引き続き、陸前高田 を廻る。
隈研吾氏設計のまちの縁側(アムウェイハウス)からも、今はすっかり更地になり、震災遺構だけが残る平野部分が見られる。まちの縁側の詳細は:

手前右の建物は震災遺構のひとつである米沢商会。ずっと奥の細長い白い屋根は、復興祈念公園。少し左の三角の建物は震災遺構のタピック45(旧 道の駅高田松原)。
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新しく嵩上げされた中心市街地の本丸公園通りには、伊東豊雄氏のほんまるの家がある。その詳細は:

伊東豊雄氏・乾久美子氏・平田晃久氏・藤本壮介氏 4人による共同設計のみんなの家の詳細は:


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震災遺構として残しておられた米沢商会が、こちらで営業されていた!
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震災時に、シンガポール赤十字社が創設した「ジャパン・ディザスターファンド2011」から、市内のコミュニティ施設等の整備に向けた支援の申し出により7億円の建設費用支援を受けて建てられた陸前高田市コミュニティホールは、丹下都市建築設計による。その詳細は:


佐藤淳氏設計による陸前高田市立高田東中学校もある。その詳細は:


こんな看板も。浸水区間のまっただ中と言うことのようで、前に避難するか後ろに避難するか、距離が書いてある。
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箱根山なる山がある。そこに会田友朗氏のアイダアトリエと名古屋市立大学久野研究所が設計された箱根山テラスはあいにくコロナ禍でクローズしており工事が入っていたが、その詳細は:


気仙大工左官伝承館に。その詳細は:


ランチに広田湾の牡蠣をいただいた。ブランドになっているだけあって、ぷっくり非常に美味しかった。
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宮城県の陸前高田を後にして一路、北上し、岩手県の浄土ヶ浜へ。遊歩道を少し歩く。
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浄土ヶ浜
海岸名の由来は、天和年間(1681~1684年)に、曹洞宗に属する宮古山常安寺七世の霊鏡竜湖(1727年没)が「さながら極楽浄土のごとし」と感嘆したことから名付けられたとする説が有力(wikipediaより)
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宮古市田老地区へ。
明治29年(1896年)の明治三陸大津波で1859名が亡くなり、昭和8年(1933年)の三陸大津波では911名が亡くなった田老地区(旧田老町)。防潮堤の整備は昭和三陸大津波の翌年(昭和9年)から始まり昭和54年に整備が完了。町全体を囲む総延長2433メートル、高さ10メートルでX字形の長大な防潮堤はかつて「万里の長城」と呼ばれていた。夜でも逃げやすいようにと街も碁盤目状に造り替えられ、山際には避難階段が整備され、年1回の避難訓練にも力を入れ、ハード・ソフト両面で防災対策を講じてきた。が、東日本大震災ではその防潮堤をも津波が越え、181名が亡くなってしまった。今回の防潮堤の高さは14.7メートル。
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防潮堤の陸側には、震災遺構のたろう観光ホテルがある。
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そして、再び北上。朝ドラ「あまちゃん」で有名になった三陸鉄道を見に。白井海岸駅と堀内駅の間で見ることが出来るとのこと。
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ちょうど南下する列車が通るかも?と行ってみたのだが、時間がギリギリになってしまったので、もう通過してしまったのかと諦めて戻りかけたらゴトンゴトンと。あー、と慌ててシャッターを切るも、わずか1両の車両は、あっという間にテーブルの影に消えてしまった💦 ガックシ💦💦💦
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気を取り直して、この日は 八戸 まで北上。スーパーに寄ると、さすが南部せんべいの売り場が大きく充実している!
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八戸美術館へ。その詳細は:


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