新施設の移行準備で休館している宮内庁の三の丸尚蔵館が収蔵する皇室ゆかりの 74点に、東京藝術大学のコレクション 8点を加えた展覧会。
宮内庁三の丸尚蔵館は、1989年に当時の天皇(現在の上皇陛下)と皇太后(香淳皇后)が、昭和天皇の遺品を国に寄贈したことに始まる。93年に皇居東御苑内に開館し、約9800点の美術品類を収蔵。
前期・後期で82点が公開されるが、そのうち国宝が6点と重要文化財が1点。行った前期に公開されている国宝は4点で、そのうちの国宝1点と重要文化財1点が東京藝術大学大学美術館所蔵。藝大美術館は国宝2点、重要文化財20点以上を所蔵しているので、もっと出品して欲しかったかな。
国宝 「蒙古襲来絵詞」鎌倉時代(13世紀) 鎌倉時代に2度の元寇で奮闘した肥後国の御家人である竹崎季長の姿を描いた絵巻物。前巻に文永の役と鎌倉下向、後巻に弘安の役の様子が描かれている。(画像にはないが)爆発させる鉄球の鉄炮(てつはう)が実際に海中から見つかっているので、後から加筆されたわけではないとのこと。
国宝 高階隆兼筆「春日権現験記絵」鎌倉時代・延慶2年(1309年) 当時トップクラスの貴族が、絵所預(宮廷絵師集団の責任者)だった高階隆兼に命じて描かせた作品。藤原氏の氏神として知られる春日権現の霊験譚を描いており、色彩豊かに細部まで緻密に描かれ、鎌倉時代後期のやまと絵の最高水準とのと。(画像にはないが)春日明神が髪を後ろに束ねた子供の姿として描かれている。絹に描かれており、詳細が良く残っている。平安から鎌倉時代の大甲(おおよろい)の色合いやデザインがそれぞれ違っていたり、馬の尻掛が違うなど、非常に精緻。
伝狩野永徳筆「源氏物語図屏風」桃山時代(16~17世紀) 大きな作品。源氏物語の「若紫」「常夏」「蜻蛉」の場面が描かれており、人物の面長で端正な顔立ちは、狩野永徳様式を受け継ぐ絵師によるものと考えられいてるとのこと。
海野勝珉「太平楽置物」明治32年(1899)太平楽とは、天下泰平を祝う舞楽のひとつで、甲冑姿の舞人の左肩からは弓の代わりに弓形の魚袋(宮中に入る許可証が装飾品になったもの)を下げ、弓を持っておらず、矢を納める胡鑛を背負っているが矢は逆さに入れられていて、平和の舞を象徴している。当時の日本における彫金の最高傑作。因みに、帝室技芸員なる人達が、昭和19年まで79名も居たとのこと。海野氏は、上述の「菊蒔絵螺鈿棚」の金属部分も担当しておられる。
旭玉山「官女置物」明治34年(1901) 結構大きな作品なのだが、象牙製。十二単の文様から、扇の繋ぎ部分や、飾り紐や、(展示が高く実際には見えなかったが)鏡には顔が映り込んでいる部分まで刻まれているとのことで、非常に細かい。旭玉山氏の一番大きな象牙の作品で、象牙作品の最高峰。
国宝「唐獅子図屏風」右隻:狩野永徳 安土桃山時代 16世紀 左隻:狩野常信 江戸時代17世紀
これが見たくて行ったようなもの。他のサイズに比べて非常に大きく迫力満点。現在は、六曲一双の屏風だが、もともと屏風として作られたものではなく、引き手がついていないので襖でもなかった。おそらく何かの建物の壁に、これよりも大きな絵画が貼ってあり、安土桃山の戦乱から守る為に、切り取りやすい紙に描かれていたこともあり、避難させたのではないかと。江戸狩野を確立した狩野探幽が、狩野永徳の作と言明。描かれていたのは右側だけだったが、甥にあたる狩野常信が左側を描いて一双にした。右隻は戦乱の時代に描かれた獅子であるのに対し、左隻は泰平の江戸時代に描かれているので可愛い獅子を巨大に描いたように見え、両者の雰囲気がアンバランス。
横山大観「龍蛟躍四溟」昭和11年(1936)
酒井抱一「花鳥十二ヶ月図」江戸時代文政6年(1823)四幅ずつ、表装のサイズが異なっている。大きな家に四幅ずつ一年に3度架け替えたのか、1ヶ月に一幅ずつだったのかは不明。尾形光琳を意識しているが、酒井抱一はポイントを置くのが特徴。高価な顔料を使い、琳派的なたらし込み技法を使いつつ、光琳もやっていなかった、花と鳥 or 花と虫を組み合わせている。渡辺省亭なども影響を受けている。
葛飾北斎「西瓜図」江戸時代天保10年(1839)スイカに薄い和紙が載っている部分や包丁の質感の違いなどを緻密に描いている。一説には、七夕の儀式に基づいているとも。
重要文化財 高橋由一「鮭」明治10年(1877年)藝大所蔵 高橋由一氏は、日本における油絵の基礎を作った画家で、50歳頃の作品。吊された鮭だけを描く為に、縦長な手製の画面に仕立てられており、紙に油彩で描かれている。
加納夏雄「百鶴図花瓶」明治23年(1890) 2つあり、50羽ずつ鶴が片切彫りで刻まれている。片切彫りとは、彫刻刀のようなものではなく、直線的な刃を金槌でたたいて彫るもの。それを筆で描いているような綺麗な直線になっている。会場は結構暗いので、わかりづらかったが、とても綺麗だった。
高村光雲「矮鶏(ちゃぼ)置物」明治22年(1889) 鑑賞用に作られた矮鶏は、小形で脚が短め。明治時代の彫刻界を牽引した高村光雲氏の代表作。
「羽箒と子犬」 明治~大正時代 象牙製。秩父宮家伝来ではあるが、作家不明。羽根の裏側にまで模様が細かく刻まれている。
杉田禾堂「兎」昭和12年(1937) アールデコの影響を受けている。
海北友松「網干図屏風」桃山時代慶長7年(1602) とても斬新かと。わかりづらいが、左隻の上には、遠くの舟の舳先が描かれている。
海北友松「浜松図屏風」桃山時代・慶長10年(1605)銀泥で波、金泥で霞を描き、千鳥の群が飛んでいる様子が、やまと絵技法によって仕上げられている。絵の具の緑青の質感だけで松の葉がもくもくしており、幹には苔も。波だけ見ると無骨だがデザイン性がある。千鳥は同じ形のものが繰り返されることが多いが、後ろの千鳥が小さく遠近法も。
初代飯塚桃葉「宇治川蛍蒔絵料紙箱」江戸時代・安永4年(1775) 料紙箱と硯箱とが展示されていて、合わせて380匹もの蛍が蒔絵となっているとのこと。・・・蛍というより避けたいような虫だらけに見えてしまった💦
並河靖之「七宝四季花鳥図花瓶」明治32年(1899) ぐるりと四季が描かれていて繊細。明治天皇の命を受けて、1900年のパリ万国博覧会に出品する為に制作されたもの。
川合玉堂「雨後」大正13年(1924) 西洋的なものと日本的なものとが融合されている。黒い部分は墨を使っている。
左:高橋由一「栗子山隧道」明治14年(1881)上記の「鮭」と同じ作家。トンネルを強調する為、人物が実際よりも小さく描かれている。
右:五姓田義松「ナイアガラ景図」明治22年(1889)
会場:東京藝術大学大学美術館
会期:8月6日~9月25日’22
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宮内庁三の丸尚蔵館は、1989年に当時の天皇(現在の上皇陛下)と皇太后(香淳皇后)が、昭和天皇の遺品を国に寄贈したことに始まる。93年に皇居東御苑内に開館し、約9800点の美術品類を収蔵。
前期・後期で82点が公開されるが、そのうち国宝が6点と重要文化財が1点。行った前期に公開されている国宝は4点で、そのうちの国宝1点と重要文化財1点が東京藝術大学大学美術館所蔵。藝大美術館は国宝2点、重要文化財20点以上を所蔵しているので、もっと出品して欲しかったかな。
(展覧会の作品の写真撮影は不可の為、作品画像はHPなどから)
六角紫水(図案)/川之邊一朝ほか(蒔絵)/海野勝珉(金具)「菊蒔絵螺鈿棚」明治36年(1903) まず入口にあるのが、この棚。宮内省(現在の宮内庁)から東京美術学校(東京藝術大学の前身)に作らせた作品。六角紫水氏は東京美術学校の一期生で、制作当時は未だ学生でありながら、コンペで選ばれた。佐渡の御陵金山、螺鈿は沖縄から取り寄せられた。蒔絵螺鈿の制作に8年、完成まで12年かけたもの。菊の紋が棚板の裏側など全て360度、螺鈿の上に蒔絵が施されている。螺鈿の小鳥や蒔絵の小鳥、螺鈿の輪郭だけの菊や花弁全部が螺鈿だったりと工夫されている。金粉を15種類使っており、粉の大きさが違うことにより、色が異なって見える。棚の内部にも全て施されている。使った形跡はないので傷がないが、脚が非常に弱い。取手の金属部分には桐や菊の御紋が。因みに、東京藝術大学大学美術館の本館を設計されたのが、この作者である六角紫水氏の孫にあたる六角鬼丈氏だったりする。
国宝「絵因果経」奈良時代(8世紀)藝大所蔵
国宝 「蒙古襲来絵詞」鎌倉時代(13世紀) 鎌倉時代に2度の元寇で奮闘した肥後国の御家人である竹崎季長の姿を描いた絵巻物。前巻に文永の役と鎌倉下向、後巻に弘安の役の様子が描かれている。(画像にはないが)爆発させる鉄球の鉄炮(てつはう)が実際に海中から見つかっているので、後から加筆されたわけではないとのこと。
国宝 高階隆兼筆「春日権現験記絵」鎌倉時代・延慶2年(1309年) 当時トップクラスの貴族が、絵所預(宮廷絵師集団の責任者)だった高階隆兼に命じて描かせた作品。藤原氏の氏神として知られる春日権現の霊験譚を描いており、色彩豊かに細部まで緻密に描かれ、鎌倉時代後期のやまと絵の最高水準とのと。(画像にはないが)春日明神が髪を後ろに束ねた子供の姿として描かれている。絹に描かれており、詳細が良く残っている。平安から鎌倉時代の大甲(おおよろい)の色合いやデザインがそれぞれ違っていたり、馬の尻掛が違うなど、非常に精緻。
伝狩野永徳筆「源氏物語図屏風」桃山時代(16~17世紀) 大きな作品。源氏物語の「若紫」「常夏」「蜻蛉」の場面が描かれており、人物の面長で端正な顔立ちは、狩野永徳様式を受け継ぐ絵師によるものと考えられいてるとのこと。
海野勝珉「太平楽置物」明治32年(1899)太平楽とは、天下泰平を祝う舞楽のひとつで、甲冑姿の舞人の左肩からは弓の代わりに弓形の魚袋(宮中に入る許可証が装飾品になったもの)を下げ、弓を持っておらず、矢を納める胡鑛を背負っているが矢は逆さに入れられていて、平和の舞を象徴している。当時の日本における彫金の最高傑作。因みに、帝室技芸員なる人達が、昭和19年まで79名も居たとのこと。海野氏は、上述の「菊蒔絵螺鈿棚」の金属部分も担当しておられる。
旭玉山「官女置物」明治34年(1901) 結構大きな作品なのだが、象牙製。十二単の文様から、扇の繋ぎ部分や、飾り紐や、(展示が高く実際には見えなかったが)鏡には顔が映り込んでいる部分まで刻まれているとのことで、非常に細かい。旭玉山氏の一番大きな象牙の作品で、象牙作品の最高峰。
国宝「唐獅子図屏風」右隻:狩野永徳 安土桃山時代 16世紀 左隻:狩野常信 江戸時代17世紀
これが見たくて行ったようなもの。他のサイズに比べて非常に大きく迫力満点。現在は、六曲一双の屏風だが、もともと屏風として作られたものではなく、引き手がついていないので襖でもなかった。おそらく何かの建物の壁に、これよりも大きな絵画が貼ってあり、安土桃山の戦乱から守る為に、切り取りやすい紙に描かれていたこともあり、避難させたのではないかと。江戸狩野を確立した狩野探幽が、狩野永徳の作と言明。描かれていたのは右側だけだったが、甥にあたる狩野常信が左側を描いて一双にした。右隻は戦乱の時代に描かれた獅子であるのに対し、左隻は泰平の江戸時代に描かれているので可愛い獅子を巨大に描いたように見え、両者の雰囲気がアンバランス。
横山大観「龍蛟躍四溟」昭和11年(1936)
酒井抱一「花鳥十二ヶ月図」江戸時代文政6年(1823)四幅ずつ、表装のサイズが異なっている。大きな家に四幅ずつ一年に3度架け替えたのか、1ヶ月に一幅ずつだったのかは不明。尾形光琳を意識しているが、酒井抱一はポイントを置くのが特徴。高価な顔料を使い、琳派的なたらし込み技法を使いつつ、光琳もやっていなかった、花と鳥 or 花と虫を組み合わせている。渡辺省亭なども影響を受けている。
葛飾北斎「西瓜図」江戸時代天保10年(1839)スイカに薄い和紙が載っている部分や包丁の質感の違いなどを緻密に描いている。一説には、七夕の儀式に基づいているとも。
重要文化財 高橋由一「鮭」明治10年(1877年)藝大所蔵 高橋由一氏は、日本における油絵の基礎を作った画家で、50歳頃の作品。吊された鮭だけを描く為に、縦長な手製の画面に仕立てられており、紙に油彩で描かれている。
加納夏雄「百鶴図花瓶」明治23年(1890) 2つあり、50羽ずつ鶴が片切彫りで刻まれている。片切彫りとは、彫刻刀のようなものではなく、直線的な刃を金槌でたたいて彫るもの。それを筆で描いているような綺麗な直線になっている。会場は結構暗いので、わかりづらかったが、とても綺麗だった。
高村光雲「矮鶏(ちゃぼ)置物」明治22年(1889) 鑑賞用に作られた矮鶏は、小形で脚が短め。明治時代の彫刻界を牽引した高村光雲氏の代表作。
「羽箒と子犬」 明治~大正時代 象牙製。秩父宮家伝来ではあるが、作家不明。羽根の裏側にまで模様が細かく刻まれている。
杉田禾堂「兎」昭和12年(1937) アールデコの影響を受けている。
海北友松「網干図屏風」桃山時代慶長7年(1602) とても斬新かと。わかりづらいが、左隻の上には、遠くの舟の舳先が描かれている。
右隻
左隻
海北友松「浜松図屏風」桃山時代・慶長10年(1605)銀泥で波、金泥で霞を描き、千鳥の群が飛んでいる様子が、やまと絵技法によって仕上げられている。絵の具の緑青の質感だけで松の葉がもくもくしており、幹には苔も。波だけ見ると無骨だがデザイン性がある。千鳥は同じ形のものが繰り返されることが多いが、後ろの千鳥が小さく遠近法も。
初代飯塚桃葉「宇治川蛍蒔絵料紙箱」江戸時代・安永4年(1775) 料紙箱と硯箱とが展示されていて、合わせて380匹もの蛍が蒔絵となっているとのこと。・・・蛍というより避けたいような虫だらけに見えてしまった💦
並河靖之「七宝四季花鳥図花瓶」明治32年(1899) ぐるりと四季が描かれていて繊細。明治天皇の命を受けて、1900年のパリ万国博覧会に出品する為に制作されたもの。
川合玉堂「雨後」大正13年(1924) 西洋的なものと日本的なものとが融合されている。黒い部分は墨を使っている。
左:高橋由一「栗子山隧道」明治14年(1881)上記の「鮭」と同じ作家。トンネルを強調する為、人物が実際よりも小さく描かれている。
右:五姓田義松「ナイアガラ景図」明治22年(1889)
会場:東京藝術大学大学美術館
会期:8月6日~9月25日’22
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