昨シーズンに新作として発表された中国の秦の始皇帝を題材とした新しいオペラ。
残念ながら昨シーズンは行くことが出来なかったので今回初めて観ることに。中国人のタン・ダン Tan Dun氏が作曲、共同で作詞、指揮という奮闘ぶり。

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by Tan Dun
Libretto by Ha Jin and Tan Dun
Based on Historical Records by Sima Qinc and the screenplay The Legend of the Bloody Zheng by Lu Wei
指揮 Tan Dun

Yin-Yang Master, official geomancer : Wu Hsing-Kuo
Shaman : Ning Liang
Emperor Qin : Placido Domingo
Chief Minister : Haijing Fu
General Wang : Hao Jiang Tian
Princess Yueyang, daughter of the emperor : Sarah Coburn
Mother of Yueyang : Susanne Mentzer
Gao Jianli, a musician : Paul Groves
Guard : Danrell Williams
Principal dancer : Dou Dou Huang
Zheng plyaer : Qi Yao

昨シーズンに観た日本人の友人達は一人を除いてことごとく一度観れば十分との評だったが、果たしていかがなものかと観に行った。

開幕前からすでに舞台に中国の琴や打楽器が配置され、音楽は中国風現代音楽。
オペラ作曲以降のタン・ダン氏の新しいピアノコンチェルトを先日ランランがNYフィルと共演し、 リハーサル本番 の両方を聴きに行ったが、中国の音楽の要素が強い面白いものだったので、類似していると言えばしているかと。
音楽としては良いと思うのだが、勿論曲調などは変えてはいるが、総じてずっと同じテンポで終わったような印象を受けた。

演出が有名な映画監督チャン・イーモウが手がけたことでも話題になった。映画「紅いコーリャン」など多数の映画作品で認められている。
そう言えば、昨年、リンカーンセンターそばで歩いているチャン・イーモウ監督を見かけたが、小柄で黒っぽいジャンパーを着ていて、これで自転車でも押して歩いていればただの中華レストランのデリバリーおじさんと言ったふうだったのが印象に残っている。
広いメトの舞台を覆う何段もの階段で構成された舞台で、最初は兵馬俑をイメージした合唱の登場や、万里の長城を想像させるなど迫力を感じるのだが、二幕目までも同じため、舞台手前の狭い部分で寸劇が行われ背景が巨大階段という印象。
一幕目で、始皇帝の娘が、始皇帝に反抗してハンガーストライキ中の音楽家に口うつしで食べ物を与える場面で、それぞれが「ふう~」とも「はあ~」ともつかない声を二度ずつあげるのだが、会場からは失笑が。
二人が恋に落ちてベッドインするシーンも結構なまなましく、その背景の階段の奥ではバレリーナと思われる多数の女性が観客席に向けて足だけが映し出され(まるでシンクロナイズドスイミングのように)音楽に合わせて動かすのだが、最後には女性の足がVの字に開かれるなど、いささかやり過ぎの動きのように思えてしまった。

始皇帝役のプラシド・ドミンゴにつきるかと。トーリードのイフィジェニー IPHIGENIE EN TAURIDE でドミンゴと共演したポール・グローブスが音楽家役を演じているが、トーリードのイフィジェニーでは下手をするとドミンゴを食う勢いで良かったと思えたグローブスには今回はいささかがっかり。
バリトンが歌うぐらいキーが低い設定の曲のせいかどうかわからないが、低音が出ておらず、声量にも欠いてドミンゴが秀逸に観えたが、特に今回だけ調子が悪かったのかどうなのか。
気の毒なのは二幕目で舞台上でお付きの人達から宦官が被るような絵帽子とコスチュームをつけるのだが、彼が朗々と独唱している最中に、いきなり彼が両手を頭の方に持っていく動作をしたので何事かと思いきや、その帽子がずれて後方に落ち、それを食い止めようとして失敗した手だけが宙に浮いている状態に。
帽子なしで歌い終え、その後はゆっくりした動きで帽子を拾って片手にかかえていたが、その後また自分で被ることに。
終演して最後カーテンコールで颯爽と登場するはずが、舞台の階段の端っこにつまずき転ばなかったがつんのめりながらの登場とあいなった。

ソプラノのサラ・コバーンは本当に細い。顎の線が鋭角で一般の人達よりも細いぐらい。その線の細さからしっかり高音でしかもそれなりの声量をもって歌っているのには驚いた。

最初に京劇の俳優さんが登場するのだが、高い声を発しつつ軽快な動きなので良かった。口の悪い友人の中には、京劇の俳優さんが一番良かったとも言っていたが。

中国系のソプラノとバスの二人は、それに比べて声の質が異なるのか声が通らず、声量も少なく見劣りする。このオペラは、京劇の人のセリフ以外は全て英語の歌詞なので、中国人である彼らが選ばれる必要性よりは歌唱力で選抜される方が良かったような気がする。
英語のオペラは今期であれば ヘンゼルとグレーテル HANSEL AND GRETELピーターグライムス PETER GRIMES などで聴いているが、ヘンゼルとグレーテルでも違和感を感じたが、中国のゆったりとした独特の音階に英語は合わないのではないか。丁度昨日ピーターグライムスがテレビ放送されていたので再度視聴してみたが、イギリス人の作った英語オペラでテンポがずっとこのファーストエンペラーよりも早いせいもあるのだろうが違和感がそれほどない。

衣装はワダ・エミさんなので、豪華けんらんで非常に綺麗。日本人の私が蝶々夫人の衣装や舞台を観て色々と文句が言いたいことがあるが、昨シーズンからの新作の 蝶々夫人 MADAMA BUTTERFLY ではモダンにアレンジされていたので、それはそれと違和感がなかった。
中国の人が見たら、果たしてこのオペラは満足かどうか。

細かいことだが、最後の階段の側面には、秦の時代に作られた隷書の文字が書かれているのだが、そのうち3つのブロックで上下(天地)が逆に置かれていた。舞台美術や大道具の人に漢字がわかる人がいるとも思えないので致し方ないだろうが。

丁度この日は6人の友人達と行くことになったので皆の意見を聞くことが出来たが、衣装や舞台が好きという友人がほとんどの中にあって、一人は音楽がコンテンポラリーなので衣装や舞台を伝統的なものにすべきだったのでは?という意見があった。
香港人の友人は、音楽はあんなものだろうが、京劇だけ北京語で語られていてわかる部分とわからない部分とがあったが良いと言って、皆も京劇の人の部分は良いと同意見。

一方、オペラ歴○○年のオペラファンのアメリカ人の女性は、昨シーズンも観たが今回も来たと。ただ、彼女の友人のアメリカ人は一度観れば十分と言う人が多い。オペラにプロットの質を求めるのはいかがかとも思うが、同じアジアが題材でサンスクリット語で歌われたマハトマ・ガンジーを題材とした サティヤーグラハ SATYAGRAHA の方が史実をもとにしていてより重みがあった。衣装も良いし、オリエンタルな音楽がとても良いが、タン・ダンはオペラ作曲家としては未だ十分ではない、と。おっしゃる通りかととても賛同。
因みに、彼女はその難解なサティヤーグラハも、プロコフィエフの難しかった音楽の ギャンブラー 賭博者 THE GAMBLER も好きなオペラだと言っていたのでコンテンポラリーものにも理解のあるオペラファンの一人ではあるが。

昨シーズン早々に観た日本人の友人はみな口をそろえて言っていたのだが、中国人による中国を題材にした新しいオペラということもあって、普段はオペラ鑑賞をしない中国系の観客が多く、よって歌の最中にも話す、立ち上がる、食べる、写真を撮る、、、などなかなか雰囲気が異なっていて、それが昨シーズン観た友人達の評を悪くしていた一因でもあった。さすがに今回は中国系の人が目立つこともなく、一階席で公演中に二度ほどフラッシュ撮影があったぐらいで済んだのが良かったかと。

会場は満席で立ち見も出たが、やはり一幕目で帰る人も居たが、総じて皆静かに忍耐強く聴いていて、それはひとえにドミンゴのパワーによるものかと。
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非常に中国の雰囲気を感じさせる異国情緒豊かなもので、まあ楽しめたが、それはアジア人の私だからそう思うのか、西洋人にとってはよりエキゾチックで面白く感じるか異質過ぎると感じるか。
ドミンゴが始皇帝役をやらない場合、果たしてこれほどの観客動員が見込めるのかどうかいささか疑問が残った。