弘前市立観光館 山車展示館へ。
弘前の山車は、天和2年(1682年)4代藩主津軽信政の時代、弘前八幡宮祭礼施行の際に、神輿の露払いとして各町内が繰り出したのが初まりで、京都や江戸の文化の影響を受けた人形を中心とした高欄付きの山車で、後に「弘前 組ねぷた」に影響を与えた。繁栄を願って、町会の豪商達が競って京都などから高価な衣装を仕入れるなどしたが、明治の廃藩と、神仏分離により八幡宮との根拠も薄れてすたれてしまったとのこと。
津軽情っ張り大太鼓(画像左)は直径3.3メートル、長さ3.64メートル、津軽剛情張大太鼓(画像右)は直径4メートル、長さ4.5メートル。「情っ張り」とは、津軽人の意固地さや芯の強さを表す津軽弁。毎年ねぷたまつりの先陣を切って出陣する。「情っ張り」の上をいくと言う意味で「剛情っ張り」となっている。
茂森町 常設の芝居小屋があり、芸能人のいる町。町印(ちょうしるし)は、赤い金襴の羽織を着た猿と、下では大太鼓をたたく唐子で、三番叟の始めに舞う狂言や歌舞伎の踊りの場面を表している。

弘前の山車は、天和2年(1682年)4代藩主津軽信政の時代、弘前八幡宮祭礼施行の際に、神輿の露払いとして各町内が繰り出したのが初まりで、京都や江戸の文化の影響を受けた人形を中心とした高欄付きの山車で、後に「弘前 組ねぷた」に影響を与えた。繁栄を願って、町会の豪商達が競って京都などから高価な衣装を仕入れるなどしたが、明治の廃藩と、神仏分離により八幡宮との根拠も薄れてすたれてしまったとのこと。
津軽情っ張り大太鼓(画像左)は直径3.3メートル、長さ3.64メートル、津軽剛情張大太鼓(画像右)は直径4メートル、長さ4.5メートル。「情っ張り」とは、津軽人の意固地さや芯の強さを表す津軽弁。毎年ねぷたまつりの先陣を切って出陣する。「情っ張り」の上をいくと言う意味で「剛情っ張り」となっている。
茂森町 常設の芝居小屋があり、芸能人のいる町。町印(ちょうしるし)は、赤い金襴の羽織を着た猿と、下では大太鼓をたたく唐子で、三番叟の始めに舞う狂言や歌舞伎の踊りの場面を表している。

ふたまた大根の山車「大根山」は、夫婦和合、家内安全、善事成就の紙である聖天(歓喜天)を表している。
紺屋町・浜の町の山車は「紅葉狩山」で、謡曲の場面。
東長町の山車の「布袋山」 髭を生やして長い顔の福禄寿と、頭巾をかぶった大黒天が相撲をとっている。商工業の神様を信仰している。
土手町の山車は「猩々山」。能楽の祝言物で、お酒に因んでおり、土手町には酒造家が多かったことから。
本町の町印は「諌鼓(かんこ)」で、朝廷の門外に置いた太鼓のことで、上に鶏が遊んでおり、諌鼓は暇で平和を意味する。閑古鳥だと思っていたのだが、もともとは諌鼓鶏だったとは💦
鍛冶町の町印は「三条小鍛冶宗近」
山車は「道成寺山」。謡曲にある安珍と清姫の物語となっている。この山車は、ほかの町会と違い、町印も山車も文化3年(1806年)から明治になっても飾られ運行されていたとのこと。

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