二条城で開催されていたアンゼルム・キーファー展が目的のひとつだったが、二条城も見学。
アンゼルム・キーファー展の様子は:
徳川家康が、都および朝廷のある京都に江戸城の分身の役割として徳川幕府の武威を示すため、京都御所・公家町(現在の京都御苑および冷泉家一帯)および洛中の守護並び上洛時の居城として造営した城。慶長6年(1601年)築城。
東大手門 重要文化財
二条城の正門で、寛文2年(1662年)頃の建築。
天守閣跡 かつては伏見城から移築された五重六階の天守閣があったが、落雷で焼失したとのこと。本丸御殿の建物が見える。
本丸庭園 明治29年(1896年)に明治天皇の指示によって作られた庭園。
本丸御殿 重要文化財
内部は撮影禁止の為、以下の画像はHPから
御書院 一の間
御常御殿 松鶴の間
御書院 四季の間
御常御殿障壁画、狩野永岳筆《松鶴図》
御常御殿障壁画、中島来章筆《四季草花図》
北中仕切門
本丸櫓門
鳴子門 重要文化財
寛永3年(1626年)頃の建築。正面と背面に4本の控柱を立てた四脚門。四脚門がお城で使われることは少なく、二条城では唐門があるのみとのこと。
清流園 昭和40年(1965年)に作庭された和洋折衷の庭園。
北大手門 重要文化財
慶長8年(1603年)の築城時からこの場所にあるが、現在のものがその時のものか、寛永行幸時(1626年)に建て替えられたかは不明なのだそう。上述の東大手門より3間(6メートル)短く、一回り小さいが、奥行きや高さは同じで出格子窓に石落としも備えているのも同様。東大手門のような飾金物や金箔や座金は使っていない。
台所・御清所
普段は公開していないが、展覧会のお陰で見ることが出来た。
土蔵(米蔵)重要文化財
御殿台所を北と東に囲うようにあったが、明治末に東側が撤去され、今は北側23間半が残っており、寛永以前からあったかどうかは不明え、城に土蔵が残るのは二条城だけとのこと。
唐門 重要文化財
切妻造、桧皮葺の四脚門に、唐破風がつく。
長寿を意味する松竹梅に鶴
二の丸御殿 国宝
お部屋は33室、800畳余りもあるが、撮影禁止の為、画像はHPから。
遠侍 三の間 《竹林群虎図》
大広間 三の間 厚さが35センチの檜の板を両側から透かし彫りした欄間の彫刻。
大広間 一の間・二の間
将軍と大名や公郷衆との公式の対面所。上段の間である一の間で、将軍は南を向いて座り、床の間に三幅対の掛け軸をかけ、違棚には工芸品などを飾っていたとのこと。障壁画は狩野探幽筆。
黒書院 大広間に次ぐ公式の場。襖絵は探幽の弟である尚信筆。
大広間 四の間 将軍上洛時に葺きをおさめた場所。
四の間障壁画《松鷹図》
式台 老中の間
遠侍 勅使の間 朝廷からの勅使を迎えた対面所。

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アンゼルム・キーファー展の様子は:
徳川家康が、都および朝廷のある京都に江戸城の分身の役割として徳川幕府の武威を示すため、京都御所・公家町(現在の京都御苑および冷泉家一帯)および洛中の守護並び上洛時の居城として造営した城。慶長6年(1601年)築城。
東大手門 重要文化財
二条城の正門で、寛文2年(1662年)頃の建築。
天守閣跡 かつては伏見城から移築された五重六階の天守閣があったが、落雷で焼失したとのこと。本丸御殿の建物が見える。
本丸庭園 明治29年(1896年)に明治天皇の指示によって作られた庭園。
本丸御殿 重要文化財
内部は撮影禁止の為、以下の画像はHPから
御書院 一の間
御常御殿 松鶴の間
御書院 四季の間
御常御殿障壁画、狩野永岳筆《松鶴図》
御常御殿障壁画、中島来章筆《四季草花図》
北中仕切門
本丸櫓門
鳴子門 重要文化財
寛永3年(1626年)頃の建築。正面と背面に4本の控柱を立てた四脚門。四脚門がお城で使われることは少なく、二条城では唐門があるのみとのこと。
清流園 昭和40年(1965年)に作庭された和洋折衷の庭園。
北大手門 重要文化財
慶長8年(1603年)の築城時からこの場所にあるが、現在のものがその時のものか、寛永行幸時(1626年)に建て替えられたかは不明なのだそう。上述の東大手門より3間(6メートル)短く、一回り小さいが、奥行きや高さは同じで出格子窓に石落としも備えているのも同様。東大手門のような飾金物や金箔や座金は使っていない。
台所・御清所
普段は公開していないが、展覧会のお陰で見ることが出来た。
土蔵(米蔵)重要文化財
御殿台所を北と東に囲うようにあったが、明治末に東側が撤去され、今は北側23間半が残っており、寛永以前からあったかどうかは不明え、城に土蔵が残るのは二条城だけとのこと。
唐門 重要文化財
切妻造、桧皮葺の四脚門に、唐破風がつく。
長寿を意味する松竹梅に鶴
二の丸御殿 国宝
お部屋は33室、800畳余りもあるが、撮影禁止の為、画像はHPから。
遠侍 三の間 《竹林群虎図》
大広間 三の間 厚さが35センチの檜の板を両側から透かし彫りした欄間の彫刻。
大広間 一の間・二の間
将軍と大名や公郷衆との公式の対面所。上段の間である一の間で、将軍は南を向いて座り、床の間に三幅対の掛け軸をかけ、違棚には工芸品などを飾っていたとのこと。障壁画は狩野探幽筆。
黒書院 大広間に次ぐ公式の場。襖絵は探幽の弟である尚信筆。
大広間 四の間 将軍上洛時に葺きをおさめた場所。
四の間障壁画《松鷹図》
式台 老中の間
遠侍 勅使の間 朝廷からの勅使を迎えた対面所。
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