MLB大リーグでは、NYヤンキースも、NYメッツも、今まで使っていたスタジアムを今期限りとし、来期からそれぞれ隣に建てられた新スタジアムでシーズンを迎えることになる。
今日はシーズンの最後の日。ヤンキースはアウェイのボストンでの最終戦だった為、先週の日曜が最後のヤンキースタジアムでのホームゲーム、メッツはプレイオフ進出がかかった最終戦となった為、今日がスタジアム最後の試合かどうかわからないまま試合が始まった。(以下、記事内容一部「週刊NY」より抜粋)

ヤンキースタジアム
ヤンキースは、13年連続でプレイオフ進出をしていたが、今年は東地区3位でプレイオフには進めず屈辱のシーズンで現スタジアム85年の歴史に幕を閉じてしまったが、最後の試合は勝ち、それはそれは盛り上がっていた。やはり人気チームは別格と言うところか。
最後にマウンドの土を各選手たちが持ち帰っていたのは印象的だった。
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現在のヤンキースタジアム。
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1923年に開場し、シカゴのリグリーフィールド、ボストンのフェンウェイパークに続き現在歴代3番目に古く、当時のアメリカで初めて客席が3段の構造になった球場。現在は外野手のウオーニングトラックとなっている場所に、当時は土の徒競走用トラックがあったことから、アメリカで初めて「スタジアム」と呼ばれる球場になった。
1973年に改装され、1976年にリオープンし現在に至る。
かつては野球のみならず、ボクシングのタイトルマッチや、1958年にはNFLの優勝決定戦も行われた。
1923 年以来83回ワールドシリーズが開催され、ヤンキースは37回出場、26回優勝。
現在のヤンキースタジアムは、来年3月から再来年にかけて徐々に規模縮小をしていくとか。来年3月~5月にはアスベストを含んだ屋根や床タイルを撤去して行くが、色々な部分、特に57000もの座席シートなどはコレクターに転売されるとか。

来期から使用される新スタジアム。
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2006年、ベーブ・ルースの命日である8月16日に建設工事が着工。51000席の球場となり、今のスタジアムのように客席が重なるわけではなく外側に広がるようにデザインされ、1階席が3万席、上階が2万席となり、デザインとしては1973年の改装前が再現されているとのこと。


メッツシェイスタジアム
メッツは、最後の最後までプレイオフ進出の可能性があり、シーズン最終試合である今日、9月28日(日)の試合をホームゲーム最後の試合となるか未だ続くかが決定するという劇的な日となった。
ナショナルリーグの東地区1位争いをしていたフィラデルフィアフィリーズが、昨日地区優勝を決めた。東地区、中地区、西地区の2位のうち一番戦績の良い2位のチームの1チームがプレイオフに進出できるのだが、中地区のミルウオーキーブリューワーズとメッツは昨日の時点で89勝72敗で全く並び、メッツは今日はフロリダマーリンズ、ブリューワーズはカブスと対戦。もしメッツが勝って、ブリューワーズが負ければ、そのままメッツがプレイオフ進出決定。もしメッツが勝って、ブリューワーズも勝てば、明日シェイスタジアムでプレイオフ進出の椅子をかけてたった一試合だけ直接対決が行われるという試合だった。
誰がどう画策したわけでもないのだろうが、不思議にもこのような劇的なシーズン最終日となり、昨日のマニュエル監督は記者団からの質問に、このスケジュールについて苦笑いをしていた。

昨年9月30日に、メッツは今日対戦したフロリダマーリンズに1対8で負け、162試合目で東地区2位が確定しプレイオフ進出を逃したが、残り17試合を残した時点で2位に7ゲーム差をつけていたチームが逆転優勝を喫してしまうと言うのは、メジャーリーグの長い歴史においても初めてのことだっただけに、今年はそのような事が起こらないようにとファンは願っていたが、結局ブリューワーズはカブスに勝利、メッツはマリーンズに2対4で負け、メッツのシーズンは終了。今日でシェイスタジアムは最後となった。

いずれも、左が現シェイスタジアム、右が新しいシティフィールド。
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2005年に観戦に行った時には、外野席のスタンド部分がないつくりなので、空や空き地が見えたが、現在は隣のシティフィールドが見える。
新スタジアムからでも、近隣にあるラ・ガーディア空港から飛び立つ飛行機を見上げるのはほぼ同じかも知れないが。画像左は2005年時、右は2008年。
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ホームランが出る度に登場したビッグアップルもその背景が変わった。左は2005年、右は2008年。
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シェイスタジアムを建てたのは1930年~60年代にNYの都市計画者だったロバート・モーゼス氏による。国連総本部、リンカーン・センター、NY近辺の高速道路・橋・トンネルなどを開発した人でもある。
シェイスタジアムの正式名称はウイリアム・A・シェイ・ミュニシパル・スタジアム。1964年に開場する際、フラッシング・メドウズ・スタジアムという名前になるはずだったが、ナリーグチームのNY誘致に貢献したウイリアム・A・シェイ弁護士の名を取ることに。3番目に古いヤンキースタジアムに次いで4番目に古い。当時は初めてエスカレーターが導入され、フットボールと併用球場で、1964年~1983年までNFLのNYジェッツがプレイした。メッツはこの球場で1969年と1986年に優勝。
オープン以来7300万人の観客動員となり、1979年にローマ法王ヨハネ・パウロ2世が来たり、1965年にはザ・ビートルズのコンサートが開催されるなど。記憶に新しいところでは、今年の夏にはビリー・ジョエルがコンサートをしていた。

新スタジアムとなるシティフィールドは、その都市計画者であったロバート・モーゼス氏が当初ブルックリン・ドジャーズをフラッシングに移転させるべく提案したこともあり、ブルックリン・ドジャーズの本拠地のエベッツ・フィールドの外観を継承しているとか。
シティフィールドは、45000人(立ち見4000人を含む)の球場で、建築コストは6億1000万ドル。球団負担は4億2000万ドル。メッツはシティフィールドと40年間のリース契約を交わしているので、2049年まで使用する。
「シティ・フィールド」と名付けた命名権は20年間4億ドルで契約したシティ・バンクによるもので、球場命名権契約では史上最高額で、NY市内の4大スポーツ球場で初めてスポンサー名が付いた球場となる。


ポストシーズンのプレイオフやワールドシリーズがこれから始まるが、今期はNYヤンキースもNYメッツもそれに絡むことがないのは寂しい限り。


後記 09年1月
両チームのボックス席は、NY市当局の上級管理職に与えられる特典とされていたが、NY州と連邦政府が昨秋に、2006年に両チームと高級官僚の間で交わされた取引を捜査し、1月6日にブルンバーグ市長が市当局の保持する両チームのボックス席を手放して入札者に売却することを発表。
新ヤンキースタジアムのボックス席は60万ドル~85万ドル、メッツの新シティ・フィールドは27万5000ドル~50万ドルとのこと。