス」どれもメッセージ性が強い。
17点のドローイングは、1980年12月~81年1月にかけて制作。オリジナルのドローイングをブループリント(青写真法)する企画により皮紙に墨で描き、NYでの最初の個展で発表された。会期中ブループリント数点と、後にオリジナルドローイングが売られたが、オリジナルの所在は不明。手放す前にドローイングを撮影していた為に版画制作が出来たのだそう。
真っ黒な防水布に大胆に描いた作品「無題」1986 本邦初公開の新収蔵作品。
反戦反核、反アパルトヘイト、覚醒剤乱用防止などをうったえるポスターなどを制作。テレビや雑誌にも出演したり、アニメにもなるなど、現代アートの騎手となり、1986年には、分断されていたドイツベルリンの壁に「希望の絵」を描いたり。
中村和男氏のインタビュー映像も。キース・ヘリング愛を熱く語っておられた。
大山エンリコイサム 氏の作品が!「FFIGURATI #263」2019
ヘリングの記録写真上に描いている作品。
今まで見たエンリコイサム氏の作品は:
屋外にも作品がある。
中庭のミュージアムシアターには、「無題(輪になった人物)」1987
♡が見る角度によって、色々な影や周りの緑を映し出す。
カフェなどにも作品がいっぱい。
お手洗いだって面白い。
キース・ヘリング氏は、1988年エイズになり、90年31歳の若さで亡くなる。
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