小さい美術館ながら、なかなかの収蔵品なので、マンハッタンでは一番好きな美術館。
100万長者通りの5番街に、20世紀初頭にして500万ドルをかけて新古典様式の館を建てたヘンリー・クレイ・フリック氏(1849~1919)が、晩年の5年を過ごした邸宅を今は美術館として彼のコレクションを公開している。
4月半ばの庭には、モクレンが満開だった。
もともと、ピッツバーグの貧しい農家で生まれ、病弱で寡黙な少年だったヘンリー・クレイ・フリック Henry Clay Frick 氏(1849~1919)は、18歳で町に働きに出て、製鉄業でにぎわっていたピッツバーグに行く。コークス生産会社を自ら興し、強気な会社経営で、わずか30歳でコークス王と呼ばれ100万長者になり、アンドリュー・カーネギーから共同経営者に招かれた。しかし、労働者がストライキを起こし、ストやぶりの人達を送り込んだ為に暴動となってしまい、血も涙もない非常な経営者として非難され、アナーキストがフリックを撃つ事件が勃発。
事件後、ピッツバーグの煙が美術品に良くないとの理由から、NYに移り住んだ。
ニューヨーク公共図書館も手がけたトマス・ヘイスティングス氏に建物の設計を依頼し、部屋数40もの豪華な邸宅を18世紀のヨーロッパ建築様式に建てさせた。
ビジネス取引と同じように美術品を収集していき、感情を表すこともあまりなかったとか。
裸体画や戦争の絵画は一切購入せず、古典画だけに絞り、フェルメールの作品は3点も収集している。
収蔵品は、ルネッサンスから近代までヨーロッパ絵画を中心に1100点余りにも及び、70歳で亡くなったが、遺言で美術館として公開しているが、あたかも個人の邸宅で鑑賞しているように解説はつけずに配置も彼が存命中の時のまま。
日本語の音声ガイドを無料で借りられるのも非常に助かる。(以下画像は全てHPより)
100万長者通りの5番街に、20世紀初頭にして500万ドルをかけて新古典様式の館を建てたヘンリー・クレイ・フリック氏(1849~1919)が、晩年の5年を過ごした邸宅を今は美術館として彼のコレクションを公開している。
4月半ばの庭には、モクレンが満開だった。
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事件後、ピッツバーグの煙が美術品に良くないとの理由から、NYに移り住んだ。
ニューヨーク公共図書館も手がけたトマス・ヘイスティングス氏に建物の設計を依頼し、部屋数40もの豪華な邸宅を18世紀のヨーロッパ建築様式に建てさせた。
ビジネス取引と同じように美術品を収集していき、感情を表すこともあまりなかったとか。
裸体画や戦争の絵画は一切購入せず、古典画だけに絞り、フェルメールの作品は3点も収集している。
収蔵品は、ルネッサンスから近代までヨーロッパ絵画を中心に1100点余りにも及び、70歳で亡くなったが、遺言で美術館として公開しているが、あたかも個人の邸宅で鑑賞しているように解説はつけずに配置も彼が存命中の時のまま。
日本語の音声ガイドを無料で借りられるのも非常に助かる。(以下画像は全てHPより)
ブーシェの間 Boucher Room玄関ホールを入ってすぐ横
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南ホール2階から階段を下りて来た突き当たり。
フェルメールが生涯で残した35点の作品のうちフリック氏は3点を所蔵し、そのうちの2点が連絡通路から居間に抜ける何気ない小さなホールにある。
フェルメール「兵士と笑う娘 Officer and Laughing Girl」
1911年に購入する為に、レンブラントを2枚手放して23万ドル近くを払った。
フェルメール「中断された音楽の稽古 Girl Interrupted in Her Music」
1901年に26000ドルで購入。
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フェルメール「兵士と笑う娘」 | フェルメール「中断された音楽の稽古」 |
フラゴナール・ルーム連作「愛の成り行き The Progress of Love」
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フランスルイ15世の愛人が注文した作品で、雅な筆遣いの「逢引」や、恋の成就を表す「恋人の戴冠」など11点。
これらの作品にみあうように、家具を設置し、世界で12点しかない名品であるセーブル王立磁器工場の帆船をかたどった「船形ポプリ壺」18世紀が部屋中央に置かれている。
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フラゴナール「逢引 The Meeting」 | フラゴナール「恋人の戴冠 The Lover Crowned」 |
リビング・ホール
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暖炉の上には、古代ローマの学者が枢機卿の赤い衣をまとう姿
ホルバイン「サー・トマス・モア Sir Thomas More」
その左側に、死をも辞さない堅固な表情の肖像画は、離婚問題のヘンリー8世によって処刑されたサー・トマス・モアの肖像画。
ホルバイン「トマス・クロムウェル Thomas Cromwell」
右側に、トマス・モアの政的であるクロムウェルの肖像画を。クロムウェルは権力志向が強く、ヘンリー8世にとりいって、トマス・モアを死刑に追いやった人物。
長くこの2作は離れ離れになっていたが、フリック氏莫大な資金を費やして2対を揃えることに成功した。
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ホルバイン「サー・トマス・モア」 | グレコ「聖ヒエロニムス」 | ホルバイン「トーマス・クロムウェル」 |
ベリーニ「荒野の聖フランチェスコ St Francis in the Desert」
これら3点の向かい側に(リビング・ホール全景の画像側)、ヒエロニムスの赤と相対して反対側は白を基調にしたベリーニ「荒野の聖フランチェスコ」。
フランチェスコ修道士が、瞑想を続けた後に手に聖なる傷が現れた奇跡の様子を描き、神秘の光の中で時が止まっているよう。奇跡の人聖フランチェスコと厳格な理性の人ヒエロニムスと対照させることで緊張感を持たせているとのこと。
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ベリーニ「荒野の聖フランチェスコ」 |
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