東京国立博物館創立150年記念特別展「国宝 東京国立博物館のすべて」展へ。

明治5年に東京で湯島聖堂博覧会が開催され、当時15万人が集まった。明治5年に鉄道が開通するなど、西洋文化が流入する中、博覧会時に全国の古い物を集めてそれを守ろうと東京国立博物館が出来た。

日本全国に国宝は10月1日現在で902件(1131件とも by wikipedia)あり、東京国立博物館には、2021年3月31日時点で国宝89件、重要文化財648件を含む収蔵品の総数は119,942件。 これとは別に、国宝54件、重要文化財262件を含む総数2,651件の寄託品を収蔵している。今回は寄託品ではない国宝89件全てが公開されると言う今までにない展覧会。

見学は日時予約制なので、朝一番の9:30AMの枠を予約したのだが、それでも凄い人・人・人・・・9:20AM に全体の門を開けてくれたものの、平成館前に門からぞろぞろ移動してこの列。9:30AMの開場の後、10分ほど待ってようやく入れた。列の後ろのご夫婦が仰っていたが、もしコロナ前のような日時予約制など全くないままであれば、何時間も並んで人数制限もせずにぎゅーぎゅーで館内に入ってもまた何時間も並ばないと展示物まで辿り着けず、しかも人の頭ごしに見るのが精一杯だったかも知れないと。全く同感。
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基本的に前期・後期と分かれてはいるが、その中でも細分化されていて、前期に4期間、後期に4期間の合わせて8期間。我々が行ったのは第三番目の期間で、89ある国宝のうち、期間を通して公開される37の国宝を含む、合計61の国宝を見ることが出来た。つまり、28の国宝が見られないのだが、また別の期間に来なさいと言うことだろうか。うーん商魂たくましい💦(撮影は不可の為、画像は東博のHPから)
追記:展示の60日ルールなるものがある。保存と公開を両立させる為、また日本美術は傷みやすいということから、移動回数は年に2回以内、公開日数は延べ60日以内(材質の劣化の危険性が高いものは延べ30日以内)、石・土・金属などで作られたものは延べ150日以内と言うルールがある為、展示替えが非常に多い。

01 「十六羅漢像 」平安時代 11世紀 
16幅のうちの8幅を所蔵し、今日の公開は4幅。日本の羅漢図の現存最古にして最高傑作とのこと。
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h01 十六羅漢像 平安時代 11世紀

03「孔雀明王像」 平安時代 12世紀 
孔雀は毒蛇を食べると言われ、願い事を叶えてくれると孔雀を神格化している。明王は怒っているのが普通だが、静かな顔で、手には柘榴の実を持っている。経典には柘榴とは書かれていないが、安産祈願であえて描いたのだろうと言われている。手の込んだものを作ることで、幸せの原因を作っており、平安貴族がお金をかけて描かせている。衣には、奈良時代頃から始まった技法で、金箔を細く髪の毛ほどの細さに切って貼る、截金(きりかね)を用いている。胸の飾りは箔を貼っている。孔雀の羽の丸い部分は金泥(金箔をすり潰したもの)。
h03孔雀明王像 平安時代 12世紀

04 「虚空蔵菩薩像」平安時代 12世紀
h04 虚空蔵菩薩像 平安時代 12世紀

10 「一遍聖絵」巻第七 法眼円伊(ほうげんえんい)筆 鎌倉時代 正安元年(1299) 
12巻セットだった。
h10一遍聖絵 

13 「秋冬山水図」 雪舟等楊 筆 室町時代 15~16世紀
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15 「檜図屛風」 狩野永徳筆 安土桃山時代 天正18年(1590) 
豊臣秀吉が作らせた大邸宅の襖絵。その後皇室が所有した。
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17 「花下遊楽図屛風(かかゆうらく)」狩野長信筆 江戸時代 17世紀 
6曲1双なのだが、一部欠失している部分もあった。
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h17 花

19 「納涼図屛風」 久隅守景筆 江戸時代 17世紀 
庶民のリラックスした絵で、戦乱の世が終わった江戸初期に、穏やかな絵が描かれることになったことが、日本美術史上で大きな転換点になったこと表していると。高貴な人達のことを描かないことが非常に珍しい。屏風仕立てなので、権力者が描かせたもので、戒めの絵ではないかと言われている。久隅守景は、狩野派の狩野探幽の弟子の筆頭と言われた人。男性の描写は太い線で力強く、女性(妻?娘?)は細い線で描かれている。月は外ゴマと言う描き方で、直線、曲線など異なる筆致を使ったあらゆる技法を駆使している。
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21 「鷹見泉石像」 渡辺崋山筆 江戸時代 天保8年(1837)
西洋絵画の陰影なども用いられ、衣装は線を活かした日本画の技法。東西の技法が融合した江戸肖像画の傑作。東京国立博物館が開館した1938年から収蔵されている。
渡辺崋山は、三河の田原藩士で家老を務めた人で、蘭学を研究。開国論者だった為、蛮社の獄と言う天保10年に起きた言論弾圧事件で蟄居させられた。絵のモデルは、大塩平八郎の乱を鎮圧した古河藩士の鷹見泉石と言う武士で、渡辺崋山の先輩格の蘭学者だった。
h21 鷹見泉石像 渡辺崋山筆 江戸時代 天保8年(1837)

22 「賢愚経残巻(大聖武)(おおじょうむ)」伝聖武天皇筆 奈良時代 8世紀 
普通の経典は、1行17文字で書くところを、1行12文字前後。最も整った楷書のお手本とされていた。
4行目下から2文字目の「闍」は、書として禁じ手とされている2度書きをしていると、テレビで解説をしていたので必死で眺めてみたが、肉眼では良くわからなかった💦
h22 賢愚経残巻(大聖武

24 「円珍関係文書 充内供奉治部省牒(ないぐぶにあてるじぶしょうちょう)/台州温州公験(くげん)」平安時代 嘉祥3年
h24 円珍関係文書 充内

25 「円珍贈法印大和尚位並智証大師諡号勅書(だいかしょういならびにちしょうだいししごうちょくしょ)」 小野道風筆
h25 円珍贈法印

27 「群書治要」 巻第二十二 平安時代 11世紀
h27 群書治要 巻第二十二 平安時代 11世紀

29 「和歌体十種、和歌体十種断簡」 平安時代 11世紀
h29 和歌体十種、和歌

31 「古今和歌集(元永本)」上帖 平安時代 12世紀 三井高大氏寄贈 
序から本文まで揃った最古のもので、平安時代中期にひらがなが作られた。貴族生活のゆとり、時代もやさしい書を好んでおり、当時の美意識の結晶となっている。美しい文字だけでなく、紙の装飾の集大成として、金や銀が貼られており、版木でにかわで雲母を定着させた雲母(きら)刷り。日本で作られた紙。一冊まるごと残っているのも非常に珍しい。書き手は、平安時代に字が上手と言われた3人のうちのひとりである藤原行成の、ひ孫の藤原定実ではないかと。
h31 古今和歌集(元永本)上

32 「元暦校本万葉集」 巻第一(高松宮本)伝藤原行成筆 平安時代 11世紀
h32 元暦校本万葉集 

34 「医心方」 巻第二十六 延年部 丹波康頼撰 平安時代・12世紀
h34 医心方 巻

37 「紅白芙蓉図」 李迪(りてき)筆 中国・南宋時代 慶元3年(1197) 
芙蓉の花は、咲き始めは真っ白で、午後になって徐々に赤くそまっていき、翌日にはしおれており、その様子から酔芙蓉と言われる。左側の開花しかけている状態から、右側の状態までの左右の間に、朝~昼の時間が存在し、時間の経過を表現している。グラデーションなどは、裏彩色と言う技法で、表面からだけではなく、裏側からも彩色を施している。絹だからこそ出来るもので、伊藤若冲なども使った方法。
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38 「出山釈迦・雪景山水図」 梁楷(りょうかい)筆、伝梁楷(でんりょうかい)筆 中国・南宋~元時代 13~14世紀
宋時代の水墨山水画のなかでも最高傑作のひとつとされるもので、かつては乾隆帝の四名巻コレクションにも数えられた逸品。清朝崩壊の混乱期に来日、書画収蔵家の菊池惺堂が所蔵し、関東大震災の折には惺堂が煙の中から救い出したという逸話があるとのこと。
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40 「古文尚書」 巻第六 中国・唐時代 7世紀
平安時代の「書経」の研究をうかがわせる訓読書きとなっている。
h40 古文尚書 巻第六 中国・唐時代 7世紀

42 「王勃集」 巻第二十九・三十 中国・唐時代 7~8世紀
h42 王勃集 巻第二十九・三十 中国・唐時代 7~8世紀

45 「無相居士あて尺牘」 大慧宗杲(だいえそうこう)筆 中国・南宋時代 12世紀 松平直亮氏寄贈
h45 無相居士あて尺牘 大慧宗

46 「聖一国師あて尺牘(板渡しの墨跡)」無準師範(ぶじゅんしばん)筆 中国・南宋時代 淳祐2年(1242)松平直亮氏寄贈 
日本から千枚の板を贈り、その行為に対するお礼状。
h46 聖一国師あて尺牘(板渡しの墨跡)

49 「的蔵主あて進道語」 了庵清欲筆 中国・元時代 至元7年(1341)松平直亮氏寄贈
h49 的蔵主あて進道語 了庵

50 「聖徳太子絵伝」 秦致貞(はたのちてい)筆 平安時代 延久元年(1069)
もともと法隆寺東院伽藍の絵殿内部にはめられていた障子絵で、11世紀のやまと絵障壁画の作例として貴重なものだそうだが、あまりに絵が小さくて、どこに聖徳太子が居るのか探すのが大変💦
h50 聖徳太子絵伝

51 「法隆寺献物帳」 奈良時代 天平勝宝8年(756)
h51 法隆寺献物帳 奈良時代 天平勝宝8年(756)

53 「灌頂幡(かんじょうばん)」飛鳥時代 7世紀 法隆寺にあった。画像はその一部で、立てると、10メートル以上になる。
h53 灌頂幡(かんじょうばん)飛鳥時代 7世紀

54「木画経箱」 奈良時代 8世紀
h54 木画経箱 奈良時代 8世紀

55 「海磯鏡(かいききょう)」奈良時代 8世紀
h55 海磯鏡(かいききょう)奈良時代 8世紀

56 「水滴」 中国・唐時代または朝鮮・統一新羅時代もしくは奈良時代 8世紀(画像以外にも、墨台、匙がある。画像にはないが、墨台も綺麗だった。
h56 水滴 中国・

57 「竹厨子」 奈良時代 8世紀 
上部が、屋根のようになっている。
h57 竹厨子 奈良時代 8世紀

58 「七弦琴」 中国・唐時代 開元12年(724)
h58 七弦琴 中国・唐時代 開元12年(724)

59 「竜首水瓶」 飛鳥時代 7世紀 法隆寺にあったもの。
ペルシャに由来する形で、胴には翼のある馬ペガサスが4頭は、ササン朝ペルシャの形。持ち手と口は中国的な竜。中国からの名品と思われていた。銅に金や銀のメッキが施され、目は日本製のガラスを使用していることから、近年の研究で国産だろう。ただし竜などが見よう見まねで作ったものではないので、中国からの渡来人が作ったものではないだろうかと。
明治初めに廃仏毀釈で、法隆寺であっても、ご宝物を皇室に献上することで得た対価で厳しい時代を凌いだ為に法隆寺が多数の宝物を手放し、皇室から博物館が維持することとなった。
h59 竜首水瓶 飛鳥時代 7世紀

60 「鵲尾形柄香炉(じゃくびがたえごうろ)」朝鮮・三国時代または飛鳥時代 6~7世紀
h60 鵲尾形柄香炉(じゃくびが

61 「扁平鈕式銅鐸」 伝香川県出土 弥生時代 前2~前1世紀 
正面に絵画が描かれているのは珍しく、モチーフが2000年前の暮らしぶりなどがわかる。脱穀や狩り、すっぽんや鳥なども描かれ、稲作の豊作を願ったり祝ったりする時の楽器だったと考えられる。青銅色だが、制作当時は黄金色だった。
h61 扁平鈕式銅鐸 伝香川県出土 弥生時代 前2~前1世紀

62 「東大寺山古墳出土品」 奈良県天理市 古墳時代 4世紀
日本で作られた。国内出土の象嵌銘文太刀としてはもっとも古い事例。

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h62 東大寺山古墳出土品 奈良県天理市 古墳時代 4世紀

63 「埴輪」 挂甲の武人(けいこうのぶじん)群馬県太田市飯塚町出土 古墳時代 6世紀 
高さ130センチ。挂甲とは、小さな鉄の板を繋ぎ合わせてよろいにした。細部までリアルに再現されており、小手や手首には鞆と言われる矢を射るときに使うものまで再現されている。全身360度、胸の所も、後ろ側にもちゃんと蝶結びをしている。乾かしながら作るので、高さ130センチだと制作には1ヶ月はかかる。100年前に発見され、古墳は破壊されてもう残っていないが、王の姿と考えられる。3年かけて修理され、欠損していた左手にある弓の部分も長く復元された。​黒ずんでいる部分は、焼いた黒はんとして残している。全面修理後の初公開。
h63 埴輪 挂甲の武人(

64 「江田船山古墳出土品」 熊本県和水町 古墳時代 5~6世紀 
他にも、鏡や沓などもあった。これは金製耳飾。
h64 江田船山古墳出土品

65 「文祢麻呂墓出土品」 奈良県宇陀市榛原八滝 飛鳥時代 慶雲4年(707)
4点あったが、そのうちの瑠璃骨壺。
h65 文祢麻呂墓出土

66 「興福寺鎮壇具」 奈良県奈良市興福寺中金堂須弥壇下出土なら時代および中国・唐時代 8世紀
h66 興福寺鎮壇具 奈

前期後期合わせて4つの蒔絵が登場する。蒔絵は、奈良時代に始まり、平安時代に基本的な技法が確立し、鎌倉時代で形象し発展させ、江戸初期で古典を再生、江戸中期にそれを継承したとのこと。
68 「片輪車螺鈿手箱」 鎌倉時代 13世紀(と出品目録にはあったが、NHKの放送では平安時代12世紀後期となっていた)
h68 片輪車螺鈿手箱 鎌倉時代 13世紀

69 「舟橋蒔絵硯箱」 本阿弥光悦作 江戸時代 17世紀 
船を描き、鉛の板を渡して橋に見立てている。書かれている文字は本阿弥光悦の文字。蓋の文字は平安時代の和歌で、舟橋と詠まれているが舟橋の文字はなく、この箱全体が表していると。中は硯と筆だが、内側の金は、細かな金の粒に違う大きさの粒を入れて単調になることを避ける打ち込み金地と言う技法を用いている。古典の新しい再解釈を行っている。
h69 舟橋蒔絵硯箱 本阿弥光悦作 江戸時代 17世紀

所蔵する国宝の2割である19ふりの日本刀がある。
71 「梨地螺鈿金装飾剣」 平安時代 12世紀 
赤字に白いものは、良く見ると2羽の鳳凰になっている。
h71 梨地螺鈿金装飾剣 平安時代 12世紀

72 「太刀 銘 三条(名物 三日月宗近)」三条宗近 平安時代 10~12世紀 渡邊誠一郎氏寄贈
平安時代に作られ、代々徳川家に伝来。正面中央に立つと見える三日月型の刃紋と作者の名前から、三日月宗近と名付けられたもので、天下五剣の中で一番美しいとされている。切っ先は緩やかだが、手元の反りが強い腰反りとなっており、左右非対称さが美しさを引き出している。
古墳時代の刀は、行田市にある稲荷山古墳の「国宝 金錯銘鉄剣」は全く反っておらずまっすぐ。その様子はこちら:


奈良時代の正倉院宝物である「金銀鈿荘唐太刀」もまっすぐ。平安時代中頃になって反りのある刀が登場したもので、三日月宗近は、反りが生まれた最も初期の刀。反りのある方が力を入れなくても良く斬れ、斬り合いの際も反りのある方がより強い。平安時代のものは細見で、剣先を細くしている。​
h72 太刀 銘 三条誠一郎氏寄贈

80 「刀 金象嵌銘 城和泉守所持 正宗磨上 本阿(花押)(じょういずみのかみ まさむねすりあげ)」相州正宗 鎌倉時代 14世紀
室町時代は、騎馬戦から集団戦へと変わり、短く扱いやすい刀が使われるようになる。相模国の名工である正宗によるもので、正宗の中でも、刃紋が特筆される一品。刀身の茎(なかご)を切り詰めて短くしてある。当時は、古い名刀を短くして身に着けることを好んだ為で、古い名刀を持つことがステイタスとなり、武器を超えたものだった。
h80 刀 金象嵌銘 城和泉守正宗 鎌倉時代

88 「太刀 銘 長光(大般若長光)」長船長光 鎌倉時代 13世紀 
備前の刀工の長光による。太さは変わらず力強い。鎌倉時代は武士好みの変化に富んだ刃紋が好まれ、刀身に彫られた溝の「樋」は強度を保ったまま軽量化の為。戦う為の機能美を追求。
h88 太刀 銘 長光(大般若長光)長船長光 鎌倉時代 13世紀

鎌倉時代の刀は上に反っていて、戦国時代の刀は下に反っている。鎌倉時代は騎馬戦なので、鎌倉時代は長く「太刀」、戦国時代は接近戦で直ぐに構えられる短い「打ち刀」となった。
刀剣は、東京国立博物館が所蔵する国宝の19ふり全てが会期中ずっと展示されていて、全部が一同に揃うのは初めてとのこと。しかし、全く詳しくない私にとっては、良くわからない為、19ふりのうち上記の4ふりのみアップすることに💦

国宝があまりに多数あるので、来訪者は国宝の前に大勢いて、重要文化財ですら素通りされてしまっているぐらい贅沢な展示だった。重要文化財は、今回の展覧会で出品されている27点のうち24点を見ることが出来た。其の様子は:


会場:東京国立博物館 平成館 
会期:10月18日~12月11日’22

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