「江戸の陶磁器 古伊万里」展へ。
江戸時代初期17世紀の初めに、九州 肥前国(現在の佐賀県と壱岐、対馬をのぞいた長崎県)有田で誕生した肥前磁器は、伊万里津(港)から積み出されたことから伊万里焼とよばれるようになり、なかでも江戸時代の伊万里焼を古伊万里と称している。古伊万里は、17世紀半ばから約100年にわたり海外へ盛んに輸出され、オランダ東インド会社が中国陶磁に代わる品として大量に注文したことによる。ヨーロッパの王侯貴族たちを魅了して膨大なコレクションが築かれ、各地の城館に東洋の磁器で部屋中を飾った「磁器の間」が出現するなどした。

柿右衛門様式
乳白色の磁肌に清澄な色彩で花鳥や唐人物が絵付けされた「柿右衛門様式」は赤絵(色絵)の技術を開発した酒井田喜三右衛門(=初代 柿右衛門)の名前から。当時の中国は明から清に交代する混乱期で、景徳鎮磁器の輸出が停止していた。

色絵花鳥図六角壺 柿右衛門様式
★IMG_7118

色絵 唐人物図 大壺 1680~90年代 柿右衛門様式
IMG_7114

染付 鳳凰文 八角大壺 1670~90年代
IMG_7116

ヨーロッパでは、似たものを制作したものまで出現!
色絵 粟鶉図 八角鉢 1670~90年代 柿右衛門様式
$RGXSYXC
色絵 鶉図 八角鉢 イギリス ボウ窯 柿右衛門写し 18世紀
IMG_7123

色絵 唐人物図 水注 1680~90年代 柿右衛門様式
IMG_7127

小さなポットと高さ 5cm ほどのカップは、貴重な東洋のお茶を楽しむために日本に注文されたもの。
色絵 花卉梅樹文 水注 柿右衛門様式 1680~90年代 柿右衛門様式
★IMG_7134
色絵 花卉文 八角杯 柿右衛門様式 1680~1700年代 柿右衛門様式
★IMG_7137

色絵 花蝶文 輪花鉢 1690~1710年代 柿右衛門様式
IMG_7139

色絵 菊竹垣文 木瓜形皿 1670~90年代 柿右衛門様式
IMG_7145

色絵 花鳥文 皿 1670~80年代 柿右衛門様式
IMG_7147

花弁のきわを白く塗り残し、大輪に描く柿右衛門様式の梅花は、清時代初期に景徳鎮窯で生産された「康熙五彩」に倣った表現。そのオリジナルとして:
五彩 花鳥図 八角大盤 中国 景徳鎮窯 清時代 1662~1722年
IMG_7150

金襴手様式
中国明時代嘉靖年間(1522~1566)に景徳鎮の民窯で作られた「金襴手」と呼ばれる赤地に金を施した陶磁器に影響を受け、有田でも濃紺の染付に赤と金による桜花や菊など和風な文様が煌びやかな「金襴手様式」の生産を始める。輸出の主力が柿右衛門様式から金襴手様式へと移って行った。輸出を停止していた中国も、1684年に輸出を再開したが、古伊万里を模倣した景徳鎮窯製の「チャイニーズ・イマリ」が登場するほど、既に日本の陶磁器は人気となっていたのだそう。

以下のような蓋付の壺と広口の筒形瓶のセットを3個~7個の奇数で、ヨーロッパの城館で装飾とすることが流行した。
色絵 花卉文 筒形瓶 1700~1740年代 金襴手様式
IMG_7153
色絵 花卉文 大壺 1700~1740年代 金襴手様式
IMG_7155

色絵 牡丹樹木図 大皿 1690~1730年代 金襴手様式
IMG_7164
ヨーロッパの城館で絵画のように掛けられていた為、裏面には金具が付いている。
IMG_7166

色絵 花卉文 碗・皿 1690~1740年代 金襴手様式
1657年ロンドンで最初のチョコレートハウスがオープン。中南米産のカカオを原料とした新しい飲み物は、紅茶やコーヒーと共に王侯貴族の嗜好品となり、ホットチョコレートを飲むのに合わせた細身な器が大量輸出された。
IMG_7171

色絵 鷲雉子図 大皿 1700~1740年代 金襴手様式
★IMG_7173

色絵 楼閣美人図 大皿 1700~1740年代 金襴手様式
IMG_7175

色絵 風俗絵図 平鉢 1700~1740年代 金襴手様式
青・赤・金の三色のみながら艶やかに描かれ、金襴手様式の「オールド・ジャパン」とよばれるタイプ。以前に日本から輸出されていた柿右衛門様式には、中国の人物や故事が描かれていた為、中国製とみなされてしまっていた。その為、桜花の屏風や花車など、菱川師宣の浮世絵のような元禄美人をモチーフにしている。
★IMG_7178

古九谷様式
柿右衛門様式 や 金襴手様式 に先立ち、有田で焼かれた「初期色絵」は「古九谷様式」ともよばれ、タイプによって祥瑞手(しょんずいで)、五彩手、百花手、青手などがあり、大きな皿や鉢の意匠はほぼ一点もの。古九谷の暗い色絵はヨーロッパでは好まれず、明るい柿右衛門が輸出された。
祥瑞手は、染付と上絵を併用し、主文様は赤い輪郭線で描かれる穏やかな色合いの古九谷で、日本の茶人達が中国の明末期に景徳鎮窯に注文した茶器「祥瑞」に倣った幾何学模様が配されている
五彩手は、白い見込みを画布に見立てたように花鳥・山水・人物などを描いている。中国の絵画や陶磁器に倣っているが、模倣ではなく創意が凝らされ、青・緑・黄・紫・赤の上絵が用いられ、圏線や裏面の模様には染付も使用されているとのこと。
百花手は、背景を寒色の小花で埋め尽くすもので、色紙形や木工形の黄色い枠で囲った窓や軍配などを配した幾何学文様。五彩手と同じく上絵は五色だが、赤はごく僅かとのこと。
青手は、緑と黄の色彩の対比と大胆なデザイン、活き活きした筆致が特徴。背景を亀甲文や唐草文、表裏ともに白地を残さずに上絵具で前面を覆う。裏面を唐草文や雲気文で描き埋めるのも特徴。

色絵 竹雀図 輪花鉢 1640~1650年代 古九谷様式 祥瑞手
★IMG_7181

五彩 花鳥文 輪花盤 17世紀 景徳鎮窯 色絵祥瑞
IMG_7184

色絵 梅花鳥図 鉢 1650年代 古九谷様式
IMG_7186

色絵 花卉孔雀図 輪花鉢 1640~1650年代 古九谷様式
IMG_7188

色絵 椿小禽図 鉢 1650~1660年代 古九谷様式
IMG_7190

色絵 花卉孔雀図 徳利 1650~1660年代 古九谷様式
IMG_7192

色絵 唐人物図 鉢 1650年代 古九谷様式
IMG_7196

色絵 百花人物図 鉢 1650年代 古九谷様式 百花手
★IMG_7199

色絵 芭蕉柳図 輪花鉢 1650~1660年代 古九谷様式 青手
★IMG_7202

色絵 蔦葉文 鉢 1650~1660年代 古九谷様式 青手
IMG_7204

色絵 四阿舟図 鉢 1650年代 古九谷様式 青手 
四阿(あずまや)二棟が斜めに配され、周囲は細線を重ねた波濤、口縁に波頭と青海波、隣接する黄色帯に網代文。
IMG_7206

色絵 桜川文 瓢形徳利 1650~1660年代 古九谷様式
IMG_7212

色絵 無花果文 平鉢 1650~1660年代 古九谷様式
IMG_7214

色絵 竹木葉文 鉢 1650~1660年代 古九谷様式
IMG_7216

色絵 竹樹谿亭図 徳利 1650~1660年代 古九谷様式
IMG_7218

鍋島焼
佐賀鍋島藩直轄の窯で焼かれた磁器で、徳川将軍家への献上、諸大名や公家への贈答、そして藩主の自家用の品として、採算を度外視して生産された。1628年に有田で設置され、外部へ製法が漏れることを恐れて1675年に伊万里へ移転。徳川綱吉の治世だった元禄年間(1688~1704)に最盛期を迎えた。
色絵のものは「色鍋島」とも言われ、染付の青、上絵の赤・緑・黄の4色で絵付けされた。木盃型と呼ばれる円形の皿に、櫛の歯の模様の櫛目文が染付で施された背の高い高台が付き、外側面の三方に七宝繋文や牡丹唐草文などが染付で描かれる。

色絵 岩牡丹図 皿 17世紀末~18世紀初 鍋島藩窯
★IMG_7222

色絵 紫陽花図 皿 17世紀末~18世紀初 鍋島藩窯
IMG_7224

染付 紫陽花図 皿 19世紀 鍋島藩窯 
享保11年(1726)八代将軍吉宗の倹約令で、色鍋島はなくなり染付と青磁が中心となる。以降、廃藩置県で藩窯が終了する明治4年(1871)までの鍋島焼きを「後期鍋島」と言い、葉脈を境に染付の濃淡で葉を塗り分けるのはこの頃の特徴とのこと。
IMG_7226

会場:松岡美術館
会期:6月20日~10月9日’23

にほんブログ村 美術ブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 美術ブログ 美術鑑賞・評論へ
にほんブログ村