今年、4月に新展示収蔵庫をオープン予定の京都の智積院から、お寺の外での初公開10件を含む、73件の作品が東京に来たので見に行くことに。
和歌山にあった根来寺は僧侶6000人を有していたが、安土桃山時代に権力を持ちすぎたとして、豊臣秀吉に焼き討ちに遭うも、玄宥と言う僧侶が脱出。徳川家康の世になった時に、玄宥は京都東山に智積院を建てることを許される。豊臣秀吉が、息子の鶴松の菩提を弔う為に建てた祥雲禅寺を、徳川家康が丸ごと智積院に与え、その障壁画も現在まで智積院が引き継いでいる。
文献に、長谷川派の障壁画が93枚あったと記載されているが、天和2年(1682年)に火災にあった際に助け出し、「まくり」と言う襖から剥がされた状態で保管されていたが、享保12年(1727年)襖絵や屏風に仕立て直された。(撮影不可の為、一番下の画像以外は全てHP等から)

国宝 長谷川等伯「松に秋草図」
高さ2メートル28センチと非常に大きい。一切大きさが変えられていない。右からむくげの花、ススキ、菊、芙蓉が描かれている。幹の左側に直線と曲線の幾何学的な構図があることから、等伯と久蔵の合作ではないかと言う研究者もいれば、絵の迫力から等伯筆との説もあるのだそう。
松に秋草図

お寺の外では初めて同時に並んで公開されることになった。切られていない右奥の「松に秋草図」と、切られてしまった「楓図」「桜図」が並んでいるが、やはり大きさによって迫力も違って来る。切られただなんて勿体ない💦
他にも、竹の間や枇杷の間と言われる部屋にも襖絵が多数あり、「枇杷図」は下記の「雪松図」と同じ部屋にあった可能性もあるが、1947年に焼失。
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国宝 長谷川等伯筆 国宝「楓図」
樹木の枝振りが他の作品とも似ている。巨木を中心に配する方法は、ライバルの狩野永徳が構築した大画様式(モチーフを大きく描く)という構図だが、鶏頭、萩、菊などを配して、等伯の方がより叙情的。余白は琳派の影響も受けている。
お寺の別の場所にあった襖絵が隣に並んでいるが、楓や萩が続きとなり、失われた一面が途中にあったはずで、上下が約50センチ切り詰められている。萩の葉の形、楓の葉などは全て同じデザインで、背景の金地に映えるように工夫されている。
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国宝 等伯の長男の久蔵筆 国宝「桜図」
桜が枝全面に咲き誇っており、スミレ、タンポポ、ヤマブキなども。久蔵が26歳で亡くなる前の24~25歳頃の作品。狩野派に暗殺されたのでは?説まで出るぐらい急逝だったとか。桜は、大和絵で使われている技法の貝殻を砕いてねりあげた置上胡粉(おきあげごふん)で盛り上げている。桜は実物よりもはるかに大きく描かれているが、桜が同じようなサイズで全てが側面からは描かれずに正面からの構図で装飾的。背後には柳を描いて奥行きを出しているとのことだが、桜の右側手前に雲のような空白があり、桜の奥から柳がその空白に垂れているのが不思議な感じを受けた。これも約50センチ切られている。
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国宝 長谷川等伯「松に黄蜀葵図(とろろあおい)」
高さが3メートル30センチもある。お寺の外に出たのは今回が初めて。左にとろろあおい、真ん中に芙蓉が配されている。上の部分は、左側にあったもので、切り取られて、その右側の上に乗っている。
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国宝 長谷川派「雪松図」桃山時代 16世紀
椿、梅が咲いている。雪が少しなのは、胡粉がもう少し鮮やかだったと思われるが、もっと雪があったとは考えられていない。松の様子が違うので、等伯の弟子の作だろうと。右側は2ヶ所切れていて、右は江戸時代の後補で描かれたものと言われている。
雪松図

長谷川等伯「十六羅漢図屏風」慶長14年(1609年)
本来、長谷川等伯は仏教絵画を得意としていた。71歳の作で、亡くなる直前の作品。16人の羅漢(悟りを開いた僧)と、従者や動物や怪物も描かれている。羅漢は尊敬される存在なので通常はいかめしいように描かれるが、これはユーモラス。背中に海老がくっついている従者や、烏天狗や虎や象なども。別の作品の得意な部分を集大成として集めて描かれている。右上のダルマのような羅漢の服装の生地など、パターン化された模様となっているのも面白い。
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堂本印象「松桜柳図」昭和33年(1958年)
京都画壇の画家。12面ある。智積院の為に描いたもので、柳は長谷川派の障壁画を意識しており、松は抽象化されている。平に広げられた状態で今回見ると、右側は柳があるのでより華やかで、左側が地味に見えるが、実際に智積院での様子をビデオで見ると、Lの字の直角に配されていて、そこまで差が感じられなかった。
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堂本印象「婦女喫茶図」昭和33年(1958年)
図案の相談なども一切お寺側にはせずに描きあげて、お寺側も驚いたのだそう。和装と洋装の二人の女性が野点をしている様子。女性は堂本印象の姪がモデルとなっている。智積院では、不定期に公開している。
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国宝「金剛経」張即之 南宋時代 宝祐元年(1253年)
母親の菩提を弔う為に書いた。太くて力強い線と細い線がひとつの文字の中にあって緩急をつけ、バランスが取れているとのこと。見ていると「聞」の文字の「門」が非常に細く「耳」が太い字もあるなど、バランスと言われましても・・・と言う気もしたが😂 智積院の第7世能化(住職)が所有していた。真言密教を束ねていた人で、智積院は真言宗で金剛経は禅宗だが、智積院には禅宗の人も出入りしていた。
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重要文化財「孔雀明王像」鎌倉時代 14世紀 大覚寺から智積院に伝わった可能性もとのこと。
孔雀明王像

徳川綱吉「蓮舟観音図」江戸時代 17~18世紀
綱吉が狩野派に学んで描いたもの。衣の線などは太いが、顔や腕の輪郭はとても細い。
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重要文化財「童子経曼荼羅図」「瀑布図」などの展示は前期で、観に行った時にはなかったのは残念。
上階のホールでは、解説ビデオや写真撮影スポットがあった。
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会場:サントリー美術館
会期:11月30日’22~1月22日’23

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