青森県の中央の津軽平野にある田舎館村が開催している田んぼアートを見に。ふたつの会場あり、毎年デザインが異なる。
「縄文から弥生へ」昨年、三内丸山遺跡などの「北海道・北東北の縄文遺跡群」が世界遺産に登録されたことを祝し、また、この田舎館村でも弥生時代の水田跡が検出されたことから、縄文時代から弥生時代への移り変わりを表現したとのこと。左側は縄文時代の狩猟の様子、右側は弥生時代の稲作の様子、中央には村で出土した田舎館式土器、バックには岩木山が描かれている。
係の方曰く、この時も絵柄は良くわかるが、未だ穂が伸びきらない6月頃が一番綺麗とのこと。
そこから左に眼を転じると、石アートの「男はつらいよ 車寅次郎」が。白、黒、グレーなどの小石で描いているのだそう。その奥には、岩木山。
ちょうど、2両編成の列車がやって来た。因みに、青っぽい箱のようなものが駅舎。
駅はその名も「田んぼアート駅」!
垂柳遺跡(たれやなぎ)昭和56年(1981年)に国道バイパス工事の際に弥生時代の水田跡が10面程発見されたもので、弥生時代中期のもの。東北地方北部において弥生時代の稲作が最初に確認された遺跡で、約3800平米。水路でいくつかの区域に地割りされ、小畦畔で碁盤の目状に小区画水田に細分されていた。北では土抗墓が検出され、お墓が存在する可能性もあるのだとか。
もうひとつの会場では、「モナリザ」と黒田清輝氏の「湖畔」。「モナリザ」の方は未だ綺麗だが、「湖畔」はややわかりにくくなってしまっていた。「モナリザ」は、2003年に一度制作したが展望所から見下ろす際の出来映えがイメージとは異なり、以降、遠近法を取り入れるきっかけになったそうで、今回は再チャレンジとのこも。
この田んぼアートを見るには、田舎館村展望台から見るのだが、その展望台は、なんとお城風。
歴代の田んぼアートの写真が展示されていた。
下に降りて同じ高さから見ると、何か良くわからない💦
田んぼアートで使われている稲は、食用1種、古代米3種、観賞用6種のそれぞれの色を活かしているとのこと。
「縄文から弥生へ」昨年、三内丸山遺跡などの「北海道・北東北の縄文遺跡群」が世界遺産に登録されたことを祝し、また、この田舎館村でも弥生時代の水田跡が検出されたことから、縄文時代から弥生時代への移り変わりを表現したとのこと。左側は縄文時代の狩猟の様子、右側は弥生時代の稲作の様子、中央には村で出土した田舎館式土器、バックには岩木山が描かれている。
係の方曰く、この時も絵柄は良くわかるが、未だ穂が伸びきらない6月頃が一番綺麗とのこと。
そこから左に眼を転じると、石アートの「男はつらいよ 車寅次郎」が。白、黒、グレーなどの小石で描いているのだそう。その奥には、岩木山。
ちょうど、2両編成の列車がやって来た。因みに、青っぽい箱のようなものが駅舎。
駅はその名も「田んぼアート駅」!
垂柳遺跡(たれやなぎ)昭和56年(1981年)に国道バイパス工事の際に弥生時代の水田跡が10面程発見されたもので、弥生時代中期のもの。東北地方北部において弥生時代の稲作が最初に確認された遺跡で、約3800平米。水路でいくつかの区域に地割りされ、小畦畔で碁盤の目状に小区画水田に細分されていた。北では土抗墓が検出され、お墓が存在する可能性もあるのだとか。
もうひとつの会場では、「モナリザ」と黒田清輝氏の「湖畔」。「モナリザ」の方は未だ綺麗だが、「湖畔」はややわかりにくくなってしまっていた。「モナリザ」は、2003年に一度制作したが展望所から見下ろす際の出来映えがイメージとは異なり、以降、遠近法を取り入れるきっかけになったそうで、今回は再チャレンジとのこも。
この田んぼアートを見るには、田舎館村展望台から見るのだが、その展望台は、なんとお城風。
歴代の田んぼアートの写真が展示されていた。
下に降りて同じ高さから見ると、何か良くわからない💦
田んぼアートで使われている稲は、食用1種、古代米3種、観賞用6種のそれぞれの色を活かしているとのこと。
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