石巻で開催されているリボーンアートフェスティバル REBORN ART FESTIVAL を見るなど、宮城・岩手・青森を旅行することに。

常磐道で仙台へ。途中には、福島第一原子力発電所の西側を通るところもある。まず、こんな看板が。
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徐々に北上していくと、その付近の放射能のシーベルト数の掲示板が立っていて・・・
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高速道路から見下ろすだけでも、道路が封鎖されている様子や、放置された家々が見える。
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フェンス越しではあるが、捨てられた土を入れた黒いビニール袋も見えた。
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界隈は
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南相馬鹿島サービスエリアには、このような掲示が。
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松島に到着。
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石巻市の5つのエリアで開催されているリボーンアートフェスティバル。その様子は:

その作品のひとつが展示されている日和山公園。ここまで上がって来た人達は津波から助かっている。
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鹿島御児神社の鳥居
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見下ろすと、今は大堤防が築かれ、みやぎ東日本大震災津波伝承館のある石巻南浜津波復興祈念公園の緑となっているが、公園の山側には、おびただしい数のお墓があるのがわかる。
石巻市は、東日本大震災の全浸水面積の13%にあたる73平方キロで、最大の被災地。石巻市だけで、死者3187名、行方不明者415名。
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日鹿島御児神社の鳥居が山の上に見えるが、下にある蔵は流されずに残った蔵。明治30年(1897年)に建てられたもので、区画整理事業でかさ上げした現在の場所に移築されたとのこと。
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蔵の右側の白い壁の上の方に、津波の高さが記載されており、内部には震災の資料や、蔵にあった家人の物などが展示されている。
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石巻市震災遺構 門脇小学校を見学。全校児童300人のうち240人が校内に残っていたが、地震直後より教師の誘導のもと裏山の日和山に避難し、下校した後で戻ってきた人数を含めて275名の児童が避難。普段から裏山への避難訓練が行われており、学年関係なく交流するしくみにより、避難時に上級生が下級生の面倒を見るなどし、既に下校してしまった7名以外の全員が無事だったのだとか。この学校のあるエリアで津波の高さは6メートルを超えたのだそう。
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校庭の樹木も被災し、津波火災で延焼して焼け焦げたが、根元からは新しい生命が生まれ成長した。そんな木が校舎の前に生えている。
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校舎は中央部の6教室分のみを残して解体の上、残部の補強を実施し、内部が見られるように観察棟を設け、特別教室棟と体育館が展示スペースとなった。今年の4月から一般公開されるようになった。
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校長室。横倒しになっているのは金庫で、奇跡的に浸水を免れた。1週間後にひかえていた卒業式の為に保管されていた卒業証書を、4月になって渡すことが出来たのだそう。
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校舎に避難していたものの、津波が迫る為、校舎二階の窓から教壇を橋のように立てかけて、裏山に逃げたとのこと。(画像をクリックすると拡大されます)
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石巻市消防団牡鹿地区団第7分団のポンプ車両と、北上総合支所の公用車。ポンプ車両は約60メートル離れた地点で発見されたとのこと。
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約40メートル先の門脇小学校会議室で堆積物に埋もれていた、小学校中央昇降口に置かれていた柱時計。
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石巻市内で開設された避難所は最大259カ所、避難者数は50758人で、閉鎖されたのは震災から7ヶ月後。仮説住宅の内部などが公開されていた。
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広い広い石巻南浜津波復興祈念公園だが、そこは以前は住宅が普通にあった所。聖人堀なる水路。左上の建物は、みやぎ東日本大震災津波伝承館。聖人堀よりも海側は、江戸時代までは潟と砂浜が広がり、誰も住んでいないエリアだったが、開墾されて桑畑・果樹園・水田になり、高度経済成長期に住宅地として開発され、1977年に住宅街が形成された。
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以前の様子は:
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旧門脇保育所跡。0歳児~5歳児がいた。震災発生時、0歳児はおんぶ、1~2歳児は避難車、3歳児からは走って、1.8キロ離れた山の上の保育所へ避難。地震発生時14:46、避難開始15:15、避難完了15:50とのこと。
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みやぎ東日本大震災津波伝承館の資料:
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最初に行って驚いたのは、とにかくお墓が多いこと。そして、そんなお墓の間に普通に家やアパートが建っていたりすること。
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神道のお墓も。
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そんな中で、日本製紙の石巻工場は稼働しており、多くの紙と思われる製品にビニールがかけられ積まれていた。
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この後、牡鹿半島の最南端の鮎川や女川へ。

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