ルーマニア出身の彫刻家、コンスタンティン・ブランクーシ Constantin Brâncuşi(1876-1957)氏の「ブランクーシ 本質を象る」展。彫刻作品約20点に、絵画作品、写真作品を加えた、計89点で構成されている。
キャサリン・ソフィー・ドライヤー撮影「コンスタンティン・ブランクーシ」1924
「ブライド」1905 ロダンの影響を受けた作品。
ロダンの工房で働き、ロダンが粘土で作った作品を石に彫刻する仕事を任されたが、分業による制作に反発し、1ヶ月で辞めてしまった。「大樹の下では何も育たない」と。
「眠る幼児」1907 頭部だけで台座をやめて重力からの解放を意味しており、寝かせたまま展示する。
「接吻」1907-1910
素材からの直彫りで、写実的な表現のアンチテーゼとして。この作品はアーティゾン美術館所蔵で、昨年「ABSTRACTION」展で見た:
ブランクーシは、1914年頃から自ら作品を写真におさめている。
「接吻」1910年以降
「ミューズ」1918
「うぶごえ」1917
「眠れるミューズ II」1923 鼻のラインだけで女性を表現している。
キャサリン・ソフィー・ドライヤー撮影「コンスタンティン・ブランクーシ」1924
「ブライド」1905 ロダンの影響を受けた作品。
オーギュスト・ロダン作「カミーユ・クローデル」1889
ロダンの工房で働き、ロダンが粘土で作った作品を石に彫刻する仕事を任されたが、分業による制作に反発し、1ヶ月で辞めてしまった。「大樹の下では何も育たない」と。
「眠る幼児」1907 頭部だけで台座をやめて重力からの解放を意味しており、寝かせたまま展示する。
「接吻」1907-1910
素材からの直彫りで、写実的な表現のアンチテーゼとして。この作品はアーティゾン美術館所蔵で、昨年「ABSTRACTION」展で見た:
ブランクーシは、1914年頃から自ら作品を写真におさめている。
「接吻」1910年以降
「ミューズ」1918
「うぶごえ」1917
「眠れるミューズ II」1923 鼻のラインだけで女性を表現している。
「若い女のトルソ」1922
「若い男のトルソ II」1924
オシップ・ザッキン「ポモナ(トルソ)」1951
ブランクーシは、光の量や角度を変えて写真を撮っている。
「魚」1924-26
「雄鶏」1924
「空間の鳥」1926
最高傑作と言われている。「真なるものとは外面的な形ではなく、概念つまり事物の本質である」と。
小田急のロマンスカー VSE のデザインはこの作品を参考にしているのだとか。車体の前方部分のエッジ部分が、この「空間の鳥」の頭部分の斜めに切り取られたようなエッジ部分の影響を受けて。
初期の頃の鳥の作品は目や口などあったが、垂直的なフォルムになっていき、飛行機のプロペラを見てから、この作品になったと。
1926年、NYの個展に出品する為、パリからNYに船便で送ったところ、税関の職員が作品をアートとはみなさず、工業製品とされた。当時、芸術作品は無税だったが、関税が評価額の40%の関税として240ドルがかけられることになった。ブランクーシはアメリカ政府を訴えることに。過去の彫刻作品の定義では、彫刻作品は対象物と似ていることだった為、争点は鳥に見えるかどうかとなった。写実的なものが芸術だと思い込んでいた時代に、芸術とは何かという法廷となり、1年以上も裁判は続き、「新しい芸術の潮流がおこっている、自然の物体を模倣するのではなく、抽象的な概念を伝えようとしている、それは鳥には見えないものの美しく見るものに楽しみを与える芸術作品である」という判決で、ブランクーシの全面勝訴となった。
少しだが、素描などもあった。
「運命のピラミッド」1938 素描
ブランクーシと関係のあったアーティスト達の作品も:
アメディオ・モディリアーニ「若い農夫」1918
フランシス・ピカビア「アニメーション」1914
イサム・ノグチ「魚の顔 No.2」1983
マルセル・デュシャン
会場:アーティゾン美術館
会期:3月30日~7月7日’24
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