6月のこの週末は、各地で天王祭が開催されていたが、今回は荏原神社例大祭と品川神社例大祭のそれぞれ天王祭を見に行くことに。
品川区では、品川神社・荏原神社・貴船神社の3つの神社で「例大祭」が開催され、品川神社の大祭を「北の天王祭」、荏原神社の大祭を「南の天王祭」と呼ぶ。
かつては荏原神社が品川総鎮守で、霊夢によって海面に神々しい光を放つ牛頭天王(須佐男之神)の御神面がこの地で見つけ出されたことから、御神域として禁漁区となり、八坂神社の祇園祭にならう神輿洗いの神事が行われたとのこと。天王祭は、宝治元年(1247年)に京都八坂神社より牛頭天王が荏原神社に勧請されたことに始まり、豊漁・豊作を祈願するお祭りとなったとのこと。
現在では目黒川は南に移動してしまったが、江戸時代までは荏原神社と品川神社の間に目黒川が流れていた為、旧目黒川を境にして、北品川を稲荷社(現 品川神社)にして、川の南北で「北品川宿」「南品川宿」となり、「品川神社」は「北品川宿」の鎮守、「荏原神社」は「南品川宿」の鎮守とした。
それぞれの例大祭の特徴は、北は富士塚を持つ境内への階段を神輿が渡り、南は海中渡御を行う(今年は海中渡御はなかったが)。
荏原神社の氏子区域は、天王洲、東品川全域、南品川全域、広町一部区域、北品川一部区域、八潮としており、天王洲という地名は、荏原神社で毎年、牛頭天王(ごずてんのう)の天王祭神面神輿海中渡御が行われていたため、その名前がついたとか。
荏原神社
和銅2年(709年)大和国丹生川上神社より高龗神(水神)の勧請を受けて南品川に創建したのに始まる。
宮本の大・中神輿
牛頭天王(須佐男之神)の御神面が見つかったことから、黒いお面が御神輿に付いている。
品川区では、品川神社・荏原神社・貴船神社の3つの神社で「例大祭」が開催され、品川神社の大祭を「北の天王祭」、荏原神社の大祭を「南の天王祭」と呼ぶ。
かつては荏原神社が品川総鎮守で、霊夢によって海面に神々しい光を放つ牛頭天王(須佐男之神)の御神面がこの地で見つけ出されたことから、御神域として禁漁区となり、八坂神社の祇園祭にならう神輿洗いの神事が行われたとのこと。天王祭は、宝治元年(1247年)に京都八坂神社より牛頭天王が荏原神社に勧請されたことに始まり、豊漁・豊作を祈願するお祭りとなったとのこと。
現在では目黒川は南に移動してしまったが、江戸時代までは荏原神社と品川神社の間に目黒川が流れていた為、旧目黒川を境にして、北品川を稲荷社(現 品川神社)にして、川の南北で「北品川宿」「南品川宿」となり、「品川神社」は「北品川宿」の鎮守、「荏原神社」は「南品川宿」の鎮守とした。
それぞれの例大祭の特徴は、北は富士塚を持つ境内への階段を神輿が渡り、南は海中渡御を行う(今年は海中渡御はなかったが)。
荏原神社の氏子区域は、天王洲、東品川全域、南品川全域、広町一部区域、北品川一部区域、八潮としており、天王洲という地名は、荏原神社で毎年、牛頭天王(ごずてんのう)の天王祭神面神輿海中渡御が行われていたため、その名前がついたとか。
荏原神社
和銅2年(709年)大和国丹生川上神社より高龗神(水神)の勧請を受けて南品川に創建したのに始まる。
宮本の大・中神輿
牛頭天王(須佐男之神)の御神面が見つかったことから、黒いお面が御神輿に付いている。
コメント