この日は金沢市内をうろうろと。
KAMU なる私設美術館がある。
旧中村邸
中村記念美術館へ:
美術の小径がある。
段差になっていて、「美術の小径」を通ってこの森の上部のエリアに行く時には、なんとなんと金沢市内のど真ん中なのだが、このような看板が!
左の煉瓦造りの建物は、石川県立歴史博物館、右側は国立工芸館。
国立工芸館 では、一日だけ金子順氏の作品が設置されている中庭がオープンされるとのことだった:
HIMITO へ:
山錦楼 明治28年に創業した老舗料亭。大正末期から昭和初期に3階建の料亭や旅館が多く建てられた為、もとは2階建てだったが増改築をして現在の地上3階地下1階となった。犀川側からは4階建てに見える。
谷口吉郎・吉生記念金沢建築館 へ:
香林坊の地下パセオには、金沢城下図屏風の一部の壁画が。
武家屋敷 日本人は殆ど見かけず、白人外国人の観光客ばかりだった😲
水路が設けられていて、各武家屋敷には水が引き込まれていた。近くの和菓子屋さんのおかみさんが話して下さったのだが、今は「東茶屋町」に日本人観光客が流れ、「武家屋敷」界隈には外国人観光客が来るぐらいとのこと。
ホテルの屋上の露天風呂からの眺め
この日も金沢にもう一泊。その様子は:

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KAMU なる私設美術館がある。
旧中村邸
中村記念美術館へ:
美術の小径がある。
段差になっていて、「美術の小径」を通ってこの森の上部のエリアに行く時には、なんとなんと金沢市内のど真ん中なのだが、このような看板が!
左の煉瓦造りの建物は、石川県立歴史博物館、右側は国立工芸館。
国立工芸館 では、一日だけ金子順氏の作品が設置されている中庭がオープンされるとのことだった:
金澤神社
金城霊沢(きんじょうれいたく) この泉で砂金を新井「金洗沢(かねあらいのさわ)」と呼ばれ、「金沢」の地名の起こりとなった。
黒川紀章氏設計の 本多の森ホール:
谷口吉郎氏設計の 鈴木大拙館:
松風閣
文化庁が50年間非公開としていたお庭で、隣接する鈴木大拙館がオープンする13年前に一緒に公開されることになったが、一切宣伝はしてはならないと言う条件とのこと! 池泉回遊式の庭園で、作庭時期は江戸時代初期と言われ、兼六園より古く兼六園のお手本になったと言われている。加賀八家(加賀藩重臣の門閥)の筆頭・本多家が屋敷地として拝領した場所で、市内では唯一残る加賀八家ゆかりの庭園。敢えて今風な作庭にはしないようにすることで、約8割は江戸時代のままの姿となっている。
建物は、前田家の寿々姫が家臣の本多家に輿入れする蔡に造営した御対面所。
右にある建物は武器庫だった所で、現在は作陶家のアトリエとなっている。
行った10月末は、一部だけだが紅葉し始めていた。
犀川の南側
金城霊沢(きんじょうれいたく) この泉で砂金を新井「金洗沢(かねあらいのさわ)」と呼ばれ、「金沢」の地名の起こりとなった。
黒川紀章氏設計の 本多の森ホール:
谷口吉郎氏設計の 鈴木大拙館:
松風閣
文化庁が50年間非公開としていたお庭で、隣接する鈴木大拙館がオープンする13年前に一緒に公開されることになったが、一切宣伝はしてはならないと言う条件とのこと! 池泉回遊式の庭園で、作庭時期は江戸時代初期と言われ、兼六園より古く兼六園のお手本になったと言われている。加賀八家(加賀藩重臣の門閥)の筆頭・本多家が屋敷地として拝領した場所で、市内では唯一残る加賀八家ゆかりの庭園。敢えて今風な作庭にはしないようにすることで、約8割は江戸時代のままの姿となっている。
建物は、前田家の寿々姫が家臣の本多家に輿入れする蔡に造営した御対面所。
右にある建物は武器庫だった所で、現在は作陶家のアトリエとなっている。
行った10月末は、一部だけだが紅葉し始めていた。
犀川の南側
HIMITO へ:
山錦楼 明治28年に創業した老舗料亭。大正末期から昭和初期に3階建の料亭や旅館が多く建てられた為、もとは2階建てだったが増改築をして現在の地上3階地下1階となった。犀川側からは4階建てに見える。
谷口吉郎・吉生記念金沢建築館 へ:
香林坊の地下パセオには、金沢城下図屏風の一部の壁画が。
武家屋敷 日本人は殆ど見かけず、白人外国人の観光客ばかりだった😲
水路が設けられていて、各武家屋敷には水が引き込まれていた。近くの和菓子屋さんのおかみさんが話して下さったのだが、今は「東茶屋町」に日本人観光客が流れ、「武家屋敷」界隈には外国人観光客が来るぐらいとのこと。
ホテルの屋上の露天風呂からの眺め
この日も金沢にもう一泊。その様子は:

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