東京駅を設計した近代建築の父と言われる辰野金吾氏(1854~1919)による。重要文化財。

嘉永7年(1854年)唐津藩の下級武士の家に生まれ、17歳の時に、同い年でアメリカ留学の経験から英語教師をしていた高橋是清氏から藩の学校で洋学を学ぶ。東大工学部の前身の工部大学校になんとか入学するも試験結果は最下位だったが、ジョサイヤ・コンドル氏のもと、首席で卒業。
官費留学生としてロンドンで建築を学び、渋沢栄一氏に見出され、渋沢氏の邸宅を設計するなどした。その渋沢氏のつてがあった為かは推測の域を出ないそうだが、34歳の時に、日本銀行本店本館の設計をすることになる。14ヶ月にわたり、アメリカ、イギリス、ベルギーに於いて、中央銀行の調査研究を行い、石造の古典主義様式を設計。
明治23年に工事着工。814坪の敷地に厚さ2メートル60センチのコンクリートの基礎が打ち込まれたものの、日清戦争による資材不足や職人達とのいさかいなどで工期は遅れたが、高橋是清氏(後に第7代日本銀行総裁、大蔵大臣、内閣総理大臣)が建築事務主任となり、各工区を分けてそれぞれ職人のグループに担当させ、早く作業が進むと報奨金を出すことにして工事を成功させ、明治29年(1896年)竣工。縦・横60メートル、高さ25メートルの3階建ては、125年前の姿のまま。
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火災防止と盗難防止に重きをおき、窓にはイギリス式の防火シャッター。正面には、古典主義の堅牢な柱がならぶ障壁。障壁には長方形の窓があり、お城では狭間と言われる外敵や内戦での有事の際の銃眼の窓と思われる。背後に建つ白いビルは、日本銀行本店新館。
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ドライエリアと言われる濠がある。地下の通気や明かり取りに使われているが、有事の際には、日本橋川から水を引いて、地下の金庫室を還水させ、侵入者を妨げる用途もあったとのこと。�​�
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中庭は列柱に囲まれている。1階部分の柱は、円柱に削り出された一本の花崗岩。2階と3階の柱の装飾も辰野金吾氏のデザイン。馬車などで運ばれてきたお札や銀塊や金塊は、まずこの中庭に降ろされ、障壁部分に設置されていた水圧式の荷物用エレベーターで地下の金庫へと搬入された。
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馬車が使われていた時の馬用の水飲み場。
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2階への階段は画像にはないが、蹴上の高さは通常平均18~20センチだが、15.5センチと低め。

旧役員室 天井の八角形は、本館ドーム屋根の真下となり、八角室と呼ばれている。第15代日本銀行総裁の結城豊太郎氏の時代には総裁室として使用されていた。(撮影不可の為、画像はHPより)
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金庫室の設計は、辰野氏がアメリカやイギリスの金庫の製造会社を訪れて学んだもの。辰野氏没後の昭和7年(1932年)の金庫室拡張時に、アメリカのヨーク社製のこの分厚い鋼鉄の金庫扉が設置された。
奥の黄色い扉は、創建当時の金庫。最初の金庫扉は、イギリスのホッブスハート社製。(写真撮影不可の為、この画像はHPから)
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地下金庫は、耐火煉瓦で仕切られた部屋が3つ。ひとつの部屋は広く、金塊や紙幣を保管していた。1階から上の煉瓦などはかなり関東大震災で焼けてしまったが、地下金庫だけは焼けずに残っていたので、貴重な場所となっている。貨物用エレベーターで地下におろした現金をトロッコに載せ、回廊を巡るこのフランスのドコービル社製のレールで搬送。
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イギリスの金庫扉を元に制作された国産の金庫扉の厚さは10センチで、山田金庫が金庫扉製造を請け負った。
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創建当時の煉瓦には、カタカナなどで記号が書かれていたりも。
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床に換気設備としての排気孔がある。別棟の機械室から送られた空気を壁の上にある給気孔から取り入れ、床の排気孔から戻していたのだそう。
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フェイクのお札や金塊が、イメージしやすいようにと置かれている。�​�
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世界初のお札の自動鑑定機
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花崗岩の床の客だまりは吹き抜けとなっており、1階は営業場の窓口だった。日本銀行は一般市民に開かれた銀行ではく、客だまりの奥で、禁輸期間の預金の出し入れや貸出業務、政府の預金口座の受け払い、国債の事務作業が行われていた。
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壁には唐草模様の漆喰の装飾が施されている。
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創建当時は、自家発電のわずかな光しかなかった為、ガラス張りの天井から光を取り入れていた。
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スカイツリーの重量の2倍があり、耐震も問題ないとのこと。当時は、業務の始業は3回、終業は4回、拍子木を打ち鳴らすことによって伝えていた。

ビルを上から見ると「円」という文字に見えるが、辰野氏は円の漢字を意識して設計してはおらず。(画像はHPから)
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1万円札の寿命は4−5年、千円札は1−2年くらいで役割を終えて廃棄されるのだそう。日本銀行でお札の寿命を管理しているので、無効化されたものはこのように裁断され、それをいただいたが、裁断前のお札をいただきたかったなァ😂
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こんなお菓子も売っていた。
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