川元良一氏設計。
川元氏は、旧丸ビル、九段開館、昭和2年竣工の青山同潤会アパートなどを設計された方。
昭和7年(1932年)竣工。銀座1丁目9番地に位置する。奥野商会創業者の初代奥野治助氏は、ゴム事業や鉄道車両の部品製造で財をなしたが、関東大震災に遭い、49坪の会社が倒壊焼失。2代目の奥野治助氏がこの旧銀座アパートメントを建て、ビルの奥には、今も奥野商会がある。
鉄筋コンクリート造り、地上6階、そしてペントハウスと地下1階。2~6階に、ワンフロア7戸の合計35戸で、1戸は台所付きの3.5坪。地下室には、全館暖房のボイラー室と共同浴場。ペントハウスのある屋上階には、洗濯室と物干場に談話室。20世紀初頭の産業化や都市化を反映した機能的なデザインとなっており、日本の集合住宅初のエレベーター、セントラルヒーティング、未だ珍しかった電話など、最新設備が整っていた。
歌手の佐藤千夜子、詩人の西条八十、作家の菊池寛、映画監督の溝口健二、女優の田中絹代らが住んでおり、集うサロンもあった。

川元氏は、旧丸ビル、九段開館、昭和2年竣工の青山同潤会アパートなどを設計された方。
昭和7年(1932年)竣工。銀座1丁目9番地に位置する。奥野商会創業者の初代奥野治助氏は、ゴム事業や鉄道車両の部品製造で財をなしたが、関東大震災に遭い、49坪の会社が倒壊焼失。2代目の奥野治助氏がこの旧銀座アパートメントを建て、ビルの奥には、今も奥野商会がある。
鉄筋コンクリート造り、地上6階、そしてペントハウスと地下1階。2~6階に、ワンフロア7戸の合計35戸で、1戸は台所付きの3.5坪。地下室には、全館暖房のボイラー室と共同浴場。ペントハウスのある屋上階には、洗濯室と物干場に談話室。20世紀初頭の産業化や都市化を反映した機能的なデザインとなっており、日本の集合住宅初のエレベーター、セントラルヒーティング、未だ珍しかった電話など、最新設備が整っていた。
歌手の佐藤千夜子、詩人の西条八十、作家の菊池寛、映画監督の溝口健二、女優の田中絹代らが住んでおり、集うサロンもあった。

色々な配線がむき出しだったり、廊下のすり減り方もなかなか凄い。かつてあった(今も表参道ヒルズに直結して一部分だけ残っているが)、青山同潤会アパートに雰囲気が似ている。
今は20室がアートギャラリーとなっており、3階のギャラリー「巷房」は、初めて入居した老舗。306号室はかつてあった「スダ美容室」で、オーナーの須田よしこさんは80年代に美容室を廃業して、住居として使用。最後の居住者で、享年100歳だった。この時は見られなかったが、内部は今でもその当時のまま保存されており、天井のRや、3つの鏡や電話台などが見られるとのこと。
左側が一期工事で昭和7年竣工、右側は二期工事で昭和9年竣工。当初は同時に建てる予定だったが、震災後による資金繰りから、新館が2年後に建てられることになった。時間差で建てられた為に差が出来たとのことだが、外観は合っているので、何故内部も同じ高さにしなかったのだろう???
コメント
コメント一覧 (4)
ここは一人で過ごす「隠れ家」みたいな・・・
私が昔住んでいた 独身寮の部屋が 幅3m 奥行き4mくらいでした
な~が nagacumatz
が
しました
寮で小説書いて 芥川賞を取った人とかはいません (^◇^;)
ケーキの記事も 拝見しましたが 赤はヤッパリ 心ひかれます
な~が nagacumatz
が
しました