舟越桂氏の「彫刻の森美術館 開館55周年記念 舟越桂 森へ行く日」展。
この展覧会の企画は、2023年3月に舟越桂氏に依頼し、準備が進められてきたが、今年3月29日に72歳で旅立たれてしまった。
木彫の材料は、クスノキの色が暖かいとのことで用い続けておられた。ひとつの彫刻作品を作る前に、数十枚ものデッサンを描き、クスノキから彫りだした後に、人間の彫刻だから色があるほうが自然だということで、白く地塗りをし、薄くのばした油絵の具で彩色し、絵の具が乾かないうちにパステルの絵の具を定着させているとのこと。眼が特徴的だが、削った白い大理石に黒眼の部分を鉛筆で描いて、上に樹脂を何層もかけてつやを出している。
心象人物と自ら名付けた人物像たちは、遠くを見つめているような外斜視気味に作りはじめたが、遠くを見つめることは自分を見つめることだと。怒りや悲しみをぶちまけるのではなく、それでも肯定していきたいと。展示作品の中には、松濤美術館の個展時と重複している作品も多い印象。(作品の撮影は不可の為、「青い体を船がゆく」以外の画像は、HPなどから)
「冬の本」1988 ある個展会場で見かけてモデルになってもらった作品。彼女のおじさまも彫刻家だった。
右「山と水の間に」1998
実在のモデルではなく、自分が感じたことを表現する彫刻。森を見た時に、人間の中に森があると感じたとのこと。
「水に映る月蝕」2003 52歳の作品。妊娠しているわけではなく、浮いている人の姿で、現実から少し切り離され自由になっている人、それは「祈り」であると。具体的な体のようなもので、「祈り」というものに姿を与えるとしたら、この彫刻となったのだそう。背中から左右逆に広げられた両手だが、デッサンを描き上げてからも、何枚も手の位置を変えたポーズでのデッサンを描き、試行錯誤。
「遠い手のスフィンクス」2006 53歳から作り始めたスフィンクスシリーズのひとつ。高橋龍太郎氏のコレクションのひとつ。革製の耳は野獣姓を、男性と女性の体つきとなっている。
左:「戦争をみるスフィンクス II」2006
イラク戦争の時期に作られた作品。ドイツロマン主義の詩人ノヴァーリス(1772~1802)の「青い花」の中の一辺スフィンクスが通りか合った少女に問いかける「世界を知るものは誰だ?」「自分自身を知るものよ」という場面に影響を受けたのだそう。右:「オーロラを見るスフィンクス」2013
左「青の書」2017
「海にとどく手」2016 東日本大震災の後に作られた作品。
「樹の水の音」2019
「青い体を船がゆく」2021
「DR1002」2008
「私は街を飛ぶ」の為のドローイング 2022
左:「支えられた記憶」のドローイング 二人の人間がひとつの胴体を持つ姿は、傷ついたラグビー選手をもうひとりが抱え歩く姿から生まれ、人間はひとりでは生きられない姿を表現したかったと。
「おもちゃのいいわけ」のための部屋 舟越氏のお子さん達に作ったおもちゃなどが展示されている。
右「立ったまま寝ないの!ピノッキオ!!」2007
「あの頃のボールをうら返した。」2019 舟越氏は、東京造形大学彫刻科に在学中、ラグビー部を立ち上げていた。2019年に世界的なラグビーの大会が日本で開催された際に、ラグビー経験のあるアーティストたちが集う展覧会「アートスクラム」に向けてつくられたもの。
「立てかけ風景画」2023~24
入院中のベッドでも、ティッシュペーパーの箱を切った厚紙に風景画を描き、ヨーグルトのカップを切って台とした。窓から見える雲は人の形となった。
今までに見た舟越桂氏の作品は多数あるので、そのリストは こちら
会場:彫刻の森美術館
会期:7月26日~11月4日’24
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この展覧会の企画は、2023年3月に舟越桂氏に依頼し、準備が進められてきたが、今年3月29日に72歳で旅立たれてしまった。
木彫の材料は、クスノキの色が暖かいとのことで用い続けておられた。ひとつの彫刻作品を作る前に、数十枚ものデッサンを描き、クスノキから彫りだした後に、人間の彫刻だから色があるほうが自然だということで、白く地塗りをし、薄くのばした油絵の具で彩色し、絵の具が乾かないうちにパステルの絵の具を定着させているとのこと。眼が特徴的だが、削った白い大理石に黒眼の部分を鉛筆で描いて、上に樹脂を何層もかけてつやを出している。
心象人物と自ら名付けた人物像たちは、遠くを見つめているような外斜視気味に作りはじめたが、遠くを見つめることは自分を見つめることだと。怒りや悲しみをぶちまけるのではなく、それでも肯定していきたいと。展示作品の中には、松濤美術館の個展時と重複している作品も多い印象。(作品の撮影は不可の為、「青い体を船がゆく」以外の画像は、HPなどから)
再現されたアトリエの様子「妻の肖像」1979-80 27歳の結婚し立ての頃の妻をモデルにしている。クスノキを素材としている。
「砂と街と」1986 イタリアのトマト缶のふたをブローチにしていたので、それを付けている。
天童荒太氏の「永遠の仔」の表紙。また、天童荒太氏が舟越氏のアトリエを訪れ、スフィンクスシリーズのひとつを見た時に天童氏が撮った画像が、「悼む人」の表紙となった。
「砂と街と」1986 イタリアのトマト缶のふたをブローチにしていたので、それを付けている。
天童荒太氏の「永遠の仔」の表紙。また、天童荒太氏が舟越氏のアトリエを訪れ、スフィンクスシリーズのひとつを見た時に天童氏が撮った画像が、「悼む人」の表紙となった。
「冬の本」1988 ある個展会場で見かけてモデルになってもらった作品。彼女のおじさまも彫刻家だった。
右「山と水の間に」1998
実在のモデルではなく、自分が感じたことを表現する彫刻。森を見た時に、人間の中に森があると感じたとのこと。
「水に映る月蝕」2003 52歳の作品。妊娠しているわけではなく、浮いている人の姿で、現実から少し切り離され自由になっている人、それは「祈り」であると。具体的な体のようなもので、「祈り」というものに姿を与えるとしたら、この彫刻となったのだそう。背中から左右逆に広げられた両手だが、デッサンを描き上げてからも、何枚も手の位置を変えたポーズでのデッサンを描き、試行錯誤。
「遠い手のスフィンクス」2006 53歳から作り始めたスフィンクスシリーズのひとつ。高橋龍太郎氏のコレクションのひとつ。革製の耳は野獣姓を、男性と女性の体つきとなっている。
左:「戦争をみるスフィンクス II」2006
イラク戦争の時期に作られた作品。ドイツロマン主義の詩人ノヴァーリス(1772~1802)の「青い花」の中の一辺スフィンクスが通りか合った少女に問いかける「世界を知るものは誰だ?」「自分自身を知るものよ」という場面に影響を受けたのだそう。右:「オーロラを見るスフィンクス」2013
左「青の書」2017
「海にとどく手」2016 東日本大震災の後に作られた作品。
「樹の水の音」2019
「青い体を船がゆく」2021
「DR1002」2008
「私は街を飛ぶ」の為のドローイング 2022
左:「支えられた記憶」のドローイング 二人の人間がひとつの胴体を持つ姿は、傷ついたラグビー選手をもうひとりが抱え歩く姿から生まれ、人間はひとりでは生きられない姿を表現したかったと。
「おもちゃのいいわけ」のための部屋 舟越氏のお子さん達に作ったおもちゃなどが展示されている。
右「立ったまま寝ないの!ピノッキオ!!」2007
「あの頃のボールをうら返した。」2019 舟越氏は、東京造形大学彫刻科に在学中、ラグビー部を立ち上げていた。2019年に世界的なラグビーの大会が日本で開催された際に、ラグビー経験のあるアーティストたちが集う展覧会「アートスクラム」に向けてつくられたもの。
「立てかけ風景画」2023~24
入院中のベッドでも、ティッシュペーパーの箱を切った厚紙に風景画を描き、ヨーグルトのカップを切って台とした。窓から見える雲は人の形となった。
今までに見た舟越桂氏の作品は多数あるので、そのリストは こちら
会場:彫刻の森美術館
会期:7月26日~11月4日’24
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