以前と違ってずいぶん綺麗で治安も良くなったハーレムへ。
もともとオランダ人が高級住宅街として造った街で、オランダにある地名をとってハーレムと言われたが、現在はその地名は通称のみで実際の住所には存在しない。
奴隷解放後、サウスキャロライナとノースキャロライナからのアフリカ系の人々が移り住んで来た為、オランダ人が出て行った。しかしその後もAPOLLO劇場では白人のみ入場可能な状況が続き、1943年に暴動が発生。白人が出て行き、1950~60年には公民権運動のマーチンルーサーキング牧師やマルコムXの運動が盛んとなる。1960~70年代には、朝鮮戦争とベトナム戦争の帰還兵が住み着き、もはやマンハッタン名物のイエローキャブも行かないエリアとなった。
現在もイエローキャブは走っておらず、TLCハイヤーが行きかい、行き先までの値段交渉をするがそのハイヤーは100丁目よりも南でお客さんを拾ってはいけないとのこと。(ナンバープレートの前後にTとCの文字があるハイヤー)
ハーレムもモーニングサイドハイツより東側のブラックハーレムとそれよりも東のスパニッシュ(イースト)ハーレムに別れ、現在はイーストハーレムの方が治安が悪い。
奴隷解放後、サウスキャロライナとノースキャロライナからのアフリカ系の人々が移り住んで来た為、オランダ人が出て行った。しかしその後もAPOLLO劇場では白人のみ入場可能な状況が続き、1943年に暴動が発生。白人が出て行き、1950~60年には公民権運動のマーチンルーサーキング牧師やマルコムXの運動が盛んとなる。1960~70年代には、朝鮮戦争とベトナム戦争の帰還兵が住み着き、もはやマンハッタン名物のイエローキャブも行かないエリアとなった。
現在もイエローキャブは走っておらず、TLCハイヤーが行きかい、行き先までの値段交渉をするがそのハイヤーは100丁目よりも南でお客さんを拾ってはいけないとのこと。(ナンバープレートの前後にTとCの文字があるハイヤー)
ハーレムもモーニングサイドハイツより東側のブラックハーレムとそれよりも東のスパニッシュ(イースト)ハーレムに別れ、現在はイーストハーレムの方が治安が悪い。
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10ドル札の顔でもあるハミルトン邸 | かつてデューク・エリントンが4階に住んだ家 大江健三郎氏もわざわざ見に来たとか | 住んだというだけでnational historic landmarkに指定されるというのも不思議だが・・・(現在は一般人がその部屋に住んでいる) |
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ジョージ・ワシントンのかつての参謀本部の家(マンハッタンに4つあるマンションのうちの一つ)当時はここが一番マンハッタンでは高台で、ウオール街まで見渡せたとか ジョージ・ワシントンの死後再婚した奥さんの夫が上記ハミルトンとNJのウイーホーケンで決闘しハミルトンが死んだ | 向かいにある250年前の将校官舎(現在は一般住居として使用されている) |
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1940年頃タップダンサーとして有名だったBill「Bojangles」Robinsonのかつての住宅と彼の名のついた公園 | 数か月に一度プロによって塗り替えられるという壁画 |
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3年前に建てられたデューク・エリントンの像 | マルコムXの本拠地 |
アポロ劇場を見学。
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アポロ劇場外観 | 入口にはかつてのスター達の写真が | 丁寧に説明してくれた勤続20年以上のビリーさん デンゼル・ワシントンとも同級生とか |
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丁度改装工事を行っており、新しく出来た楽屋なども全て見せてもらえた。
シャワー室のみならず、ランドリールームまであった。
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ここで舞台の様子を見ながら出番を待つ | 個人の楽屋 | 丁度明日のアマチュアナイト(毎水曜)放送の打ち合わせ中 |
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