松方コレクションを観に国立西洋美術館に行った。
戦前、川崎造船所社長だった松方幸次郎氏が、それまで日本になかった西洋美術の美術館を日本に造るべく、ヨーロッパで買い集めた約1万点もの西洋絵画や彫刻やタペストリーなどを収集していた。今回は、そのうち、パリで保管されていた400点のうち日本に返却された375点からが主な展示品となる。

フランク・ブラングィン「松方幸次郎の肖像画」1916
松方幸次郎は、兄である外交官の松方正作を通じて、イギリスのフランク・ブランウィンと言う画家を知った。
裏には、「一時間で描く」と書かれているのだそう。
当時には西洋美術を扱う美術館は日本になく、川崎造船のオーナーであった松方は、ストックボートを買って富を得たので、共楽美術館なる美術館を造ろうと考え、西洋美術を購入するようになった。
しかし、1923年(大正12年)の関東大震災と1927年(昭和2年)の金融恐慌で川崎造船所も、お兄さんが経営していた十五銀行も経営破綻、日本に送られた1000点が売られることとなった。
<1916~1918 ロンドンを拠点に集めた作品>
裏には、「一時間で描く」と書かれているのだそう。
当時には西洋美術を扱う美術館は日本になく、川崎造船のオーナーであった松方は、ストックボートを買って富を得たので、共楽美術館なる美術館を造ろうと考え、西洋美術を購入するようになった。
しかし、1923年(大正12年)の関東大震災と1927年(昭和2年)の金融恐慌で川崎造船所も、お兄さんが経営していた十五銀行も経営破綻、日本に送られた1000点が売られることとなった。
<1916~1918 ロンドンを拠点に集めた作品>
19~20世紀初頭の美術館では普通であった縦にも並べていた様子をそのまま再現した陳列方法とのことだが、人が多いので見づらかった・・・
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ 「愛の杯」1867
ジョン・エバレット・ミレイ「あひるの子」1889年
アンデルセンの寓話からと言う説もあるが、何故あひるが一緒に描かれているのか題材については不明とのこと。
レオン・オーギュスタン・レルミット 「牧草を刈る人々」1900
ジョバンニ・セガンティーニ「羊の毛刈り」1883-1884年 アルプスの画家と言われていた。前半はバルビゾン派っぽく暗い色合いだったが、徐々に明るい光を取り入れ始めた頃の作品。イタリアのミレーと言われる。

<第一次世界大戦と松方コレクション>
アンデルセンの寓話からと言う説もあるが、何故あひるが一緒に描かれているのか題材については不明とのこと。
レオン・オーギュスタン・レルミット 「牧草を刈る人々」1900
ジョバンニ・セガンティーニ「羊の毛刈り」1883-1884年 アルプスの画家と言われていた。前半はバルビゾン派っぽく暗い色合いだったが、徐々に明るい光を取り入れ始めた頃の作品。イタリアのミレーと言われる。

エドモンド・デュラック 「ポーランドの独立」1917
リュシアン・シモン 「墓地のブルターニュの女たち」 1918年頃
<海と船>
オーギュスト・ロダン 「地獄の門」のマケット(第三構想)
石膏で作られたもので、下には、「こうじろう・まつかたへ ロダン美術館から」と記してある。

<1921~22年 パリで収集した作品>
日本海軍からドイツ潜水艦のUボートの設計図を得るように指示されていた。民間人で、造船業に携わっていたことから、あやしまれずに済んだ。海軍から購入費が出ていたのでは?とも言われている。実際に、設計図の入手は成功し、造船所も潜水艦を造ったりしていた。
ピエール=オーギュスト・ルノワール 「帽子の女」1891年

ジャン=フランソワ・ミレー 「春(ダフニスとクロエ)」1865年
ギュスターヴ・モロー《牢獄のサロメ》1873-76

リュシアン・シモン 「墓地のブルターニュの女たち」 1918年頃
<海と船>
<ベネディットとロダン>
アメリ・ボーリー=ソーレル《レオンス・ベネディットの肖像》1923
アメリ・ボーリー=ソーレル《レオンス・ベネディットの肖像》1923
リュクサンヴール美術館の館長で、松方のパリでのアドバイザー。ベネディット氏がロダン美術館を造ろうとしていたが、お金がフランス政府からおりず、松方氏が1920年に「地獄の門」のブロンズを発注するなど50点以上を購入をすることで、ロダン美術館を建てることが出来た。その為、松方氏の所有する400点の作品をロダン美術館で保管してもらってもいた。


オーギュスト・ロダン 「地獄の門」のマケット(第三構想)
石膏で作られたもので、下には、「こうじろう・まつかたへ ロダン美術館から」と記してある。

<1921~22年 パリで収集した作品>
日本海軍からドイツ潜水艦のUボートの設計図を得るように指示されていた。民間人で、造船業に携わっていたことから、あやしまれずに済んだ。海軍から購入費が出ていたのでは?とも言われている。実際に、設計図の入手は成功し、造船所も潜水艦を造ったりしていた。
ピエール=オーギュスト・ルノワール 「帽子の女」1891年

ジャン=フランソワ・ミレー 「春(ダフニスとクロエ)」1865年
農民画家と言われるが、本人は歴史が描きたかった。古代ギリシャの詩人ロンゴスが書いたとされる恋愛物語。幼くして捨てられ牧人に育てられたダフニスとクロエの成長と愛の成就が語られている。ミレーは「春」のテーマに幼い愛の芽生えを取り上げている。「春」は装飾画連作「四季」のうちの一点で、古典的な傾向が強いもの。三島由紀夫の「潮騒」のテーマでもある。


ギュスターヴ・モロー《牢獄のサロメ》1873-76
シャルル・エミール=オーキュスト・カロリュス=デュラン「母と子(フェドー夫人と子供たち)」1897
修復したら5ミリほど大きくなり入らなくなってしまったので、本来の額を右に。
修復したら5ミリほど大きくなり入らなくなってしまったので、本来の額を右に。

その2 に続く。
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