彫刻家の朝倉文夫氏(1883~1964)のアトリエ。もともと、1907年(明治40年)に25歳の若さで、大きな銅像制作の為に、地下から上階回転台上で制作できるようにと設計。1935年(昭和10年)には、住宅・別荘・彫塑塾・宿泊所などを備えた朝倉彫塑館は、国の有形文化財に、敷地全体は国の名勝に指定されている。
建物の上から、何やら見下ろしている人が!
「砲丸」1924(大正13年)
「雲」1908年(明治41年)
内部は限られた所からだけ撮影可能。
アトリエは非常に天井高が8.5メートルと非常に高く、巨大な大隈重信像があるが、それは電動昇降台の上に載っている。三方向から自然光を取り入れていて、屋外に像を置いた時の光と陰についても配慮しているとのこと。
中庭には、「五典の池」が配されている。
1階には、書斎や応接室、天王寺玄関、居間、茶室、寝室、ピアノの間などがあるが、撮影不可。
2階の素心の間などがあるが、撮影不可。
3階 朝陽の間 壁は赤い瑪瑙壁と白い貝壁となっている。
中庭を見下ろすと、いかに大きな敷地かわかる。
屋上に上がることが出来る。
朝倉氏生前には、菜園として使われ、オリーブの木が今もある。
「ウォーナー博士像」1964
下から見上げていた「砲丸」が!
屋根の上に「浴光」の女性像が載る建物は、唯一の大正13年の建物である旧アトリエ。非公開💧
屋上から階下に降ると、、、
「蘭の間」 もともとは蘭の栽培の為の温室だったとのこと。
巨大な像の制作の為には昇降機が欠かせないが、朝倉氏としては趣味に合わなかったのだそうだが、アトリエは鉄筋コンクリート造りとしなければならず。鉄筋コンクリート造りと数寄屋造りとの調和が問題となるが、外観全体を遠望される場所がないから気にしないと😂 タイル張りは安っぽいので、コンクリート打ちっぱなしとし、防水にコールタールを使って、黒だと汚れも目立たず、光線の反射でご近所迷惑にもならないと。

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建物の上から、何やら見下ろしている人が!
「砲丸」1924(大正13年)
「雲」1908年(明治41年)
内部は限られた所からだけ撮影可能。
アトリエは非常に天井高が8.5メートルと非常に高く、巨大な大隈重信像があるが、それは電動昇降台の上に載っている。三方向から自然光を取り入れていて、屋外に像を置いた時の光と陰についても配慮しているとのこと。
中庭には、「五典の池」が配されている。
1階には、書斎や応接室、天王寺玄関、居間、茶室、寝室、ピアノの間などがあるが、撮影不可。
2階の素心の間などがあるが、撮影不可。
3階 朝陽の間 壁は赤い瑪瑙壁と白い貝壁となっている。
中庭を見下ろすと、いかに大きな敷地かわかる。
屋上に上がることが出来る。
朝倉氏生前には、菜園として使われ、オリーブの木が今もある。
「ウォーナー博士像」1964
下から見上げていた「砲丸」が!
屋根の上に「浴光」の女性像が載る建物は、唯一の大正13年の建物である旧アトリエ。非公開💧
屋上から階下に降ると、、、
「蘭の間」 もともとは蘭の栽培の為の温室だったとのこと。
巨大な像の制作の為には昇降機が欠かせないが、朝倉氏としては趣味に合わなかったのだそうだが、アトリエは鉄筋コンクリート造りとしなければならず。鉄筋コンクリート造りと数寄屋造りとの調和が問題となるが、外観全体を遠望される場所がないから気にしないと😂 タイル張りは安っぽいので、コンクリート打ちっぱなしとし、防水にコールタールを使って、黒だと汚れも目立たず、光線の反射でご近所迷惑にもならないと。

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