大鰐温泉で迎えた朝。
お宿にはお庭のみならず、仏像なども展示してあった。
宿をチェックアウトし、津軽の高山稲荷神社へ向けて北上。津軽富士とも言われる岩木山をバックに、ずっと田んぼが続く。そこを走る道は、その名も「コメ・米ロード」。
高山稲荷神社 に到着。
鎌倉から室町にかけての創建の山王神社があり、江戸時代に稲荷神社が創建され、稲荷信仰の隆盛により、元々の山王神社が後退したものと考えられているとのこと。
千本鳥居がある稲荷神社というと京都の「伏見稲荷大社」が有名だが、こちらも負けてはいない。
行った時期は、睡蓮が咲き、とんぼが飛んでいた。
そばにある展望台へ。チェスボロー号の遭難慰霊碑なるものが。明治22年にアメリカ船籍のチェスボロー号が遭難し座礁大破。乗員23名のうち、漁師達が4名を救助したとのこと。
展望台からの眺め。小泊岬の奥には、北海道も見える。
せっかくなので、もう少し北上。メロンロードなる道だが、牛さん達が放牧されていた。カウロードではない?
明神沼
十三湖大橋を渡る。
とても綺麗な海で釣り人が大勢いたが、そこには「津波之塔」なる碑も。1983年に発生した日本海中部地震で、秋田県・青森県・山形県の日本海側で10 mを超える津波による被害が出た。死者は104人に上り、そのうち100人が津波による犠牲者となり、この五所川原市市浦地区の十三湖河口では、釣り人6人が犠牲になったとのこと。
十三湖界隈の家々は、何だかカラフルだった。
十三湖 汽水湖で、しじみ漁が有名。冬にはオオハクチョウやコハクチョウの飛来地とのことだが、この時期は、ダイサギやアオサギなどが多くいた。
今度は左手に八甲田山を眺めつつ、南下。
途中では、ちょうどこの日(9月9日)が猿賀神社十五夜大祭の待つ宵だったようで、その準備の車を見かけた。
トビがのんびり。
鶴の舞橋 1994年に、津軽富士見湖(廻堰大溜池)にかけられた橋で、日本一長い三連太鼓橋。全長300メートル、幅3メートル、青森県産のひばの丸太3000本と板材3000枚が使われている。
この辺りは青森でもリンゴのめっか。りんご畑が続く。赤いりんごの足元には、太陽の光を反射してりんごの下の部分も色付くようにと、反射シートが敷かれていた。
ちょうど収穫の時期のよう。
そしてこの後、一路、宿のある安比八幡平へ。
お宿にはお庭のみならず、仏像なども展示してあった。
宿をチェックアウトし、津軽の高山稲荷神社へ向けて北上。津軽富士とも言われる岩木山をバックに、ずっと田んぼが続く。そこを走る道は、その名も「コメ・米ロード」。
高山稲荷神社 に到着。
鎌倉から室町にかけての創建の山王神社があり、江戸時代に稲荷神社が創建され、稲荷信仰の隆盛により、元々の山王神社が後退したものと考えられているとのこと。
千本鳥居がある稲荷神社というと京都の「伏見稲荷大社」が有名だが、こちらも負けてはいない。
行った時期は、睡蓮が咲き、とんぼが飛んでいた。
そばにある展望台へ。チェスボロー号の遭難慰霊碑なるものが。明治22年にアメリカ船籍のチェスボロー号が遭難し座礁大破。乗員23名のうち、漁師達が4名を救助したとのこと。
展望台からの眺め。小泊岬の奥には、北海道も見える。
せっかくなので、もう少し北上。メロンロードなる道だが、牛さん達が放牧されていた。カウロードではない?
明神沼
十三湖大橋を渡る。
とても綺麗な海で釣り人が大勢いたが、そこには「津波之塔」なる碑も。1983年に発生した日本海中部地震で、秋田県・青森県・山形県の日本海側で10 mを超える津波による被害が出た。死者は104人に上り、そのうち100人が津波による犠牲者となり、この五所川原市市浦地区の十三湖河口では、釣り人6人が犠牲になったとのこと。
十三湖界隈の家々は、何だかカラフルだった。
十三湖 汽水湖で、しじみ漁が有名。冬にはオオハクチョウやコハクチョウの飛来地とのことだが、この時期は、ダイサギやアオサギなどが多くいた。
今度は左手に八甲田山を眺めつつ、南下。
途中では、ちょうどこの日(9月9日)が猿賀神社十五夜大祭の待つ宵だったようで、その準備の車を見かけた。
トビがのんびり。


鶴の舞橋 1994年に、津軽富士見湖(廻堰大溜池)にかけられた橋で、日本一長い三連太鼓橋。全長300メートル、幅3メートル、青森県産のひばの丸太3000本と板材3000枚が使われている。
この辺りは青森でもリンゴのめっか。りんご畑が続く。赤いりんごの足元には、太陽の光を反射してりんごの下の部分も色付くようにと、反射シートが敷かれていた。
ちょうど収穫の時期のよう。
そしてこの後、一路、宿のある安比八幡平へ。
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