年末年始は関西をウロウロしていたので、その備忘録として。

平城宮跡歴史公園
昔はなかったのだが、だだっ広い平城宮跡歴史公園が道路沿いにある。未だ訪れたことがなかった為、行ってみることに。
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とにかく広い。約137ヘクタールあるのだとか。行った日の12月29日は文化庁がお休みで、施設内には入れず、外観だけを見て歩くことに。

朱雀門(1998年竣工)
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朱雀門を越えて第一次大極殿に向かうが、近鉄奈良線が豪快に平城宮跡地を横切って行く! しかもとても頻繁に電車が往来しており、踏切には監視員までおられる。
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第一次朝堂院の南端から第一次大極殿を見る。結構距離がある。
大極殿と朝堂院は平城宮の中で最も重要な場所で、政策を決め、元旦や節句の儀式を行い、外国の使節をもてなす宴会が行われたりした場所で、その際に天皇が北側にある大極殿に座り、臣下は南側の朝堂院に並んだ。平城宮には2つの大極殿と朝堂院があり、これは西側で第一次大極殿と第一次朝堂院となり、奈良時代前半のもの。奈良時代後半には、これらの東側に第二次大極殿と第二次朝堂院が建設され、第一次大極殿は宴会の場所になっていたとのこと。
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大極門の東側では、東楼を復元すべく屋根囲いだけがあった。工期は2022年4月1日~2025年11月30日で、工事発注規模は50億円以上を想定とのこと。
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第一次大極殿(2010年竣工)
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第二次大極殿の北側には内裏があり、そのさらに北側の奥には、市庭古墳(平城天皇陵)がある。
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第二次内裏の井戸跡
内裏は、天皇が日常的に生活し、政治や儀式を行う所で、貴族を招いて宴会を開くこともあり、内裏の中には、女官達の詰め所もあった。この井戸は内裏東端で、直径1.7メートルの杉の木をくり抜いた井筒をすえて、周りに切石や玉石を敷き詰め、天皇の為に使われていた。この井戸は実物大模型。
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宮内省の復原
第二次内裏東側では、天皇家の仕事をする宮内省関係の役所とみられる建物が見つかり、復原。築地塀(ついじべい)で囲まれた東西約50メートル、南北約90メートルの区画に、瓦葺きの正殿を中心に檜皮葺の脇殿や倉庫など6棟があった。
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第二次大極殿跡
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第二次大極殿跡から見た、南側の第二次朝堂院跡の眺め
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2001年に復元された東院庭園地区や資料館なども入らなかったので、ぐるりと歩いただけだったのだが、それでも1時間程度がかかってしまったぐらい広い。
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入口には、遣唐使が乗ったであろう船が再現されていた。右側で招き入れているのは奈良県のキャラクターである「せんとくん」。
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今後、2024年度から公園の整備も開始する予定で、概算事業費は約25億円と試算されているのだそう。

奈良町
歴史的町並みを残し、狭い街路に、江戸時代以降の町屋が数多く建ち並んでいる。吉野葛などを扱う和菓子屋さんが何軒もあるので寄ることに。
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この町屋は、地区約135年。明治初期に呉服卸商だったことから、画像ではわかりにくいが、格子は繊維の仕事をしている事を示す典型的な糸屋格子(1本の太格子に2本の細格子)となっている。昭和60年に道路拡張工事で庭園や建物が撤去され、全体の35%ほどしか残っていないのだとか。

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昨年末に亡くなられた磯崎新氏設計の、奈良駅前の「なら100年会館」や、天理駅前広場コフフンも見学。それらの様子は: