「ジョルジュ・ルオー かたち、色、ハーモニー」展。会期終了ぎりぎりに何とか間に合った。
パナソニック汐留美術館では、ルオーの初期から晩年までの絵画や版画作品など約260点を収蔵しており、他からの作品も交えての70点の作品展示となっている。

「自画像」1895 ギュスターヴ・モロー氏の教室で学んでいた 24才の時に初めて描いた自画像。
「自画像」1895-001

「死せるキリストとその死を悼む聖女たち」1895-97 レオナルドに傾倒していた頃の作品。3度目のローマ賞に挑戦した時の最終試験で取り組んだ油彩の下絵。しかし、ルオーはローマ賞は得られず。
「死せるきしるととその死を悼む聖女たち」1895-97

「二人の娼婦」1906 師として仰いだモロー氏が死去した後に描いている。パリの歓楽街にアトリエを構え、色々と模作していた時代で荒々しい筆致。表裏に描かれている。
「二人の娼婦」1906

「セザンヌへのオマージュ(セザンヌの泉)」1938 モロー氏の死後、セザンヌに傾倒していく。セザンヌへのオマージュとして、エクス=アン=プロヴァンスに噴水を建造する計画「セザンヌの泉」のプロジェクトのために、ルオーが制作した油彩画。
「セザンヌへのオマージュ(セザンヌの泉)」1938

「プルチネルラ」1910 イタリアの嘘つきで傲慢な道化師。
「プルチネルラ」1910

「小さな家族」1933年頃 タピスリー制作の実物大の下絵で、縁までタペスリーを意識している。
「小さな家族」1933年頃

「二人組(二兄弟)」1948 前述のイタリアの道化師を描いてから40年後には、柔和な表情となっていて、耳の上にはピンクの花を付けているのがアクセントに。「道化師は私、私達、全員だ」とのこと。今回の展覧会のタイトル画。
「二人組(二兄弟)」1948

「最期の時を待つ十字架上のキリスト」1952-56 1905年に政教分離となって、法廷から十字架が外されたが、熱心なキリスト教信者のルオーは激怒し、あえて法廷と十字架を描いている。晩年の作品。
「最期の時を待つ十字架上のキリスト」1952-56

「キリスト」1937-38 朱色の雲が特徴的。ドーム型の塔が背景に描かれているが、下絵の版画にはなかった。
「キリスト」1937-039

「深き淵より」1946
「深き淵より」1946

「ホモ・ホミニ・ルプス(人は人にとりて狼なり)」1944-48 残酷さを表し、☆は希望とのこと。
「ホモ・ホミニ・ルプス(人は人にとりて狼なり)」1944-48

最後のV章の部屋だけは撮影可能。
「大木のある風景」1946年頃 「伝説的風景」と呼ぶ独自の主題の風景の完成形態。木、人物像(キリストと母子)、塔、月のモチーフが描かれている。
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「キリストと漁夫たち」1947
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「キリスト教的夜景」1952
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「秋の終り」1952-56
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「秋の夜景」1952 垂直を意識しており、表層部に黄色を塗ってより輝きを増している。晩年、油彩でステンドグラスの輝きを表現すべく、色々な油彩を重ねては削りまた重ねる技法を用いている。この時代のルオーの風景画の中でも最大級の作品。
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「キリストとの親しき集い」1952 暖色に黒い輪郭線の特徴が良く出ており、晩年になり、垂直方向を意識している作品。
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「クマエの巫女」1947 パナソニック汐留美術館の新収蔵品。
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次の二作は、日本人コレクターの福島繁太郎氏が所有していたが、第二次世界大戦時にフランスにあった為、敵国財産としてフランス政府に接収されてしまい、1952年の対日講和条約でパリのポンピドゥーセンター国立近代美術館に譲渡された作品。

「受難(エッケ・ホモ)」1947-49 キリストの頭部背後の黄色は光輪を、茨の冠とマントの赤色は受難を象徴しているとのこと。
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「かわいい魔法使いの女」1949 サーカスの華やかな色彩の女性像だが、もともとは裸婦像だった。コレクターが所蔵してからも、描き足しては削り、また描き足しては削ることを繰り返していた。
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会場:パナソニック汐留美術館
会期:4月8日~6月25日’23

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