日本では相変わらず義理チョコなども含めチョコレート市場が賑わうバレンタインデーだが、こちらでのバレンタインデーは男性から女性に贈るのが通例でプレゼントもチョコレートとは限らない。
アメリカでも年々このバレンタインデー商戦が激化し、700億ドル市場と言われている。一人当たりの消費額は20ドル平均で主に花かキャンディーが一般的だが、最近はi-Podも人気とか。今日ばかりはオシャレなレストランは予約でいっぱいとなる。

1

日本でのバレンタインの定番がチョコレートになった由来は チョコレート戦争? HERSEY'S vs M&M'S で述べたが、では欧米での由来はどうなのか?
アメリカ人の友人に日本では女性から男性へチョコレートをプレゼントすることや、義理チョコの存在などを言ったところ、シャイな日本女性にはもってこいの良い催しだと面白がって聞いていたが、彼女曰く、バレンタインのアメリカでの商業化を皮肉ってグリーティングカード会社のHallmark社がアメリカで広めたのではないか?と冗談まじりに言っていた。
先日来よりテレビCMで、キスをする前の口臭予防のバレンタインデー版をやっていたので、義理プレゼントもないようだし、日本よりもよりカップルの日というイメージかも。

追記:
以前、韓国でも男性から女性にプレゼントすると書いたが、韓国では日本の影響を受けており女性から男性にやはりチョコレートなどを贈るようである。
台湾は男性から女性が通常で、2月14日以外にも贈る日があるとのこと。
一昨年、丁度バレンタインデー当日にペルーに居たが、ペルーでは男性が道を歩く不特定多数の女性に水をかけるなどしていてバレンタインデー恒例行事とのこと。女性はバラなど花を持っている人が多かった。

※バレンタインデーとは:wikipediaより

<歴史>

バレンタインデーの歴史は、ローマ帝国の時代にさかのぼると一般にいわれている。当時、ローマでは、2月14日は女神ユノの祝日だった。ユノはすべての神の女王であり、家庭と結婚の神でもある。翌2月15日は、豊年を祈願する(清めの祭りでもある)ルペルカリア祭の始まる日であった。当時若い男たちと娘たちは生活が別だった。祭りの前日、娘たちは紙に名前を入れた札を桶の中に入れることになっていた。翌日、男たちは桶から札を1枚ひいた。ひいた男と札の名の娘は、祭りの間パートナーとして一緒にいることと定められていた。そして多くのパートナーたちはそのまま恋に落ち、そして結婚した。

ローマ帝国皇帝クラウディウス2世は、愛する人を故郷に残した兵士がいると士気が下がるという理由で、ローマでの兵士の婚姻を禁止した。キリスト教司祭だった聖バレンタインは秘密に兵士を結婚させたが、捕らえられ、処刑された。処刑の日は、ユノの祭日であり、ルペルカリア祭の前日である2月14日があえて選ばれた。バレンタインはルペルカリア祭に捧げる生贄とされたのである。このためキリスト教徒にとっても、この日は祭日となり、恋人たちの日となった。

この逸話には歴史的背景の説明が必要である。初期のローマ教会は、当時の祭事から異教の要素を排除しようと努力した跡がみられる。ルペルカリア祭は排除すべきだが、ただ禁止しても反発を招くだけである。教会がとった方法は、この祭りに何かキリスト教に由来する理由をつけることだった。そこで兵士の結婚のために殉教したバレンタイン司教の助けを借りることにしたと考えられる。こうしてキリスト教以前からあったルペルカリア祭は、バレンタイン由来の祭りであると解釈を変更され、祭りはその後も続いた。前述のくじ引きでパートナーを選ぶ話も、ローマの宗教行事は野蛮であるという印象を与えるために初期キリスト教会によって創作されたものである可能性もある。

聖バレンタインに関する伝説は複数あり、没年が異なっていたり、細部が異なっていたりするものが複数伝えられている。

<欧米>

ヨーロッパなどでは花やケーキ、カードなどを恋人に贈る習慣がある。カードには、"From Your Valentine" と書いたり、"Be My Valentine." と書いたりもする。
チョコレートを恋人に贈る習慣は、19世紀後半のイギリスではじまった。キャドバリー社が2代目社長リチャード・キャドバリーが1868年に美しい絵のついた贈答用のチョコレートボックスを発売した。キャドバリーはこれに前後して、ハート型のバレンタインキャンディボックスも発売した。これらのチョコレートボックス等がバレンタインデーの恋人への贈り物に多く使われるようになり、後に他の地域にこの風習が伝わっていった。なお、英語では固形チョコレートはキャンディーの一種として扱われることもあるので、この製品のことを「キャンディボックス」と表記している文献もある。