6月10・11日と、駒場Ⅱリサーチキャンパスにある東京大学生産技術研究所と先端技術研究所のオープンキャンパスが行われた。
駒場Ⅱリサーチキャンパスにはかつて、駒場農学校(農学部の前身)の大きな農場があったが、東京帝国大学航空研究所(航空研)が関東大震災の後、移転して来た。航空研がルーツとなり、先端科学技術研究所(通称:先端研)が1987年に設立され、2001年に六本木から生産技術研究所(通称:生研)が移転して来た。
戦災を逃れたクラッシックな建物(1号館、13号館、14号館、17号館)は、当時の航空研究所のもの。
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航研本館として使われたが、現在は先端研の事務室。建築家で東大教授の内田祥三氏が設計とされているが、実際に設計したのは岸田日出刀氏。東大が誕生したのは1877年のことで、英国人建築家ジョサイア・コンドル氏らの設計により本郷地区にレンガ造りのキャンパスが作られたが、1921年の関東大震災で東大の建物の大半は倒壊してしまい、復興計画のリーダーとして建物の設計をまかされたのが内田氏。内田氏は構造が専門で基本設計を担当し、建物の内部など細部の設計は弟子の岸田氏が担当。内田氏は、中世の修道院のようなネオ・ゴシック建築様式が大学にふさわしいと考えたが、岸田氏は19~20世紀のドイツやウィーンの近代建築に傾倒していたとのこと。
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地上3階地下1階建てで、屋上に時計台がある。13号館はモダニズムが随所に見られる。外壁に貼られているスクラッチタイルは当時の流行りで、フランクロイド・ライト氏が設計した帝国ホテルの外壁に使われたスクラッチ煉瓦の影響とのこと。時計塔もアンバランスな〇や◇になっている。
あえて、本館とも1号館ともいわず、13号館と名付けたが、駒場の敷地を番地のように区切って、その番地の数字を建物の番号にした。
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吉田三郎作「航空」昭和10年
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4つ残された建物(13号館、1号館、14号館、17号館)のうちの17号館は、今は生研試作工場。
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左側が1号館で、右側の大きな建物が生産技術研究所。
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生産技術研究所の手前からF~B棟。京都駅や梅田スカイビルや札幌ドームなどを設計した原広司氏が設計。梅田スカイビルの様子は追って。
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巨大なB~F棟は、西と東に別れている。西と東の間にある吹き抜けに対して、まるでプールの飛び込み台のように出ている部分もある。利用目的ではなくデザイン。
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西と東はそれぞれ渡り廊下で繋がっているのだが、実は東側の同じ階のB~Fをまっすぐ端から端まで行くことは出来ず、反対側の西側に渡って移動してから東側に渡り直したり、同じアルファベット棟東側の違う階に行くにも、エレベーターや階段がない為に一旦反対側の西側に渡ってそこで階を移動してまた渡り廊下を渡り直すなど、非常に不便。。。
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生研のテラスから13号館(時計塔)などが見えるが、その左側の先端研3号館。設計したのは、原氏の弟子である小嶋一浩氏率いるシーラカンスアンドアソシエイツという設計事務所。
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An棟
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先端技術研究所の一階のピロティ部分の柱は、生産技術研究所の柱よりも華奢に見える。
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こちらにも飛び込み台が。
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もともと生産技術研究所60号館があった所には、2012年に完成したS棟のアニヴァーサリーホールが。他の原氏による生産技術研究所の無機質な建物のイメージとは異なっている。人気の大阪中之島美術館を設計された遠藤克彦氏による。
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以前にこのリサーチキャンパスでお世話になったことがあるのだが、その時はそれほど建築に興味がなく、非常に使いづらい建物だと思っただけだったのだが💦💦💦

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