シティオペラでは、毎月曜にその週の公演の空いている席を25ドルで提供してくれる OPERA-FOR-ALL というキャンペーンをしており、通常120ドルで売られているPremium Orchestra の席が25ドルだったので、行ってみた。
短編の演目が二つ組み合わされた公演。
指揮:George Manahan

★カヴァレリア・ルスティカーナ CAVALLERIA RUSTICANA
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Music by Petro Mascagni
Libretto by Giovanni Targioni-Tozzetti and Guido Menasci

Turiddu トゥリッドゥ(テノール)兵役から戻ると恋人のローラはアルフィオと結婚しているがローラと不倫、
  サントゥッツァと婚約中 :Brandon Jovanovich
Santuzza サントゥッツァ(ソプラノ) 村娘でトゥリッドゥの婚約者 :Anna Maria Chiuri
Mamma Lucia ママ・ルチア(メゾソプラノ)トゥリッドゥの母 :Susan Nicely
Alfio アルフィオ(バリトン)ローラの夫で馬車屋 :Andrew Oakden
Lola ローラ(メゾソプラノ)アルフィオの妻でトゥリッドゥと不倫 :Rebecca Ringle
田舎の騎士道。
イタリア人小説家ジョヴァンニ・ヴェルガによる1880年出版の小説や1884年に上演された戯曲を元に、1890年にピエトロ・マスカーニが作曲したもの。
イタリアンヴェリズモ(イタリアのリアリズム文芸運動)の代表作の一つ。
シチリアの村で起こった不倫による男女2組の愛憎劇と、その結果起こった殺人事件の物語。

本来サントゥッツァの役はソプラノだが、Anna Maria Chiuri はメゾソプラノでこなしていた。
Anna Maria Chiuri は先日の OPERA-FOR-ALL のガラコンサートに出演した後、イーストヴィレッジオペラカンパニーのロックコンサート にも娘と一緒に一般客に混ざって観ていた人。
トゥリッドゥに別れたくないとすがるサントゥッツァを何度も突き飛ばしたり蹴ったりと、なかなか乱暴な暴君ぶりのトゥリッドゥだが、不倫相手の夫であるアルフィオに会いに行く前にはママ・ルチアに甘えるなど、イタリア人本来のマザコンぶりが表れていて面白い。
ママ・ルチアのメゾソプラノの Susan Nicely は体格は良いが、声質が弱い。
最後、ママ・ルチアのベッド・ルームに現れる子役はサントゥッツァの身ごもった子供の意味なのか、それともトゥリッドゥの子供時代を現しているのか、良くわからなかった。
最後の「トゥリッドゥさんが殺された」は女性の台詞ではなく合唱だった。

★道化師 PAGLIACCI
今回のポスターはなかなかセクシー(舞台でも全く同様だが) (画像HPより)
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Music and Libretto by Ruggiero Leoncavallo

Tonio トニオ(劇中ではタッデーオ)道化役者(バリトン) :Andrew Oakden
Canio カニオ(パリアッチョ)旅回り一座の座長でネッダの夫(テノール) :Carl Tanner
Beppe ベッペ(アルレッキーノ)色男役者(テノール) :Robert Mack
Nedda ネッダ(コロンビーナ)女優でカニオの妻(ソプラノ) :Maria Kanyova
Silvio シルヴィオ 村の青年(バリトン) :Michael Todd Simpson
南イタリア、カラブリア地方モンタルト村を舞台とし、妻である女優の浮気に怒り、次第に現実と芝居との区別がつかなくなり舞台上で殺人を犯す老座長カニオの悲哀を描いた、ヴェリズモ・オペラのもう一つの代表作。

動機が不純なのかも知れないが、映画「アンタッチャブル」でロバート・デ・ニーロ扮するアル・カポネが、この「道化師」の「衣装をつけろ」を歌うシーンで、感動のあまりおいおいと泣くシーンがあり、その最中に部下が命令通り殺したと報告をすると、カポネの泣き顔がいきなりニヤリと笑い顔に変わる場面がある。その表情と曲が頭から付いて離れず、一度はそのオペラを観てみたいと以前より思っていた。

面白かったのは、前半で演じられた「カヴァレリア・ルスティカーナ」で殺されたトゥリッドゥと不倫をしていたローラ役が、顔に青あざをいっぱいつけて大きな鞄を持って群集の一人として現れるというご愛嬌。つまり、不倫相手のトゥリッドゥが夫アルフィオに殺され、殴られた後に結局アルフィオにも捨てられて家出をしたという後日談を膨らませて挿入したということのよう。

ソプラノの Maria Kanyova は、とても綺麗で華奢でセクシーな下着姿でも魅せているが、前半のソプラノの Anna Maria Chiuri の方が体格が良いせいもあるだろうが、声量が違うように思われる。
途中、タバコ(煙は出ていないフィエク)を咥えながら歌う場面があり、それは面白かった。
また、その恋人役の Michael Todd Simpson は背もすらっと高くてスリムで非常にハンサムなバリトンだが、これまた声量に欠けるので、この配役は見た目重視と言ったところか。
カニオ(劇中役パリアッチ)役の Carl Tanner の アリア「衣装をつけろ」は非常に良かったと思う。
二幕目のサーカスシーンでは、大道芸の人が3人と空中ブランコを実際にする女性が登場。その大道芸に混ざって色男役者のベッペ(劇中はアルレッキーノ)の Robert Mack が側転を2度も見せるのには驚いた。
最後、カニオ(=パリアッチ)が苦悩して自分の顔を手で触って道化師の化粧を崩すが、あまりにグロテスクな様相になってしまったので、もともと道化師のトニオ(=タッデーオ)と酷似することを避けたのかも知れないが、最後までカニオ(=パリアッチ)の道化師の化粧は口元は笑っていながら苦悶して殺人を犯す方が良かったのではないかと。

受け売りの備忘録 wikipediaより抜粋

ヴェリズモオペラとは
ヴェリズモ・オペラ(verismo opera)とは:
1890年代から20世紀初頭にかけてのイタリア・オペラの新傾向である。同時代のヴェリズモ文学に影響を受け、内容的には市井の人々の日常生活、残酷な暴力などの描写を多用すること、音楽的には声楽技巧を廃した直接的な感情表現に重きを置き、重厚なオーケストレーションを駆使することをその特徴とする。

ヴェリズモ・オペラの生まれる背景:
「ヴェリズモによってはじめて一般庶民が主人公になり、オペラの聴衆はそこに共感を覚えた」あるいは「ヴェリズモによってはじめて、売春など社会の暗部、残酷な暴力などがオペラ化された」などと語られることがあるが、実際にオペラの伝統を最初に打破してみせたオペラは、フランスから現れた。ジョルジュ・ビゼー『カルメン』(初演1875年)がそれである。第4幕でドン・ホセに刺されたカルメンは、一言も歌わず、語らず、舞台上でそのまま倒れ死ぬ。なおこの『カルメン』では他にも、煙草工場の女工たち、女に惑わされ堕落する伍長ホセ、山賊やジプシーたちの山中での生活、と、今日我々が「ヴェリズモ・オペラ」の特徴として考える多くの要素が盛り込まれている。同オペラは1880年ナポリでイタリア初演された後、イタリア半島全土でセンセーションを巻き起こしている。この扇情的なオペラがイタリア人若手作曲家に強い刺激となり、後の「ヴェリズモ・オペラ」に繋がっていったのは疑いのないところだろう。

ヴェリズモその後:
20世紀を迎える頃には、オペラにおける「ヴェリズモ」という言葉は、「真実主義」という本来の意味を離れ、「新イタリア楽派(giovane scuola italiana)」の重厚なオーケストレーションを伴った、センセーショナルなオペラ全てを指すように変質していった。

カヴァレリア・ルスティカーナ
・小説では脇役的存在だったサントゥッツアを、戯曲ではトゥリッドゥといったんは相思相愛となりその子までを
 身ごもったにもかかわらず捨てられ、復讐として告げ口をし、やがて後悔に苛まれる、という演じ甲斐のある
 役回りに深化させている。
・戯曲からオペラに変えるにあたり台本作家二人が手を入れたが、変えた部分は、村人の合唱シーンを創出し、
 トゥリッドゥと人妻ローラの逢引シーンを殆ど削除、代わりにトゥリッドゥが決闘前に母に別れを告げるシーンを
 拡充することに留まり、筋書の展開には手を加えることはなかった。つまり、今日の我々が「小説とオペラとの
 差異」と考えるものの殆どは、小説と戯曲版との相違に由来している。
・戯曲はほぼ完全に標準イタリア語、オペラでは前奏曲直後に歌われるトゥリッドゥの「シチリアーナ」の部分
 だけが方言を使用しているが、音楽はどちらかと言うとナポリターナ的。
・ソンツォーニョ社の一幕物オペラ・コンクール、ソンツォーニョ・コンクール(第2回)の優勝作品。
・マスカーニは『カヴァレリア・ルスティカーナ』に題材を決定する以前からこのメロディーを考え付いており、
 今日では単独での演奏機会も多い。
・エンディングの台詞である「トゥリッドゥさんが殺された」という部分は女性合唱で歌われる予定だったが、指揮者
 ムニョーネによって二人の女性がそれぞれ台詞として叫ぶ形となった。「道化師」のエンディングでの
 カニオの台詞として語られるものと奇妙な一致をみせている。

道化師
・裁判官であったレオンカヴァレッロの父が実際に扱った事件がもとにしたと本人は主張したそうだが実際は、
 フランスの劇作家カテュル・マンデスの戯曲『タバランの妻』(La Femme de Tabarin, 1887年パリ初演)、
 あるいはスペインの劇作家マヌエル・タマーヨ・イ・バウスの劇『新演劇』(Un Drama Nuevo, 1867年マドリッド
 初演)からの翻案を行ったのではないかとの説が有力になってきている。
・トニオが有名な「プロローグ(前口上)」を歌う。その一節:
  作者はそうでなく、示そうと努力したのです 生活の一断面を。
  彼にとって唯一の原則とは、芸術家もまた人間であり、
  その人間たちのために彼は書くべきということなのです。
  そして、真実が彼を触発したのです。
 いみじくも「ヴェリズモ」全体にとってのマニフェストとなっている。
・最初のプロローグとして道化師が客席の我々に向かって前口上を述べることにより、後半の劇中劇を印象
 づける構成となっている。