パリ・オルセー美術館所蔵の傑作約70点を中心に、国内外の重要作品も加えたおよそ100点の展覧会。会場では、指定された10作品程のみ撮影可能とのこと。それらの作品は:

エドガー・ドガ 《家族の肖像(ベレッリ家)》1858-1869年 

フランス革命や産業革命の後、王侯貴族の肖像から市民を主人公にした肖像に変化していき、描かれた中産階級の肖像画。美化したわけでもなく、真実を描いている。
フィレンツェに亡命していた画家の叔母の家族をモデルにしており、ドガの叔母であるラウラ、夫のジェンナーロ・ベレッリ、娘の10歳のジュリアと7歳のジョヴァンナが描かれており、ジェンナーロ・ベレッリ氏は、イタリアの独立運動で政治亡命をした為、家族の中では影が薄いのか、右側で背を向けた状態で描かれ、忠実や忠節を意味する動物である犬は右下で下半身だけ描かれている。犬のことはベレッリ氏のことを? 姉と異なり、妹は未だおてんばな様子。
エドガー・ドガ《家族の肖像(ベレッリ家)》1858-1870
絵の中の絵は、ドガの亡くなったおじいさんで、遺影のような肖像画となっている。
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ピエール=オーギュスト・ルノワール《ピアノを弾く少女たち》1892 
モネに代表される印象派のタッチは、分割したり明るい色彩をとらえようとするが、1870年代にその方法を人物に適応すると輪郭線がはっきりしない。その後、ルノワールは、印象派を否定したわけでなく、多彩な色彩を使って黒を殆ど使わず、試行錯誤して制作。色彩重視でも筆触重視ではない形態を成立させ、従来の印象派を越えた作品になったとのこと。
19世紀当時、ピアノを持つことは裕福さと文化的な生活を意味し、その演奏は上流階級の子女の嗜みとされていた。
ルノワールによる同様の構図の作品が6点知られているが、最終的にこの作品をフランス国家が買い上げた。
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アルベール・バルトロメ《温室の中で》1881 
夫人を描いている。この作品で夫人が着たサマードレスも展示されているのだが、そのウエストの細さには本当にビックリ💦
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クロード・モネ《睡蓮》1916年 国立西洋美術館蔵(松方コレクション) 
松方幸次郎が、フランスでモネから直接購入した作品。
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クロード・モネ(原画)、サヴォヌリー製作所《睡蓮》1913年 
「睡蓮」は、国立ゴブラン製作所が管理するサヴォヌリーの工房による毛織物の原画にも採用され、1913年に3点が完成したとのこと。
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ギュスターヴ・カイユボット《ヒナギクの花壇》1892~1893 
カイユボットが自宅の室内のために描いた装飾パネル。カイユボットは早くに亡くなり、一部のヒナギクが未完成のままで、四角い余白は、家具で隠れることを想定していたのかもとのこと。
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エルネスト・クォスト《バラ》1909~1916
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クロード・モネ《睡蓮、柳の反映》1916 
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以下の画像は撮影不可の為、ホームページから:

エドゥワール・マネ《エミール・ゾラ》1868
美術評論家のエミール・ゾラが、批難を受けていたマネの《オランピア》を擁護した評論を冊子として出版。そのゾラへの感謝をこめてマネが描いたもので、青色の表紙をした冊子が画中の机の上に置かれている。また、羽ペンやインク壺がゾラの職業を象徴している。
右上の壁には彼が称賛したマネの《オランピア》(オルセー美術館)や、マネが敬愛したスペインの巨匠ベラスケスによる《バッカスの勝利》(プラド美術館)の複製版画、そして相撲取りや屏風絵はマネが所有していたものとのこと。
エドゥアール・マネ《エミール・ゾラ》1868年

エドゥアール・マネ《ステファヌ・マラルメ》1876年 
友人の詩人。
エドゥアール・マネ《ステファヌ・マラルメ》1876年

ポール・セザンヌ《ギュスターヴ・ジェフロワ》1895-1897年
ポール・セザンヌ《ギュスターヴ・ジェフロワ》1895-1897

ジェームズ・ティソ《L. L.嬢の肖像》1864年
ジェームズ・ティソ《L. L.嬢の肖像》1864年

クロード・モネ《ルイ・ジョアシャン・ゴーディベール夫人》1868年
クロード・モネ《ルイ・ジョアシャン・ゴーディベール夫人》1868年

ポール・マテ《室内の子どもと女性》1890年頃
ポール・マテ《室内の子どもと女性》1890年頃

クロード・モネ《アパルトマン​の一隅》1875
セーヌ河畔のアルジャントゥイユで描かれた。少年はモネの長男ジャン、奥の窓辺には妻カミーユと思われる女性の姿が描かれているが、実際に見ると女性がより目立っていない印象だった。
クロード・モネ《アパルトマンの一隅》1875年

アルベール・ベナール《ある家族》1890年
アルベール・ベナール《ある家族》1890年

アンリ・ファンタン=ラトゥール《デュブール家の肖像》1878 
ファンタン=ラトゥールの奥さんの家族の肖像画で、家に居る奥さん達と、左の学校の先生をしている妹が描かれている。妹はコートを羽織り、手袋をはめようとしているのか、はずそうとしている状態。
アンリ・ファンタン=ラトゥール《デュブール家の肖像》1878年

フレデリック・バジール《バジ―ルのアトリエ(ラ・コンダミンヌ通り)》1870
もともと画家は職人的な存在だったが、19世紀になると芸術家や文化人となり、画家達の存在が大きくなっていくという​時代背景がある。
バジールは1868年から2年ほど、バティニョール地区のアトリエをルノワールと共有し、制作の場であり、また芸術家同士の交友の場にもなっていた。
ピアノを弾いているのはメートルという音楽好きの友人、中央に立つ長身の男性はバジ―ル自身、その前で杖のような物を持っているのはマネ、後ろはモネかエミール・ゾラではないか? 階段の上はルノワール?もしくはゾラ? 階段の下の男性は批評家?ルノワール?などと考えられるが、バジ―ルの姿はもともとなく、マネがバジ―ルのアトリエなのだからと、マネがバジ―ルを描き加えたとされている。もっと大きな作品かと思ったのだが、大きな空間を描いているが、案外小さいなと。
フレデリック

エルネスト・デュエズ《ランプを囲んで》1882年
エルネスト・デュエズ《ランプを囲んで》1882年

エドガー・ドガ《足治療師》1873年
エドガー・ドガ《足治療師》1873年

ピエール=オーギュスト・ルノワール《読書する少女》1874-1876年
ピエール=オ

エドゥアール・マネ《ピアノを弾くマネ夫人》1868
マネの描くシュザンヌ夫人。
エドゥアール・マネ《ピアノを弾くマネ夫人》1868年

エドガー・ドガ《マネとマネ夫人》1868~1869 北九州市立美術館蔵
右側が切れているが、ピアノを弾いている。
マネが、ドガの描いたマネ夫人の顔が気に入らず、マネが切り落としたのだそう。
エドガー・ドガ《マネとマネ夫人像》1868-1869年

フレデリック・コルデー《タペストリーを作るコルデー夫人》1879年
フレデリック・

エドガー・ドガ《背中を拭く女》1888-1892年頃思いのほか、大きな作品だった。タッチが粗い!
エドガー・ドガ《背中を拭く女》1888-1892年頃

ピエール=オーギュスト・ルノワール《大きな裸婦》1907年
ピエール=オーギュスト・ルノワール《大きな裸婦》1907年

エドゥアール・ドゥバ=ポンサン《エドゥアール・ドゥバ=ポンサン夫人》1885年
エドゥアール

ベルト・モリゾ《テラスにて》1874年
ベルト・モリゾ《テラスにて》1874年

ポール・セザンヌ《大きなデルフト陶器にいけられたダリア》1873年頃 
ポール・

アンリ・ランベール(絵付)、ウジェーヌ・ルソー(企画販売元)「セルヴィス・ランベール=ルソー」より 
「セルヴィス・ランベール」のセットでは、葛飾北斎や歌川広重、河鍋暁斎や幸野楳嶺らの明治期の版本からもモティーフが引用されており、この作品は、
江戸後期の画家、森春渓による虫類の画譜『肘下選蠕(ちゅうかせんぜん)』(あるいは『春渓画譜』)に収められたバッタの図と考えられているのだそう。
アンリ・

エミール・ガレ 花挿:湖水風景 1878年頃 
エミール・ガレ 花挿:湖水風景 1878年頃

クロード・モネ《七面鳥》1877年
クロード・モネ《七面鳥》1877年

エドゥアール・マネ《花の中の子ども(ジャック・オシュデ)》1876年 国立西洋美術館蔵 
上記《七面鳥》と同じく、実業家エルネスト・オシュデがパリ近郊モンジュロンに所有する城館内を装飾するために描かれた作品で、オシュデ家の長男ジャックがモデルとなっている。
エドゥアール・マネ《花の中の子ども(ジャック・オシュデ)》1876年

会場:国立西洋美術館
会期:10月25日~2月15日’26

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