シェークスピアの戯曲「Othello」をヴェルディがオペラ化した「Otello」を観に行った。
ルネ・フレミングが出るということもあって昨年8月のチケット発売当日に並んでチケットを取ったのだが、初めてのバルコニープレミアム席での鑑賞となった。
(バルコニープレミアム席は5階だが一番前の中央の22席だけで、そういったプレミアム系の席では平日85ドルで一番お得な場所かと。ほかのプレミアム席だと日によっても金額が異なるが、4階ドレスサークルプレミアムが150~175ドル、3階グランドティアプレミアムが275~295ドル、2階センターパーテレプレミアムが375ドル、1階オーケストラプレミアムが175~295ドル)
ここ最近はずっとオーケストラ席(プライム、バランス、リアなど)だったが、より近くで観られるオーケストラ席であっても、音は上に上って行くので、やはりバルコニー席の音の方が断然良いことを実感。特に大音量になった時のオーケストラと合唱のコラボレーション時の音が良かったかと。(画像 NY TIMES より)
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by Giuseppe Verdi
Libretto by Arrigo Boito after the play by Shakespeare
指揮:Semyon Bychkov
モンターノ、キプロスの前総督 (バス)Montano : Charles Taylor
カッシオ、オテロの副官 (テノール)Cassio : Garrett Sorenson
ヤーゴ、オテロの旗手 (バリトン)Iago : Carlo Guelfi
ロデリーゴ、ヴェネツィアの貴族 (テノール)Roderigo : Ronald Naldi
オテロ、ムーア人でヴェネツィア領キプロスの総督 (テノール) Otello : Johan Botha
デズデーモナ、オテロの妻 (ソプラノ) Desdemona : Renee Fleming
エミーリア、イヤーゴの妻で、デズデーモナの女中 (メゾソプラノ)Emilia : Wendy White
ロドヴィーコ、ヴェネツィアからの使者 (バス) Lodovico : Kristinn Sigmundsson
A herald : David Won

ルネ・フレミングに、オテロ役のボータの両者がとても良い。
ボータは最初から最後までとても安定していてどっしりと安心感があり、フレミングはボータに比べれば出番は少ないが、聴かせどころを押さえていて、観客をすっかり魅了していた。
カッシオ役の Garrett Sorenson は声は綺麗だが、音量が不足していて同じテノールのボータとは全く比較にならない。
1 HPより
あくまでも私の好みだが、フレミングの高音はキンキン響くのではなく、まろやかでいて伸びるので非常に好きなのだが、低音になると何だかおばちゃん声になる部分があるように感じてしまう。
しかし、四幕目のフレミングの最初で最後のアリアで一番の見せ場の「柳の歌」と「アヴェ・マリア」は秀逸。「柳の歌」の消え入るようなピアニッシモやオーケストラも鳴りやんだ一瞬の間も会場が水をうったように静かで息をのみ、会場全体が時間を共有している雰囲気はとても良かった。
「アヴェ・マリア」も非常に良かったが、「柳の歌」で張り詰めていた観客も二曲続くともう持たなかったのか、贅沢な話だが、少し咳ばらいなどがあったのが残念。
この二曲が終わってからも観客が引き続き頑張って緊張感を保っていて、誰一人としてフレミングの歌の直後に拍手をせずオテロがやってくる次の場面まで見守っていたのが良かった。

フレミング扮するデズデモーナを絞め殺した後に彼女の潔白を知ったオテロが自ら死を選ぶ場面で、一度嗚咽のような息使いをオテロ役のボータがしたのが非常に印象的だった。

以前にメトでは、同じくフレミングとオテロ役にはプラシド・ドミンゴという組み合わせで演じられていたが、その時とセットなどは変わっていないもよう。
最後二人が死ぬ場面では、以前はフレミングはベッドの上で、ドミンゴはベッドの下で果てていたが、今回は二人共がベッドの下で手を取り合った状態で死を迎え、ボータ演じるオテロは幕が下りるまで目をかっと見開いたまま。

カーテンコールでは、フレミングとボータに多くの拍手が送られていたが、ヤーゴ役のカルロ・グエルフィ Carlo Guelfi には拍手と小さいながらもブーイングの両方が送られていたのには驚いた。声の量も十分で、なかなか悪役に徹していてニヤリと笑った表情の時にすいた前歯が見えるのが何気におかしかったのだが、そのブーイングは悪役(ヒール役)への讃辞を意味するのか、あるいは彼の歌唱や演技への観客の不満なのか、良くわからなかった。

受け売りの備忘録
シェイクスピアの4大悲劇の中で「オセロ」は亡霊や魔女などが登場せず、人間による悲劇という異色作。

デズデモーナという名前はギリシャ語で「不幸な」という意味がある。

原作には、父親の大反対をおしきってオテロのもとに来たデズデモーナが描かれ、父親がオテロに、父親を欺いた女だからやがては夫も欺くだろうと預言めいたことを言う。この言葉がオテロの懐疑心や嫉妬心への複線となっているようだが、オペラではこの部分が全て省略されている。
一方、一幕目にあるオテロとデズデモーナの愛のシーンは原作にはなし。

キーポイントになるハンカチだが、時代背景を考察すると、襟ぐりが大胆なドレスを女性が着る場合に胸元を隠したりする役目があり、当時としては今とは違ってハンカチはより女性の下着などに近い感覚があった。

時代設定のヴェネチアに於いて、黒人であるムーア人が傭兵となることも、他の都市であるフィレンツエからやってきたカッシオがヴェネチアに従軍することもあり得ない。おそらくシェイクスピアが、武将で才の長けたオテロが嫉妬心だけで破滅していくという設定にする為には、当時白人から差別されていた黒人であるムーア人にした方が彼の劣等感から来る被害妄想や懐疑心や嫉妬心への理解がしやすいと考えたのではないかとのこと。

ヴェルディの最後の作品で、完成までに6年を要し、初演は1887年2月5日ミラノ・スカラ座にて。1882年頃までは、ヴェルディはこの作曲中の作品を「オテロ」ではなく「ヤーゴ」と称していた。オテロ役はテノール・ドラマティコにとって最大の難役のひとつ。

このオペラは3か所だけが独唱:二幕のヤーゴの「おれは残酷な紙を信じているのだ Credo in Dio Crudel」、三幕のオテロの「神よ、お前は吹こうの全ての悪事を私に投げつけたのだ Dio! Mi Potevi Scagliar Tutti Mali Della Miseria」、四幕のデズデモーナの通称柳の歌「寂しい荒野で歌いながら泣く、おお柳よ! Piangea Cantando Nell'erma Landa」と「アヴェ・マリア Ave Maria」の4曲のみ。
残りのほとんどは二重唱。
その柳の歌は、忠実にシェイクスピアの原作にのっとった為、なかなか難しい作品となった。