戸隠から大望峠展望台へ。北アルプスの山々が良く見える。
遠かったが、槍ヶ岳も良く見えた。
もう少し右に目をやると、鹿島槍ヶ岳など
もう少し右へと目を転じると、そこには戸隠連峰。
再び長野市へ。途中には、鯉のぼりが各所に飾られていた。
長野県立美術館へ。展覧会や建築などを見学:
ちょうど、八幡屋礒五郎 七味缶 百周年記念展も開催されていて、美術館前には、七味缶車まで!
歴代の缶のデザインもずらりと。
この後、槇文彦氏設計の長野市第一庁舎へ。
向いには、長野オリンピック会場にもなった長野市若里多目的スポーツアリーナ ビッグハットが。
宮本忠長氏設計の長野市立博物館:
川中島古戦場史跡へ。
永禄4年(1561年)に、武田信玄と上杉謙信が一騎打ちをしたと。
土塁の跡も残っている。
首塚なる場所も。激戦の後、武田側が、6000人以上の戦死者の遺体を敵味方なく集めて手厚く葬ったことに、上杉謙信は感激し、後に塩不足に悩んでいた武田氏に塩を送ったことから「敵に塩を送る」という言葉が出来たのだそう。
4泊5日の富山・長野旅行を終え、帰途へ。

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遠かったが、槍ヶ岳も良く見えた。
もう少し右に目をやると、鹿島槍ヶ岳など
長野県立美術館へ。展覧会や建築などを見学:
ちょうど、八幡屋礒五郎 七味缶 百周年記念展も開催されていて、美術館前には、七味缶車まで!
歴代の缶のデザインもずらりと。
この後、槇文彦氏設計の長野市第一庁舎へ。
市庁舎前には、中垣克久氏のマティスへのオマージュ作品が:
みかんぐみ設計のNHK長野放送会館へ:
宮本忠長氏設計の長野市立博物館:
川中島古戦場史跡へ。
永禄4年(1561年)に、武田信玄と上杉謙信が一騎打ちをしたと。
土塁の跡も残っている。
首塚なる場所も。激戦の後、武田側が、6000人以上の戦死者の遺体を敵味方なく集めて手厚く葬ったことに、上杉謙信は感激し、後に塩不足に悩んでいた武田氏に塩を送ったことから「敵に塩を送る」という言葉が出来たのだそう。
4泊5日の富山・長野旅行を終え、帰途へ。

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