朝食は名物の穴のあいていない四角いドーナツであるベニエを。朝10時頃で60人以上の長蛇の列だったが、広いこともあり15分程度並んだら席につけた。
CAFE DU MONDE
800 Decatur st
504-525-4544
ドーナツ自体は甘くなく、上に振られた粉砂糖の甘さだけで食べるので案外軽く感じる。一人前3個を二人でシェア。
コーヒーも名物のチコリ入りのカフェオレを。
ニューオーリンズ港は、コーヒー豆輸入量が世界一、市民一人当たりのコーヒー消費量がアメリカ第二位で全米平均の約二倍。南北戦争時にコーヒー豆が不足した為にチコリの根を煎じて苦味を出して代用したそうで、このカフェでは140年以上もベニエとコーヒーと他に3種類程度の飲み物だけで流行っている。
CAFE DU MONDE
800 Decatur st
504-525-4544
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コーヒーも名物のチコリ入りのカフェオレを。
ニューオーリンズ港は、コーヒー豆輸入量が世界一、市民一人当たりのコーヒー消費量がアメリカ第二位で全米平均の約二倍。南北戦争時にコーヒー豆が不足した為にチコリの根を煎じて苦味を出して代用したそうで、このカフェでは140年以上もベニエとコーヒーと他に3種類程度の飲み物だけで流行っている。
ジャクソン広場のランドマーク的存在の騎馬像はアンドリュー・ジャクソン大統領(在位1829~1837)で、現20ドル札の似顔絵の人。
その広場に面し中央がセントルイス大聖堂、左がカビルド、右が司祭館、広場の左右にはアッパーとロウアーのポンタルバアパート。
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ポンタルバアパートの一部を公開しているとのことなので、1850 Houseと言われるその一軒に行ってみた。
1849年に建てられた米国で最古のアパートで、ミカエラ・ポンタルバという男爵夫人が設計。彼女は資産家の娘で、その資産目当ての従兄と結婚させられフランスに住むが、仲の悪い義父が彼女の頭と肩と左手を銃で撃ち、幸運にも命はとりとめた彼女は夫をおいてアメリカに戻ってきた。肖像画では傷を負った左手を隠すようなポーズをしている。
パリのパレロワイヤルのような広場が必要と考え、このジャクソン広場やカビルド、司祭館の大改装とアパート建築を進め、当時の女性にしては非常に稀有な存在だった。
彼女自身はこの1850 Houseには住まず、反対側のアパートにわずか半年住んだだけだったが、19世紀の中流家庭の雰囲気が良くわかる。
左は家の主のベッドルーム、右は奴隷のベッドルーム。
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パリのパレロワイヤルのような広場が必要と考え、このジャクソン広場やカビルド、司祭館の大改装とアパート建築を進め、当時の女性にしては非常に稀有な存在だった。
彼女自身はこの1850 Houseには住まず、反対側のアパートにわずか半年住んだだけだったが、19世紀の中流家庭の雰囲気が良くわかる。
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司祭館は、現在はルイジアナ州立博物館として、主にマルディグラについての展示がされていた。
街角でも、マルディグラの時の仮面やビーズネックレスなどが売られている。
カビルドも同じくルイジアナ州立博物館で、1699~1763年のフランス統治、1763~1803年のスペイン統治、1803年から再度のフランス統治などの歴史、そして奴隷の歴史なども紹介していた。ホールでは、色々な国の統治を示す旗が飾られていた。(画像左)
セントルイス大聖堂は、1849年、3度目の再建となり現存する米国最古の大聖堂とのことだが、内部は綺麗に塗り替えられていて真新しく感じた。(画像右)
昼食は友人お勧めのカジュアルなレストランへ。
GUMBO SHOP
630 st Peter st
504-525-1486
生ビール、キャットフィッシュ(ナマズ)のグリル14.99ドルと、盛り合わせプレート12.99ドルを。
キャットフィッシュは黒く焦げて見えるが、柔らかくてあっさり美味しい。付合せは4種類(ホウレン草、マッシュポテト、とうもろこし、ターニップグリーン)から選べ、一番伝統的なのはターニップグリーン(洋種の蕪の葉の部分のこと)とのことだったのでそれを注文。
盛り合わせには、左からクローフィッシュ(ザリガニ)レムレード、ジャンバラヤ、シュリンプクレオールとなり、お米があるので、日本人には口に合うかと。
マルディグラとは wikipedia及びjunglecityより マルディグラ (仏:Mardi gras) とは、フランス語で「肥沃な火曜日」の意で、謝肉祭の最終日、灰の水曜日の前日を意味する。英語の「Shrove Tuesday」(告解火曜日、懺悔の火曜日)に相当する。 カトリック教会などの西方キリスト教における四旬節の前に行われる祝賀であるため、アメリカ合衆国南部(ルイジアナ州全般、アラバマ州、テキサス州、フロリダ州など)や、カリブ海の多くの国、南アメリカ、ベルギーなどヨーロッパ各地で行われている。 1699年、フランス人の探検家、ピエール・ル・モイン(Pierre Le Moyne, Sieur d'Iberville)がミシシッピ川西岸にたどり着いた日はフランスの主要な休日(3月3日)だったことから、その地点を "Point du Mardi Gras" (マルディ・グラ・ポイント)と名付け、パレードをして祝ったが、その後フランス人統治者たちの習慣が土台となり、1857年に "ミスティック・クルー・オブ・コーモス" という私設社交クラブが盛大な仮装舞踏会を開いたのが、現マルディグラの始まりと言われている。 人口約50万人の町に約200万人の観客が訪れるため、町中が人の渦と化す。正式なカーニバルは1月6日の公現祭から始まるが、これは私設団体が行う仮面舞踏会と一般公開されるパレードから成り立っている。仮面舞踏会は1月6日にスーパードームなどで開催されるが、それなりの家系の女性たちが社交界にデビューする場で完全紹介制。 ニューオーリンズ(アメリカ合衆国)のニューオーリンズ・マルディグラが有名だが、今は宗教色は消えパレードや音楽が中心の祭りに。その規模は、リオのカーニバルと同じく世界の主要カーニバルのひとつに数えられる。 マルディグラの日を最終日とする11日間の祭りの間は、マルディグラ・カラーと呼ばれる紫・金・緑の三色に町中が染まる。紫は正義、金は権力、緑は運命(一説には信仰)の象徴である。フロートと呼ばれる巨大な山車から、マルディグラ・カラーのビーズを大量に投げ、それを人々が競って受け止める。マルディグラの前にプロムのような社交界デビューのボールが行われているとは知らなかった。その時のビデオや衣装の数々が、マルディグラのカーニバルの衣装と共に展示されていた。
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街角でも、マルディグラの時の仮面やビーズネックレスなどが売られている。
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カビルドも同じくルイジアナ州立博物館で、1699~1763年のフランス統治、1763~1803年のスペイン統治、1803年から再度のフランス統治などの歴史、そして奴隷の歴史なども紹介していた。ホールでは、色々な国の統治を示す旗が飾られていた。(画像左)
セントルイス大聖堂は、1849年、3度目の再建となり現存する米国最古の大聖堂とのことだが、内部は綺麗に塗り替えられていて真新しく感じた。(画像右)
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昼食は友人お勧めのカジュアルなレストランへ。
GUMBO SHOP
630 st Peter st
504-525-1486
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キャットフィッシュは黒く焦げて見えるが、柔らかくてあっさり美味しい。付合せは4種類(ホウレン草、マッシュポテト、とうもろこし、ターニップグリーン)から選べ、一番伝統的なのはターニップグリーン(洋種の蕪の葉の部分のこと)とのことだったのでそれを注文。
盛り合わせには、左からクローフィッシュ(ザリガニ)レムレード、ジャンバラヤ、シュリンプクレオールとなり、お米があるので、日本人には口に合うかと。
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