国立西洋美術館の常設展 <1> からの続き。

エミール・ベルナール 「吟遊詩人に扮した自画像」 1892
エミール・ベルナール 「吟遊詩人に扮した自画像」 1892

ポール・ランソン 「ジギタリス」 1899
ポール・ランソン 「ジギタリス」 1899

ピエール・ボナール 「坐る娘と兎」 1891 
ゴーガンに触発されて結成された若き芸術家集団ナビ派の一員。
平面性と装飾性を強く打ち出したスタイルはこの時期のボナールに特有のもの。
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モーイス・ドニ 「踊る女たち」 1905
これは愛知県は小牧市にある メナード美術館 で見たような・・・その様子は こちら
モーイス・ドニ 「踊る女たち」 1905

ピエール=オーギュスト・ルノワール 「横たわる浴女」 1906
ピエール=オーギュスト・ルノワール 「横たわる浴女」 1906

ピエール=オーギュスト・ルノワール 「ばらをつけた女」 1910年頃
ピエール=オーギュスト・ルノワール 「ばらをつけた女」 1910年頃

アルベール・グレーズ 「収穫物の脱穀」
アルベール・グレーズ; 1881年-1953年 「収穫物の脱穀」

ジョルジュ・ブラック 「静物」 1910-11
ブラックは、ピカソと共同で20世紀初頭のキュビスムを創始した。接近した距離から見下ろしたテーブルとその上に並んだ事物を、複数の視線から捉えた面の組み合わせによって描かれている。1911年夏以降、より均質な構成へと洗練されるが、この作品はキュビスムの原初的な造形意識がある。
ジョルジュ・ブラック 「静物」 1910-11

パブロ・ピカソ 「アトリエのモデル」 1965
パブロ・ピカソ 「アトリエのモデル」 1965

ホアン・ミロ 「絵画」 1953
スペインはバルセロナ生まれ。1920年代にシュルレアリスム運動への参加で注目を浴びる。戦後、記号化された原初的モチーフや線や色紙などの断片的な形象による画面構成という独自の作風を築く。
ホアン・ミロ 「絵画」 1953

ジャクソン・ポロック 「ナンバー8、1951 黒い流れ」 1951
抽象表現主義の画家。床に広げたカンヴァス一面に塗料を撒き散らすと言う独創的なスタイルで、絵画の概念を変えた。1951年に一変し、具象作品を制作。この作品は具象と抽象の緊張関係が見える。
ジャクソン・ポロック 「ナンバー8、1951 黒い流れ」 1951

パブロ・ピカソ 「男と女」 1969
パブロ・ピカソ 「男と女」 1969

藤田嗣治 「坐る女」 1929
藤田嗣治 「坐る女」 1929

モーリス・ド・ヴラマンク 「町役場」 1920
モーリス・ド・ヴラマンク 「町役場」 1920

ジョルジュ・ルオー 「リュリュ(道化の顔)」 1952
ジョルジュ・ルオー 「リュリュ(道化の顔)」 1952

ジョルジュ・ルオー 「道化師」 1937-38
ジョルジュ・ルオー 「道化師」 1937-38

マックス・エルンスト 「石化した森」 1927
これは、愛知県美術館でやっていた マックス・エルンスト展 で見たかな。その様子は こちら
マックス・エルンスト 「石化した森」 1927

ロダンの彫刻も目白押し。
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オーギュスト・ロダン 「うずくまる女」 1882年頃
オーギュスト・ロダン 「うずくまる女」 1882年頃

レオナルド・ビストルフィ 「死の花嫁たち」 
レオナルド・ビストルフィ 「死の花嫁たち」 

オーギュスト・ロダン 「地獄の門」 18809-90年頃・1917年(原型)・1930ー33(鋳造)
地獄の門上部から見下ろしている、「考える人」は誰なのか? ロダンなのかダンテなのか? 37年間かかった作品で未完成。因みに、「考える人」の元の作品名は「詩人」。鋳造したリュディエが名付けた。ミケランジェロの作品に影響を受けて造られたと言われている。お

オーギュスト・ロダン 「アダム」 1881(原型)
オーギュスト・ロダン 「アダム」 1881(原型)

オーギュスト・ロダン 「エヴァ」 1907年(原型)・.1945年(鋳造)
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オーギュスト・ロダン 「カレーの市民」 1884-88年(原型)、1953年(鋳造)
英仏が戦った百年戦争で、カレー市が英国に包囲され貴族6人が犠牲になれば市民は助かるとのことで、市の門の鍵を持って英国に投降する6人の貴族の姿。英雄でも悩まないわけはないと言う姿。カレー市は完成から7年後に認めた。
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常設展だけでも、なかなか見ごたえがあり、時間が足りないぐらいだった。
後で知ったのだが、常設展だけだと入館料はわずか500円、金曜・土曜の午後5時以降は無料と言う太っ腹ぶりにも驚いた。