黒岩温泉郷で迎えた朝。
チェックアウトし、弘前市へ。さすがはりんご生産日本一の弘前市。ポストの上にも、そしてガードレールまでリンゴ。
スーパーに寄ってみたが、津軽の郷土料理のいかめんち(いがめんぢ)や、けの汁の素が売っていた。
田舎館村なる所に、田んぼアートを見に。その様子はこちら:
近くでは、GOMA氏による内部全体を描いた駅舎や、MAJIO氏による作品も堪能。
田根剛設計の弘前れんが倉庫美術館に行ってみた。その詳細は:
前田國男氏設計の弘前市民会館の詳細は:
弘前市博物館の「弘前ねぷた300年」展の様子は:
弘前市立観光館 山車展示館の様子は:
とにかく弘前市の中心部には見所が目白押し。
弘前城
津軽を統一した津軽為信によって慶長8年(1603年)に計画され、二代藩主信枚が慶長16年(1611年)に完成。廃藩になるまでの260年間、津軽藩政の中心となっていた。
弘前城天守 慶長16年(1611年)に5層の天守が築城されたが、落雷で焼失。この天守は、文化8年(1811年)に完成したもの。江戸時代に再建された天守として東北で現存する唯一のもので重要文化財。行った時は、100年ぶりの石垣修理の為、天守は本丸の内側に約70メートル移動させての大掛かりな工事をしていた。
天守閣からは、岩木山が良く見えた。
本来、天守閣のあった場所
工事では、ひとつひとつ石垣の石に番号をふってあった。
東内門
内濠には、カルガモやアオサギの他、カワセミがいるよと、アイスクリームを売っていたおばちゃんに教えてもらったところ、ちょうどカワセミが飛んでいたのだが、あまりに速くて写真には撮れず💦
藤田記念庭園
弘前市出身の藤田謙一氏が大正10年に別邸を構える際に、東京から庭師を招いて作らせた江戸風の庭園で、総面積は21800平米(約6600坪)。高台部と、低地部に分かれている。
洋館と和館がある。
洋館は、鍛冶職人の三男として生まれ、クリスチャンだった棟梁の桜葉駒五郎氏の設計による。現在、一階が資料室、喫茶室、ホール、二階は会議室などとなっている。
低地部には、茶室(松風亭)があり、時期は違ったが花菖蒲園や梅園がある。
行った時は、ちょうどギボウシが咲いていた。
9月初旬だと言うのに、もうモミジが色づきかけていた。
画像数が多いので、弘前観光は引き続き。

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帆立を卵でとじる津軽の郷土料理の貝焼きみそなど。


スーパーに寄ってみたが、津軽の郷土料理のいかめんち(いがめんぢ)や、けの汁の素が売っていた。


田舎館村なる所に、田んぼアートを見に。その様子はこちら:
とにかく弘前市の中心部には見所が目白押し。
弘前城
津軽を統一した津軽為信によって慶長8年(1603年)に計画され、二代藩主信枚が慶長16年(1611年)に完成。廃藩になるまでの260年間、津軽藩政の中心となっていた。
弘前城天守 慶長16年(1611年)に5層の天守が築城されたが、落雷で焼失。この天守は、文化8年(1811年)に完成したもの。江戸時代に再建された天守として東北で現存する唯一のもので重要文化財。行った時は、100年ぶりの石垣修理の為、天守は本丸の内側に約70メートル移動させての大掛かりな工事をしていた。
天守閣からは、岩木山が良く見えた。
本来、天守閣のあった場所
工事では、ひとつひとつ石垣の石に番号をふってあった。
東内門
内濠には、カルガモやアオサギの他、カワセミがいるよと、アイスクリームを売っていたおばちゃんに教えてもらったところ、ちょうどカワセミが飛んでいたのだが、あまりに速くて写真には撮れず💦


藤田記念庭園
弘前市出身の藤田謙一氏が大正10年に別邸を構える際に、東京から庭師を招いて作らせた江戸風の庭園で、総面積は21800平米(約6600坪)。高台部と、低地部に分かれている。
洋館と和館がある。
洋館は、鍛冶職人の三男として生まれ、クリスチャンだった棟梁の桜葉駒五郎氏の設計による。現在、一階が資料室、喫茶室、ホール、二階は会議室などとなっている。
低地部には、茶室(松風亭)があり、時期は違ったが花菖蒲園や梅園がある。
行った時は、ちょうどギボウシが咲いていた。
9月初旬だと言うのに、もうモミジが色づきかけていた。
画像数が多いので、弘前観光は引き続き。

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