
一昨年にハーレムに詳しい方に案内してもらったが、それ以降あまり来ていなかったので、復習を兼ねてハーレムを歩いてみることにした。
画像の点線内がハーレムと言われる地域で(画像wikipediaより)、もともとオランダ人が高級住宅街として造った街で、オランダにある地名をとってハーレムと言われたが、現在はその地名は通称のみで実際の住所には存在しない。
奴隷解放後、サウスキャロライナとノースキャロライナからのアフリカ系の人々が移り住んで来た為、オランダ人が出て行った。しかしその後もAPOLLO劇場では白人のみ入場可能な状況が続き、1943年に暴動が発生。白人が出て行き、1950~60年には公民権運動のマーチンルーサーキング牧師やマルコムXの運動が盛んとなる。1960~70年代には、朝鮮戦争とベトナム戦争の帰還兵が住み着き、もはやマンハッタン名物のイエローキャブも行かないエリアとなった。
現在もイエローキャブは走っておらず、TLCハイヤーが行きかい、行き先までの値段交渉をするがそのハイヤーは100丁目よりも南でお客さんを拾ってはいけないとのこと。
画像の点線内がハーレムと言われる地域で(画像wikipediaより)、もともとオランダ人が高級住宅街として造った街で、オランダにある地名をとってハーレムと言われたが、現在はその地名は通称のみで実際の住所には存在しない。
奴隷解放後、サウスキャロライナとノースキャロライナからのアフリカ系の人々が移り住んで来た為、オランダ人が出て行った。しかしその後もAPOLLO劇場では白人のみ入場可能な状況が続き、1943年に暴動が発生。白人が出て行き、1950~60年には公民権運動のマーチンルーサーキング牧師やマルコムXの運動が盛んとなる。1960~70年代には、朝鮮戦争とベトナム戦争の帰還兵が住み着き、もはやマンハッタン名物のイエローキャブも行かないエリアとなった。
現在もイエローキャブは走っておらず、TLCハイヤーが行きかい、行き先までの値段交渉をするがそのハイヤーは100丁目よりも南でお客さんを拾ってはいけないとのこと。
116丁目のレノックスアヴェニュー別名マルコムXブルヴァードには、マルコムXゆかりのイスラム教寺院 Masjid Malcolm Shabazz がある。
目抜き通りは125丁目の通り。別名マーティン・ルーサー・キング・ジュニア・ブルヴァードと言われ、APOLLO 劇場や、最近ではクリントン前大統領の事務所もこの通りの建物に移転してきた。
お店のショーウインドーには、白と黒いマネキンが。
ハーレムには、本当にキリスト教の教会が多い。道をはさんだ向かいどうしであったり、1ブロックに隣接するなど。ハーレムの住人の人達は、教会を信仰のみならず、コミュニティの集いの場としても身近に利用しているとのこと。
135丁目のSchornburg Center for Research in Black Culture というNY公立図書館の角は、黒人民族主義の指導者であるマーカス・ガーベイが初めて1916年に街頭演説をしたスピーカーズコーナーでもある。
マーカス・ガーベイ wikipediaより
Marcus Mosiah Garvey, 1887年8月17日 - 1940年6月10日
黒人民族主義の指導者、ジャーナリスト、企業家。世界黒人開発協会アフリカ会連合(UNIA-ACL)の創設者。ジャマイカの国民的英雄である。
彼の運動によって、後にネーション・オブ・イスラムからラスタファリアニズム、公民権運動にまで発展することになる。彼の主張は、ヨーロッパの植民地政策からアフリカを解放することだった。
ジャマイカの20ドルコインの肖像になっている。
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目抜き通りは125丁目の通り。別名マーティン・ルーサー・キング・ジュニア・ブルヴァードと言われ、APOLLO 劇場や、最近ではクリントン前大統領の事務所もこの通りの建物に移転してきた。
お店のショーウインドーには、白と黒いマネキンが。
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ハーレムには、本当にキリスト教の教会が多い。道をはさんだ向かいどうしであったり、1ブロックに隣接するなど。ハーレムの住人の人達は、教会を信仰のみならず、コミュニティの集いの場としても身近に利用しているとのこと。
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135丁目のSchornburg Center for Research in Black Culture というNY公立図書館の角は、黒人民族主義の指導者であるマーカス・ガーベイが初めて1916年に街頭演説をしたスピーカーズコーナーでもある。
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Marcus Mosiah Garvey, 1887年8月17日 - 1940年6月10日
黒人民族主義の指導者、ジャーナリスト、企業家。世界黒人開発協会アフリカ会連合(UNIA-ACL)の創設者。ジャマイカの国民的英雄である。
彼の運動によって、後にネーション・オブ・イスラムからラスタファリアニズム、公民権運動にまで発展することになる。彼の主張は、ヨーロッパの植民地政策からアフリカを解放することだった。
ジャマイカの20ドルコインの肖像になっている。
マンハッタンヴィルと言われるエリアには、アメリカでもっとも古い公立大学のひとつである City College of New York (CCNY)がある。
設立当初の1849年から1907年までキャンパスはレキシントン街の23丁目に所在したが、ニューヨーク市のアップタウン開発とキャンパス拡張という意向により、1906年に現在の場所に移転した。1907年に創建されたネオ・ゴシック建築のShepard Hallを始め、1920年代のハーレム・ルネサンス期から変わらないアカデミックな校舎群が現在も使用されている。それらの建物の屋根には600個のガーゴイルが施されている。第2代目学長であるアレクサンダー・S・ウェブの銅像がキャンパスのシンボルの一つとなっている。
アイビー・リーグとして代表されるアメリカのトップ私立学校がプロテスタント支配階級に制限され排他的な体制を持っていた19世紀から20世紀前半にかけて、当時授業料無償であったこの大学に、ヨーロッパでの迫害を逃れ移民して来た聡明なユダヤ人子弟が大挙して集った。その輝かしい学術業績が彼ら労働者階級出身の学生によって成し遂げられたものであったため、ニューヨーク・タイムズにより「プロレタリアのハーバード」(“Harvard of the Proletariat”)と称された。1930年代から1950年代にかけては、政治的急進主義として知られ、トロツキズムとスターリニズムの社会議論の場として活況を呈した。同時期の卒業生は後に「ニューヨーク知識人」集団となり、「ネオコン」と呼ばれるアメリカの新保守主義(Neoconservatism)に影響を与える事になる。
現在はユダヤ人の他、アフリカ系アメリカ人やラテン系アメリカ人、また東欧諸国からの移民など様々な学生が学び、マイノリティの大学とさえ言われている。(wikipediaより抜粋)
ジャマイカからの移民二世としてNYで生まれ育った前国務長官コリン・パウウェル氏 Colin Powell も卒業生。
設立当初の1849年から1907年までキャンパスはレキシントン街の23丁目に所在したが、ニューヨーク市のアップタウン開発とキャンパス拡張という意向により、1906年に現在の場所に移転した。1907年に創建されたネオ・ゴシック建築のShepard Hallを始め、1920年代のハーレム・ルネサンス期から変わらないアカデミックな校舎群が現在も使用されている。それらの建物の屋根には600個のガーゴイルが施されている。第2代目学長であるアレクサンダー・S・ウェブの銅像がキャンパスのシンボルの一つとなっている。
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現在はユダヤ人の他、アフリカ系アメリカ人やラテン系アメリカ人、また東欧諸国からの移民など様々な学生が学び、マイノリティの大学とさえ言われている。(wikipediaより抜粋)
ジャマイカからの移民二世としてNYで生まれ育った前国務長官コリン・パウウェル氏 Colin Powell も卒業生。
ハーレムというと、危険、汚い、などのイメージがあるかも知れないが、どんどん高層化していくミッドタウンなどとは異なり、戦前からの古い町並みが残っていて非常に綺麗な住宅街もある。
シックな住宅街を借りて雑誌か何かの撮影もしていた。外からライト(黒い物)を当てモデルさんが白いユリの花を持ってポーズを取っていた。他の階には衣装などが置いてあるのが見えたが、果たして洋服を着ての撮影だったのかは不明だが。。。
文字数制限の関係から その2 へ
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シックな住宅街を借りて雑誌か何かの撮影もしていた。外からライト(黒い物)を当てモデルさんが白いユリの花を持ってポーズを取っていた。他の階には衣装などが置いてあるのが見えたが、果たして洋服を着ての撮影だったのかは不明だが。。。
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