昨年もこちらのバレンタインデー事情について書いたが、またその季節が巡って来たので、重複部分も多いが一年に一度のことなので、再度確認記事ということで。

日本では女性が男性にチョコレートを贈る日として義理チョコも含めて一大イベントになっているようだが、こちらでは男性から女性に花束やチョコレートや何か特別なプレゼントなどを贈るのが通例で、義理プレゼントはほとんどない模様。
ヨーロッパ各国も全く同様かと。
同じアジアでも韓国は日本の影響を受けて女性から男性に贈るが、台湾は男性から女性に贈る西洋風が通常で2月14日以外にも贈る日があるとのこと。
因みに、年配のアメリカ人に聞くと、昔はこのようなイベントはなく、商魂逞しい企業によるイベント作りではないかと言っていた。

何故日本は女性から男性に贈ることになってしまったのか?

メリーチョコレート
 バレンタインチョコ発売は1958年。パリの知人からバレンタインデーの習慣を知り、新宿の伊勢丹でセールを
 したが板チョコ3枚しか売れなかった。その後、他国とは逆の女性から男性に愛の告白をして良い日と銘打って
 セールをし、他社もそれに追随した。
 原邦生社長「女性からの告白とチョコレートを結びつけたのは当社だが、元祖争いには意味がない。」
モロゾフ
 1936年に、在日外国人向けの英字新聞に「バレンタインはモロゾフのチョコレートを」と広告を掲載。
 メリー社より早い1953年にハート形のチョコレートを発売。
 広報「当時のことを大きく宣伝したりしなかった。論争はしたくない。」
しかし、メリーの先代社長はもともとモロゾフに勤めていたとか。原社長曰く「53年のチョコレートのことは父は知らなかった。」と。。。 (日刊サンの抜粋)


街のショーウインドーはバレンタインデー前から赤色にデコレーションしている所が多かったが、今日はチョコレート屋さんの前に長蛇の列があるのには驚いた。というのも、ほとんどが男性客!
バーゲンセール会場の入場制限などで入りきれない女性が列を作っているのは良く見る光景だが、さすがに平日の昼間に男性ばかりの列は何だか異様な光景。。。

グランドセントラルステーション(通常グラセン)に直結しているビル一階のゴディバの前は、あらかじめロープで並ぶ人を整理し、警備員が入場者を制限して管理。女性客も2~3人はいたが。
因みに、こちらでは「ゴディバ」と発音せずに「ゴダイバ」と発音する。
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ロックフェラーセンターにあるスイスのトイスチャーも入場制限をしていて、寒空の下、男性ばかりが長い列を作り、最後尾は5番街に達していた。
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※丁度この日は、偶然これらの店舗の前を通ったのでこの光景に出くわしたが、決してこの2店舗がこちらでダントツ人気というわけではない。おそらく、他の有名チョコレート店では、より凄い列になっていたかも知れない。

また、花屋さんもかき入れ時で、にわか花屋までが道端に出没。昼過ぎには、花束をかかえた花屋さんの配達人が多く見受けられ、夕方には届けられた花束やハート型の風船などをもらった女性達が帰途につく姿を多数見かけた。
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そして今日のエンパイアステートビルのライトアップは、、、
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バレンタインデーとは wikipediaより

<歴史>

バレンタインデーの歴史は、ローマ帝国の時代にさかのぼると一般にいわれている。当時、ローマでは、2月14日は女神ユノの祝日だった。ユノはすべての神の女王であり、家庭と結婚の神でもある。翌2月15日は、豊年を祈願する(清めの祭りでもある)ルペルカリア祭の始まる日であった。当時若い男たちと娘たちは生活が別だった。祭りの前日、娘たちは紙に名前を入れた札を桶の中に入れることになっていた。翌日、男たちは桶から札を1枚ひいた。ひいた男と札の名の娘は、祭りの間パートナーとして一緒にいることと定められていた。そして多くのパートナーたちはそのまま恋に落ち、そして結婚した。

ローマ帝国皇帝クラウディウス2世は、愛する人を故郷に残した兵士がいると士気が下がるという理由で、ローマでの兵士の婚姻を禁止した。キリスト教司祭だった聖バレンタインは秘密に兵士を結婚させたが、捕らえられ、処刑された。処刑の日は、ユノの祭日であり、ルペルカリア祭の前日である2月14日があえて選ばれた。バレンタインはルペルカリア祭に捧げる生贄とされたのである。このためキリスト教徒にとっても、この日は祭日となり、恋人たちの日となった。

この逸話には歴史的背景の説明が必要である。初期のローマ教会は、当時の祭事から異教の要素を排除しようと努力した跡がみられる。ルペルカリア祭は排除すべきだが、ただ禁止しても反発を招くだけである。教会がとった方法は、この祭りに何かキリスト教に由来する理由をつけることだった。そこで兵士の結婚のために殉教したバレンタイン司教の助けを借りることにしたと考えられる。こうしてキリスト教以前からあったルペルカリア祭は、バレンタイン由来の祭りであると解釈を変更され、祭りはその後も続いた。前述のくじ引きでパートナーを選ぶ話も、ローマの宗教行事は野蛮であるという印象を与えるために初期キリスト教会によって創作されたものである可能性もある。

聖バレンタインに関する伝説は複数あり、没年が異なっていたり、細部が異なっていたりするものが複数伝えられている。

<欧米>

ヨーロッパなどでは花やケーキ、カードなどを恋人に贈る習慣がある。カードには、"From Your Valentine" と書いたり、"Be My Valentine." と書いたりもする。
チョコレートを恋人に贈る習慣は、19世紀後半のイギリスではじまった。キャドバリー社が2代目社長リチャード・キャドバリーが1868年に美しい絵のついた贈答用のチョコレートボックスを発売した。キャドバリーはこれに前後して、ハート型のバレンタインキャンディボックスも発売した。これらのチョコレートボックス等がバレンタインデーの恋人への贈り物に多く使われるようになり、後に他の地域にこの風習が伝わっていった。なお、英語では固形チョコレートはキャンディーの一種として扱われることもあるので、この製品のことを「キャンディボックス」と表記している文献もある