荏原神社例大祭の「天王祭」と平行して行われている品川神社例大祭の「天王祭」。荏原神社例大祭の様子は:
文治3年(1187年)、源頼朝が安房国の洲崎神社から、海上交通安全と、祈願成就の守護神として、安房国の洲崎明神である天比理乃咩命を勧請して祀り、品川大明神と称したのが始まり。
まず境内に上がるには、側道もあるが鳥居をくぐる。鳥居の両脇には、双龍鳥居となっていて、右側は「降り龍」となっており、屋台で隠れているが左側は「昇り龍」。

各町会にも獅子頭などが展示されている。昭和初年まで、安全組合(北浜町会)の獅子山車に付けられていたもので、獅子頭を担いで反物の中に子供達が入り巡行したこともあるのだそう。この獅子頭は明治22年に作られたもの。
北三丁目の御神輿
北二丁目の御神輿
御神輿は台座に穴が無く、担ぎ棒は台座下部に凹部がつけられていて、鳳凰と蕨手と担ぎ棒を太い綱で締め上げて固定し、脇に大拍子(だいびょうし)を取り付け、品川拍子を打ちながら渡御を行うので、縦棒は台座下の二本のみで、担ぎ手は前後に付けられた横棒を担ぐ。
北一丁目の御神輿
どの御神輿にも付いている赤いお面は、天下一嘗の面(国常立尊面・赤面さま)と言われる面。
慶長5年(1600)、徳川家康が関ヶ原の戦いに出陣の際に戦勝を品川神社で祈願し、勝利の御礼として面を奉納。もとは舞楽の演目の「二の舞」に用いられる面で、室町時代中期に作られたとみられ、江戸時代の中頃の疫病が流行したある年に、「この面を神輿に付け町々を廻れば苦しみから救う」との神様のお告げがあり、以来、6月の例大祭にはこのお面をお神輿につけて渡御し、無病息災・幸福招来を祈願しているのだそう。
山車巡行
山手通りも渡御するので、その間だけ警察が一車線を止めての巡行となり、ドライバーさん達はビックリ。
品川神社の宮神輿が巡行する前に、まず、笙などを演奏する3人の方々が、お詣りする各所で演奏。
その後、白装束の方々と共に鳳輦(ほうれん)が運ばれて行く。
各所で、神主さん?のお詣りがある。
中神輿の渡御
品川神社前では、神社から各町の名前の付いた提灯を持った人達が出て来て、北品川三丁目の交差点を渡って北馬場参道通りへ。
その提灯の人達やかみしもを着た人達がやって来て、階段でスタンバイ。
中神輿が北馬場参道通りから北品川三丁目の交差点に登場。
そして品川神社下に中神輿着御
正面石段で、中神輿よりも軽い惣町神輿を担ぎ昇り宮入り
良く良く見ると、女性も担いでいる!!

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文治3年(1187年)、源頼朝が安房国の洲崎神社から、海上交通安全と、祈願成就の守護神として、安房国の洲崎明神である天比理乃咩命を勧請して祀り、品川大明神と称したのが始まり。
まず境内に上がるには、側道もあるが鳥居をくぐる。鳥居の両脇には、双龍鳥居となっていて、右側は「降り龍」となっており、屋台で隠れているが左側は「昇り龍」。

その先には53段の階段。結構な勾配がある。
石造烏居は、慶安元年(1648)三代将軍徳川家光公の側近・堀田正盛公の奉納によるもので、鳥居は都内では上野東照宮に次いで二番目に古い。
拝殿前では、大勢の人が列を作ってお詣りの順番を待っていた。
富士塚(品川富士)
明治2年(1869)から明治5年(1872)にかけての築造されたもので、この富士塚に登ることで本物の富士山に登った時と同じ御利益があるとする「富士信仰」に基づくものとのこと。
神楽殿
品川拍子と言われる拍子で渡御が行われる。品川天王祭が行われる北品川・南品川・東品川の限定された地域において、笛と大拍子によって神輿の運行を指揮する独特の拍子で、神輿はこの拍子(曲目)に合った担ぎ方をしなければならない。品川神社では、締め太鼓を神輿に取り付け、笛と太鼓による品川拍子で氏子中を渡御するのが慣例になっており、現在の拍子は、明治時代に小関地区の島田長太郎が品川神社太太神楽の太鼓の拍子に、江戸の囃子の笛の拍子を採り入れたのが元になっていると言われる。
各町会にも獅子頭などが展示されている。昭和初年まで、安全組合(北浜町会)の獅子山車に付けられていたもので、獅子頭を担いで反物の中に子供達が入り巡行したこともあるのだそう。この獅子頭は明治22年に作られたもの。
北三丁目の御神輿
北二丁目の御神輿
御神輿は台座に穴が無く、担ぎ棒は台座下部に凹部がつけられていて、鳳凰と蕨手と担ぎ棒を太い綱で締め上げて固定し、脇に大拍子(だいびょうし)を取り付け、品川拍子を打ちながら渡御を行うので、縦棒は台座下の二本のみで、担ぎ手は前後に付けられた横棒を担ぐ。
北一丁目の御神輿
どの御神輿にも付いている赤いお面は、天下一嘗の面(国常立尊面・赤面さま)と言われる面。
慶長5年(1600)、徳川家康が関ヶ原の戦いに出陣の際に戦勝を品川神社で祈願し、勝利の御礼として面を奉納。もとは舞楽の演目の「二の舞」に用いられる面で、室町時代中期に作られたとみられ、江戸時代の中頃の疫病が流行したある年に、「この面を神輿に付け町々を廻れば苦しみから救う」との神様のお告げがあり、以来、6月の例大祭にはこのお面をお神輿につけて渡御し、無病息災・幸福招来を祈願しているのだそう。
山車巡行
山手通りも渡御するので、その間だけ警察が一車線を止めての巡行となり、ドライバーさん達はビックリ。
品川神社の宮神輿が巡行する前に、まず、笙などを演奏する3人の方々が、お詣りする各所で演奏。
その後、白装束の方々と共に鳳輦(ほうれん)が運ばれて行く。
各所で、神主さん?のお詣りがある。
中神輿の渡御
品川神社前では、神社から各町の名前の付いた提灯を持った人達が出て来て、北品川三丁目の交差点を渡って北馬場参道通りへ。
その提灯の人達やかみしもを着た人達がやって来て、階段でスタンバイ。
中神輿が北馬場参道通りから北品川三丁目の交差点に登場。
そして品川神社下に中神輿着御
正面石段で、中神輿よりも軽い惣町神輿を担ぎ昇り宮入り
良く良く見ると、女性も担いでいる!!

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