12日(日)お昼前にミッドタウンを東西に移動しようとして、徒歩だと25~30分程度かかるので車にしたところ、日曜は空いているはずが大渋滞で40分もかかってしまった。
5番街(南行一方通行)も6番街(北行一方通行)も42丁目以北を全て封鎖していて、お陰で他の道に車が集中してしまっていたのだが、6番街はストリートマーケットによる封鎖、5番街は12時からパレードが行われての封鎖だった。
13日(月)はコロンバスデーでパレードがあることは知っていたが、その前日にもまさかパレードがあるとは知らなかった。
コロンバスデーとは、1492年10月にイタリア人のクリストファー・コロンブスが新大陸を発見したことにより祝われているもので、、NY市では、コロンバスデーに因んで3つのパレードが行われることとなっており、ひとつはブロンクスで12日(日)、2つ目は12日(日)私が偶然出くわしたマンハッタン5番街でヒスパニックコロンバスデーとして、3つ目は13日(月)に最大規模のコロンバスデーパレードが同じく5番街で行われるとのこと。
因みに、その名もコロンバスサークルという場所がセントラルパークの西南入口前にあり、その中央の高い位置にコロンブスの像が立っている。
10月12日(日) ヒスパニックコロンバスデーパレード
コロンブスはイタリア人だが、彼の航海の後ろだてとなったのはスペイン。先頭にはスペインの民族衣装を着た人達が登場。
スペインの影響により中南米がヒスパニック圏になったことに因んでいるパレードのようで、中南米の色々な国のフロート(山車)が出ていた。左はエクアドル、右はサルバドルの山車。
通常のパレードでは、国や地域などひとつの為、街頭で売っている国旗もひとつとなるが、この日ばかりは色々な国旗が一度に売られていた。
10月13日(月)
この日はイタリア一色。イタリア本国以外で行われるイタリアの歴史に因んだパレードは世界一とか。
5番街は3万5千人が見物に出たというが、祭日と言われつつもコロンバスデーは普通に営業している企業や商店も多く、それほどの人ゴミという印象はなかった。
プエルトリカンデーパレードの時は、暴徒が発生するなど逮捕者が何十名も出る為、厳戒体制となるが、この日は5番街で警備する警官も沿道の人と話したり、パレードを見ながら、笑顔でのんびりムード。
市長のマイケル・ブルンバーグ氏もイタリアの小旗を持ちつつ参加していたが、現在議会で決まっている2期制を経済危機の今だからということで自分の在任時に限り3期に延長したいと発表し、議会も市民も意見がまっぷたつに分かれている。そんな「時の人」の為、彼の周りには普段以上にマスコミが多かった。
イタリアのバイクと言えば、「ローマの休日」にも登場したヴェスパ。
参加している人達も、ピザの帽子を被っていたり(文字どおりピザハット?)。
「Free Shake(シェイク無料)」と書いて歩いているのはサーカス団の人だが、子供が頂戴と言おうものなら、いきなりおばさんは身体を大きく左右に揺すり「Free Shake! シェイク=揺する の無料!」と言って沿道を笑わせていた。
グランドセントラルステーションでは
この日に因んで、グランドセントラルステーションのメインコンコースでは車のマセラティやヴェスパが展示され、ヴァンダービルトホールでは、1900年初頭にシチリア沖で地震と津波が起き、15万人が犠牲となった際に、アメリカの海軍が救出に向かった事などイタリアとの歴史は古いという展示がされていた。
イタリア人コミュニティしかり、ジューイッシュコミュニティしかり、それぞれ相容れない部分も多いことから、オフブロードウェイで「My Mother's Italian, My Father's Jewish and I'm in Therapy」というお芝居が流行っているぐらいだが、ヘシディックジューイッシュのおじさんが、一生懸命この展示を見入っていたのが印象的だった。
そしてこの数日間はイタリアの国旗の色。
クリストファー・コロンブス
1451年頃生まれ~1506年、イタリア・ジェノヴァ出身。
1492年10月12日バハマ諸島グアナハニ島に到達、10月28日キューバ島着。
一般的にコロンブスの功績はアメリカ大陸を“発見した”と語られることが多いが、ネイティブ・アメリカンやインディオなどのモンゴロイド系先住民族が一万年以上前から居住し独自の文明を築いていたことを考えると、発見という言葉自体がヨーロッパ中心で世界を見る視点からの発言である。ただし、コロンブスのアメリカ大陸到着以前はユーラシア大陸とアメリカ大陸の住人や国家、文明の間には相互の文化や経済、政治などに影響を与え合うほどの交流がほとんど無かった(ヴァイキングが到達し、北米大陸をヴィンランドと呼んでいたが、交流は極めて限定的であった)ことから、世界の一体化を促進したとする評価もできる。
アメリカ大陸を「発見」したのが1492年といわれるが、実際に大陸に到達したのは1502年であり、しかも本人は最後までアジアだと思っていた。そう考えれば、あたかも1492年にコロンブスが新大陸を発見したようにいわれることもおかしいといえる。
日本語では「クリストファー・コロンブス」の表記が定着しているが、他国では通用しないことが多い。イタリア語名はクリストーフォロ・コロンボ (Cristoforo Colombo) 、スペイン語(カスティーリャ語)名はクリストバル・コロン (Cristóbal Colón)、ラテン語ではクリストフォルス・コルンブス (Christophorus Columbus)、英語での発音はクリストファー・コランバス (Christopher Columbus) である。
後記 週刊NY生活より抜粋
コロンブスのラテン語訳であるコロンビアは、1775年に合衆国に使われた名称で、コロンビアという名の市町村が少なくとも39箇所もある。
最初のコロンバスデイの1792年10月12日の100年後に2度目のお祭りが開催され、コロンバスサークルが造られ、コロンブス像が建立された。
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