「ベルギーと日本 光をえがき、命をかたどる」展。
ベルギーに留学した太田喜二郎氏、児島虎次郎氏、武石弘三郎氏や、師であったエミール・クラウス氏、コンスタンタン・ムーニエ氏、そして時代的に新しいところではルネ・マグリット氏の作品も並んでいた。
黒田清輝氏や久米桂一郎氏が明治に作った「白馬会」でロドルフ・ウィッツマン氏と交流があった。
ロドルフ・ウィッツマン Rodolphe Wytsman「風景」制作年不詳
ロドルフ・ウィッツマン「水に映ずる家」制作年不詳
左:中沢弘光「風景」 ロドルフ・ウィッツマン氏の模写。
右:ロドルフ・ウィッツマン「水汲み婦、ブラバンの夕暮れ」19世紀
太田喜二郎氏と児島虎次郞氏がジャン・デルヴァン氏とエミール・クラウス氏に師事。
ジャン・デルヴァン Jean-Joseph Delvin「連馬」制作年不詳
エミール・クラウス Emile Claus「フランドル地方の収穫」1904年頃 一辺2メートル以上の大作。
エミール・クラウス「レイエ川の水飲み場」1897年
太田喜二郎「風景」1908~1913年
太田喜二郎「赤い日傘」大正元年(1912)
黒田清輝氏や、ベルギーではエミール・クラウス氏に師事。帰国後、この作品が大正博覧会で2等賞を受賞。
太田喜二郎「樹陰」1911
太田喜二郎「少女」1911
太田喜二郎「雪の朝」1910~1911 モネっぽいかな。
児島虎次郞「川辺の風景」1909
児島虎次郞「男の裸像(1)」1909
児島虎次郞「和服を着たベルギーの少女」1910 今回の展覧会のタイトル画。
児島虎次郞「和服を着たベルギーの婦人」1909
児島虎次郞「家族」1910
黒田清輝氏や久米桂一郎氏はフランスに留学し帰国後、「印象派」の点描画風の作品を描いても、日本に技法を紹介したまでで、西洋絵画の「外光派」を日本に移植したかったとのこと。
久米桂一郎「夏の夕(鎌倉)」1894
帰国した太田喜二郎氏の点描は、技巧的なものとしてのみ日本では受け取られ、1917年以降太田氏は点描画をやめることに。
太田喜二郎「暖かき日」1915
太田喜二郎「麦秋」1914 「単なる技巧の修練に足るものとしても画品の挙らぬ作」とされる!
児島虎次郞氏は、留学から帰国して日本では受け容れてもらえない日本画壇から距離を置いて、日本からフランスのサロンに出品するなどしてフランスで認められていく。
児島虎次郞「花鋏を持つ婦人」1913
児島虎次郞「親牛仔牛」1916 ペインティングナイフで塗り込めたり、チューブから直接キャンバスに描いたりするような技法を試している。
児島虎次郞「ブリュージュ舟宿」1920
日本では印象派的な点描技法は定着しなかったが、一時的に試みる斉藤豊作氏や吉田苞氏などもいた。
斉藤豊作「羊飼い」1906~1912
斉藤豊作氏は1906年に渡仏し、一旦帰国したものの、日本画壇と接触を断って1920年から亡くなるまでフランスに居た。
吉田苞(しげる)「朝のマロニヘの道(ベルギー・ブルージュ)」1921
児島虎次郞氏と交流していた吉田氏は、児島氏の急逝後、児島氏の所有していた絵画やキャンバスなどを受け、未完の作品も児島氏の遺志で吉田氏に引き継がれたのだそう。
吉田苞「赤い志那傘」1926
吉田苞「初秋」1926
武石弘三郎 1901年にベルギーに留学。
「海」1928
武石弘三郎「裸婦浮彫」1939
武石弘三郎「母」1917
武石弘三郎「長女萬里子の像」制作年不詳
武石弘三郎「婦人像」1907~1911
コンスタンタン・ムーニエ Constantin Meunier ベルギーを代表する彫刻家で画家。
「炭坑夫の倅」制作年不詳
コンスタンタン・ムーニエ
上:「坑夫(平櫛田中旧蔵)」 下:「坑夫(太田喜二郎旧蔵)」
コンスタンタン・ムーニエ「撹錬工」制作年不詳
齋藤素巌 イギリスに留学。(この展覧会は「ベルギーと日本」展ではなかったっけ?)
「丹那トンネル殉職慰霊碑レリーフ」1935
実際に見た丹那トンネル殉職慰霊碑レリーフは:
齋藤素巌「東京株式取引所本館建築装飾」1931
藤井浩祐「トロを待つ坑婦」1914
吉田三郎「老坑夫」1919
吉田三郎「或る坑夫」1942
浅野孟府「労働者習作」1930
児島虎次郞氏によって、ベルギー美術が日本で紹介された。
レオン・フレデリック Leon Frederic「花」1920
ベルギーの第一次世界大戦や、日本の関東大震災による、チャリティー展も開催された。
ウジェーヌ・ラールマンス Eugene Laermans「小径」1918
ジュール・ヴァン・ド・レーヌ Jules van de Leene「牡丹」制作年不詳
澤部清五郎「初夏のカフェ」1912
黒田清輝「編み物」1890 パリで、ラファエル・コラン氏に師事。
ラファエル・コラン Raphael Collin「夏の野」1888年頃
フェリシアン・ロップス Felicien Rops「骸骨を見る女とジャックマールの門番」制作年不詳
ルネ・マグリット René Magritte「再開」1965 ルネ・マグリット氏がベルギー出身とは知らなかった💦
会場:目黒区美術館
会期:4月29日~6月18日’23

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ベルギーに留学した太田喜二郎氏、児島虎次郎氏、武石弘三郎氏や、師であったエミール・クラウス氏、コンスタンタン・ムーニエ氏、そして時代的に新しいところではルネ・マグリット氏の作品も並んでいた。
黒田清輝氏や久米桂一郎氏が明治に作った「白馬会」でロドルフ・ウィッツマン氏と交流があった。
ロドルフ・ウィッツマン Rodolphe Wytsman「風景」制作年不詳
ロドルフ・ウィッツマン「水に映ずる家」制作年不詳
左:中沢弘光「風景」 ロドルフ・ウィッツマン氏の模写。
右:ロドルフ・ウィッツマン「水汲み婦、ブラバンの夕暮れ」19世紀


太田喜二郎氏と児島虎次郞氏がジャン・デルヴァン氏とエミール・クラウス氏に師事。
ジャン・デルヴァン Jean-Joseph Delvin「連馬」制作年不詳
エミール・クラウス Emile Claus「フランドル地方の収穫」1904年頃 一辺2メートル以上の大作。
エミール・クラウス「レイエ川の水飲み場」1897年
太田喜二郎「風景」1908~1913年
太田喜二郎「赤い日傘」大正元年(1912)
黒田清輝氏や、ベルギーではエミール・クラウス氏に師事。帰国後、この作品が大正博覧会で2等賞を受賞。
太田喜二郎「樹陰」1911
太田喜二郎「少女」1911
太田喜二郎「雪の朝」1910~1911 モネっぽいかな。
児島虎次郞「川辺の風景」1909
児島虎次郞「男の裸像(1)」1909
児島虎次郞「和服を着たベルギーの少女」1910 今回の展覧会のタイトル画。
児島虎次郞「和服を着たベルギーの婦人」1909
児島虎次郞「家族」1910
黒田清輝氏や久米桂一郎氏はフランスに留学し帰国後、「印象派」の点描画風の作品を描いても、日本に技法を紹介したまでで、西洋絵画の「外光派」を日本に移植したかったとのこと。
久米桂一郎「夏の夕(鎌倉)」1894
帰国した太田喜二郎氏の点描は、技巧的なものとしてのみ日本では受け取られ、1917年以降太田氏は点描画をやめることに。
太田喜二郎「暖かき日」1915
太田喜二郎「麦秋」1914 「単なる技巧の修練に足るものとしても画品の挙らぬ作」とされる!
児島虎次郞氏は、留学から帰国して日本では受け容れてもらえない日本画壇から距離を置いて、日本からフランスのサロンに出品するなどしてフランスで認められていく。
児島虎次郞「花鋏を持つ婦人」1913
児島虎次郞「親牛仔牛」1916 ペインティングナイフで塗り込めたり、チューブから直接キャンバスに描いたりするような技法を試している。
児島虎次郞「ブリュージュ舟宿」1920
日本では印象派的な点描技法は定着しなかったが、一時的に試みる斉藤豊作氏や吉田苞氏などもいた。
斉藤豊作「羊飼い」1906~1912
斉藤豊作氏は1906年に渡仏し、一旦帰国したものの、日本画壇と接触を断って1920年から亡くなるまでフランスに居た。
吉田苞(しげる)「朝のマロニヘの道(ベルギー・ブルージュ)」1921
児島虎次郞氏と交流していた吉田氏は、児島氏の急逝後、児島氏の所有していた絵画やキャンバスなどを受け、未完の作品も児島氏の遺志で吉田氏に引き継がれたのだそう。
吉田苞「赤い志那傘」1926
吉田苞「初秋」1926
武石弘三郎 1901年にベルギーに留学。
「海」1928
武石弘三郎「裸婦浮彫」1939
武石弘三郎「母」1917
武石弘三郎「長女萬里子の像」制作年不詳
武石弘三郎「婦人像」1907~1911
コンスタンタン・ムーニエ Constantin Meunier ベルギーを代表する彫刻家で画家。
「炭坑夫の倅」制作年不詳
コンスタンタン・ムーニエ
上:「坑夫(平櫛田中旧蔵)」 下:「坑夫(太田喜二郎旧蔵)」
コンスタンタン・ムーニエ「撹錬工」制作年不詳
齋藤素巌 イギリスに留学。(この展覧会は「ベルギーと日本」展ではなかったっけ?)
「丹那トンネル殉職慰霊碑レリーフ」1935
実際に見た丹那トンネル殉職慰霊碑レリーフは:
齋藤素巌「東京株式取引所本館建築装飾」1931
藤井浩祐「トロを待つ坑婦」1914
吉田三郎「老坑夫」1919
吉田三郎「或る坑夫」1942
浅野孟府「労働者習作」1930
児島虎次郞氏によって、ベルギー美術が日本で紹介された。
レオン・フレデリック Leon Frederic「花」1920
ベルギーの第一次世界大戦や、日本の関東大震災による、チャリティー展も開催された。
ウジェーヌ・ラールマンス Eugene Laermans「小径」1918
ジュール・ヴァン・ド・レーヌ Jules van de Leene「牡丹」制作年不詳
澤部清五郎「初夏のカフェ」1912
黒田清輝「編み物」1890 パリで、ラファエル・コラン氏に師事。
ラファエル・コラン Raphael Collin「夏の野」1888年頃
フェリシアン・ロップス Felicien Rops「骸骨を見る女とジャックマールの門番」制作年不詳
ルネ・マグリット René Magritte「再開」1965 ルネ・マグリット氏がベルギー出身とは知らなかった💦
会場:目黒区美術館
会期:4月29日~6月18日’23

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コメント
コメント一覧 (2)
もしかして本当に隠し絵だったり・・・
な~が nagacumatz
が
しました