貿易商から身を起こした松岡清次郎氏が、晩年に蒐集したモネ、ルノワールをはじめとする、フランス印象派・新印象派のコレクションが6年ぶりに公開された。モネ、ルノワール、ピサロといった印象派の中心メンバーに加えギヨマンの作品が多数あり、新印象派コレクションには、スーラはない一方でリュスやマルタンの作品が多いという内容で、美術史での系統立った作品を集めていないとのこと。

印象派誕生前夜

ウジェーヌ・ブーダン Eugene-Louis Boudin 「夕陽の当たる池」1856-60年頃 
バルビゾン派の画家たちと交流した画家。1857年には少年モネと出会い、その才能を見抜き屋外で絵を描く大切さを教えたのだとか。
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ウジェーヌ・ブーダン Eugene-Louis Boudin 「ブルターニュの村」1870年
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モネ、パリに出る


クロード・モネ Claude Monet「サン=タドレスの断崖」1867年 
サロン落選のため貧困にあえいだモネは、家族の住むサン=タドレスに身を寄せ、活動初期の名作を生み出したうちのひとつ。
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クロード・モネ Claude Monet 「ノルマンディの田舎道」1868年
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印象派展
モネとルノワールは、絵の具を極力混ぜず原色に近いまま、カンヴァスに細かいタッチで並べることで、風景や繊細な色彩変化を表現する印象派の技法である筆触分割を行う。しかし、保守的な批評家からは酷評を受け、「印象派」という嘲笑が込められた呼び名をつけられたが、世間に浸透し画家達もその名を受け入れたのだそう。

クロード・モネ Claude Monet 「エトルタの波の印象」1883年
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ウジェーヌ・ブーダン Eugene-Louis Boudin「海、水先案内人」1884年
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人物画家ルノワール
印象派の中心人物であったルノワールは、早くから「人物画家」であることを自負し、肖像画を多く手がけ成功。しかし、第4回印象派展には、ドガの主張によりサロン応募者の参加を認めないことになり、ルノワールやシスレーは参加しておらず、印象派中心メンバーの分離が表面化。

ピエール=オーギュスト・ルノワール Pierre-Auguste Renoir「ローヌの腕に飛び込むソーヌ」1915年
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シスレーとピサロ
生前に経済的に成功したモネやルノワールに対し、シスレーとピサロは経済的に不安定な生活の中で作品を制作。

カミーユ・ピサロ Camille Pissarro「羊飼いの女」1887年頃
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カミーユ・ピサロ Camille Pissarro「丸太作りの植木鉢と花」1876年 
ピサロは印象派の最年長で、印象主義に固執せず、若い世代のスーラやシニャックといった新印象派の画家やゴーギャンと交友し、その技法を取り入れる柔軟さもあった。
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カミーユ・ピサロ Camille Pissarro「カルーゼル橋の午後」1903年
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アルフレッド・シスレー Alfred Sisley「麦畑から見たモレ」1886年 
シスレーは裕福なイギリス人実業家の家に生まれたが、30代前半のころ普仏戦争で敵兵の侵攻により父が財産を失い、困窮した生活を強いられた。1880年以降、他の印象派の画家たちが印象主義の超克を目指し模索する中、シスレーは印象主義の理念を信じ、困窮生活にもめげずに印象主義的な画風で風景画を描き続け、ピサロはシスレーを「真の印象主義者」と称した。
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アルマン・ギヨマン Armand Guillaumin「アゲー湾、信号所」1895年頃​
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アルマン・ギヨマン Armand Guillaumin「リュイの岸辺」1841
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アルマン・ギヨマン Armand Guillaumin「アリエ河畔のサン=ジュリアン=デ=シャーズ」1895年頃
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アルマン・ギヨマン Armand Guillaumin「アゲーの岩場」1893年頃
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アルマン・ギヨマン Armand Guillaumin「ドラモンの下手、アゲー」1895年
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ポン=タヴァンの画家たち
19世紀後半、ブルターニュ地方の小村ポン=タヴァンには鉄道の開通をきっかけに多くの芸術家が集まった。「ポン=タヴァン派」の特徴は、輪郭線の強調や大胆な色遣いで象徴的な主題を描く総合主義という画法。

マクシム・モーフラ Maxime Maufra「キブロの時化」1903年
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アンリ・モレ Henry Moret「ラ・ド・サン、フィニステール県」1911年
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アンリ・モレ Henry Moret「ブルターニュの海岸」1856年
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ギュスターヴ・ロワゾー Gustave Loiseau「グルノーブルから望むモンブラン」1907年
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ギュスターヴ・ロワゾー Gustave Loiseau「フェカンの海岸」1924年
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ギュスターヴ・ロワゾー Gustave Loiseau「エトルタの断崖」1902年
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新印象派の画家たち
スーラは、感覚的であった印象派の筆触分割を科学的な表現に昇華し、緻密な点描法で描かれた作品は、シニャック、クロッスなど多くの画家たちの賛同を得て、新印象派というグループを形成。印象派のピサロもギヨマンを通じてスーラやシニャックと出会い、この新しい潮流に合流。スーラは、1891年に31歳の若さで亡くなってしまうが、新印象主義はシニャックとクロッスによって引き継がれた。

ポール・シニャック Paul Signac「オレンジを積んだ船、マルセイユ」1923年
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アンリ=エドモン・クロッス Henri-Edmond Cross「遊ぶ母と子」1897-98年
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イッポリート・プティジャン Hippolyte Petitjean「ニンフの居る風景」1901年
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アンリ・マルタン Henri Martin「入江、コリウール」1860年
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アンリ・マルタン Henri Martin「ラバスティド=デュ=ヴェールの教会」1860年
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アンリ・マルタン Henri Martin「ラバスティド=デュ=ヴェール、ロット県」1920-30年代
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アンリ・マルタン Henri Martin「断崖」1913年
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マクシミリアン・リュス Maximillien Luce「レンガ工場」1895-97年
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マクシミリアン・リュス Maximillien Luce「ムリヌーの池」1904年
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マクシミリアン・リュス Maximillien Luce「リュシー・クーチュリエの肖像」1904年
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マクシミリアン・リュス Maximillien Luce「水浴の女たち」1858年
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新印象派からフォーヴィスムへ
マティスは、シニャックとクロッスに会い、点描法に取り組んだことから、純色による大胆な色彩表現に到達し、フォーヴィスム(野獣派)という潮流を生み出した。

ルイ・ヴァルタ Louis Valtat 「川辺」1895年 
ヴァルタはナビ派のドニや新印象派のシニャックと交流しながらも、それらに属することなく、鮮やかな色彩と力強いタッチが特徴的な風景画や静物画を描く。
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ルイ・ヴァルタ  Louis Valtat「水浴の女たち」1910年
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ルイ・ヴァルタ Louis Valtat 「黄色い背景と大きな花瓶」
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会場:松岡美術館
会期:6月20日~10月9日’23

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