重要文化財のジョサイア・コンドル Josiah Conder 氏設計(洋館・撞球室)の旧岩崎邸庭園へ。(以下、wikipedia 等より抜粋)

もともとの江戸時代の大名庭園から、明治時代初期に旧舞鶴藩主の牧野弼成邸となり、西郷隆盛の部下である桐野利秋の邸宅となり、明治11年(1878年)に三菱財閥初代の岩崎弥太郎が屋敷を構え、そして岩崎久弥と引き継がれた。終戦後、米国CIAキャノン機関に接収され、昭和23年(1948年)、米軍接収の旧岩崎邸を立教大学系の聖公会神学院が買い取り、和館を教室と説教場に、洋館は米軍が使用。。。と言う歴史がある。往事は、約1万5千坪の敷地に20棟もの建物があったが、今は3分の1の敷地となり、洋館・和館・撞球室の3棟のみ。

洋館 
ジョサイア・コンドル氏設計。1896年(明治29年)竣工。木造2階建、屋根はスレート葺き、外壁は下見板張り。正面玄関部分は平面四角形の塔屋となっていて、反側の南面は1階、2階とも列柱のある大きなベランダを設ける。晩年の作品に比べると装飾性が強く、内外装とも全体のスタイルや装飾は、17世紀初頭にイギリスで流行したジャコビアン様式を基調としている。
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南面のベランダには、コンドル氏が得意としたコロニアル様式がよく表れている。1階列柱はトスカナ式、2階列柱はイオニア式
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東側のサンルームは後年(1910年頃)の増築
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内部の写真撮影は平日は可能だが、週末は混雑するので不可とのこと。行ったのは週末だったが、全然混み合っていなかったんだけどなァ。何でも、2010年放送の大河ドラマ「龍馬伝」のロケ地となってい以降、撮影日が変わったのだとか。。。というわけで、内部画像はHPなどから:
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洋館1階婦人客室 天井はシルクのペルシャ刺繍、コーナーにはイスラム風のアーチ。
天井装飾、床のタイル、暖炉などの細部にはイスラム風のデザインを施すなど様々な様式を織り交ぜており、岩崎久弥の留学先だったペンシルベニアのカントリー・ハウスのイメージも取り込まれている。
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1階のベランダには、英国ミントン社製のタイルが目地無く敷き詰められている。
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金唐革紙の壁紙が貼られた婦人客室なども。
建設当時は多くの部屋や廊下の壁面に金唐革紙が貼られていたが、現在当時の壁紙は失われている。平成の修復に際して、2階の2部屋だけ金唐革紙が復元されている。
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和館
大河喜十郎氏(推定)設計。1896年(明治29年)竣工。
洋館と和館は船底天井の渡り廊下で結ばれ、当時の和洋折衷の生活スタイルを伝えている。村松貞次郎氏によると、完存していれば和館部分の方が洋館部分より文化財としての価値が高かったと、解体後に気がついたと! 往時は550坪に達する大邸宅で、洋館よりも広かったが、現存するのは大広間、次の間、三の間の3室と、茶室(待合室)、渡り廊下、お手洗いのみ。今では手に入らない木材などが使用されているのだそう。
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橋本雅邦氏が下絵を描いたとされる障壁画が床の間などに残っている。
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撞球室
ジョサイア・コンドル氏設計。1896年(明治29年)竣工。当時の日本では非常に珍しいスイスの山小屋風の造り。木造建築で、校倉造り風の壁、刻みの入った柱、軒を深く差し出した大屋根など、アメリカの木造ゴシックの流れを汲むデザイン。通行不可となっていたが、母屋からこの撞球室に行く地下トンネルもある。
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庭園
池を埋め立てて広大な芝庭とし、庭石・灯篭・築山などを配した和洋併置式の庭園として改修された。
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袖塀には、三菱の社章のデザインである岩崎家の家紋「三階菱」が彫刻されている。
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