午前中に、ブエノスアイレス市内の案内を依頼。すでに前日にレコレータ地区の聖母ピラール聖堂とレコレータ墓地は見学したので割愛してもらった。
5月広場周辺
1810年5月の独立時に人々がこの広場に集まっていたことを記念して「5月広場」と呼ばれる。
1976~1983年の軍事政権下では約3万人のジャーナリストや知識人が「蒸発」した忌わしい時期があり、今でも政治抗議活動やイベントとなると必ずこの5月広場がその舞台となるそうで、その時のための封鎖用の大きな柵が置いてあった。
大聖堂カテドラル・メトロポリターナ
教会内部には、ホセ・デ・サン・マルティン将軍の棺が安置されており、常時兵隊さん二人がそれを警護しているのが珍しいかと。
大統領府カサ・ロサーダ
5月広場の南に面しているピンク色の建物で、1873~1894年に建てられた当初は、牛の血の色とレンガが使用されてピンク色だったとのこと。
5月広場に面して綺麗な建物が見られるが、19世紀当時として古い植民地時代のスペイン風建物を壊して新しいフランス様式の建物に変えて行った。画像右のカビルドはその植民地時代のアイコン的建物だったので、もともと両側に長い建物だったが両脇の道をつけるために建物がカットされたとか。
ボカ・ジュニアーズ・スタジアム
アルゼンチンと言えばサッカー。マラドーナが所属したボカ・ジュニアーズのスタジアムは丁度リーグが終わったところで、中を見学できた。
現在、46チームがリーグに所属しているそうだが、ボカジュニアはもともと1905年にイタリア系移民の若者たちで形成され、希望したチームカラーはすでに他のチームが使っていたので、そのチームとの試合に勝てばその色を使えるようになることと決めた。あいにく試合に負けてしまったので、仕方なくその日の港に入って来た最初の外国船の旗の色にすることにしたところ、スウェーデン船が入港して来たのでシンボルカラーはスウェーデンの国旗の色である青と黄色になったとか。
観戦チケット代は10~100ペソ(約320円~3200円)。古い建物で、55000人収容と言うが実際には5万人程度しか収容できず、拡張したくとも、周囲にはびっちりと家々が建ち並んでいる為に拡張工事が出来ない。そのため、小さなスタジアムにぎゅっと押し込められていることからチョコレートの箱を意味するボンボネーラと言われている。
カミニート
最初に移民が到着したのがカミニートのある港のボカ地区で、貧しい移民達はとりあえずその場にあった廃材やトタンなどで家を建て、それに着色した為、今でもそのなごりの建物が残る。
現在は観光名所のひとつになっているので、タンゴダンサーの格好をした女性が観光客の男性に帽子と上着を貸してポーズをして写真を撮らせてあげる商売などをしていた(画像左)。路面電車は1920年にはすでに廃線となっていて今は線路が残るのみ(画像右)。
プエルトマデーロ地区
ボカ地区の港の後に1905年に新しく造られた港だったが、それでも狭すぎると現在はこの場所より3キロ北を港とし、プエルトマデーロはおしゃれなウオーターフロント地区として高級アパートやレストランが建ち並ぶ。わずか数ブロックのためだけに最新鋭の路面電車まである。
この一角のアパートで、1スクウェアフィート(=0.09平米)が約4500米ドル。
ブエノスアイレス出身の友人お勧めのお店でランチを。このお店の本店を友人は勧めてくれたが、あいにく少し遠いこともあり、プエルトマデーロの支店へ。
HAPPENING Alicia Moreau de Justo 310
運河脇の遊歩道沿いのテラスで、シラーやマルベックのグラスワイン(各8~12ペソ=260円~400円)と共に、ワインソースがけのステーキ(52ペソ=約1700円)と、牛肉モツのグリル盛り合わせ(43ペソ=約1400円)を。前日食べたトマトが非常に美味しかったので、今回もトマトとほうれん草のサラダと共に。
前日のレストランもそうだったが、ワインが非常に美味しく、胸腺、肝臓、胃などのモツの盛り合わせも、普段あまりモツ系は得意ではないのだが、カリッとグリルしてあり塩味だけで十分美味しかった。
1810年5月の独立時に人々がこの広場に集まっていたことを記念して「5月広場」と呼ばれる。
1976~1983年の軍事政権下では約3万人のジャーナリストや知識人が「蒸発」した忌わしい時期があり、今でも政治抗議活動やイベントとなると必ずこの5月広場がその舞台となるそうで、その時のための封鎖用の大きな柵が置いてあった。
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大聖堂カテドラル・メトロポリターナ
教会内部には、ホセ・デ・サン・マルティン将軍の棺が安置されており、常時兵隊さん二人がそれを警護しているのが珍しいかと。
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大統領府カサ・ロサーダ
5月広場の南に面しているピンク色の建物で、1873~1894年に建てられた当初は、牛の血の色とレンガが使用されてピンク色だったとのこと。
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5月広場に面して綺麗な建物が見られるが、19世紀当時として古い植民地時代のスペイン風建物を壊して新しいフランス様式の建物に変えて行った。画像右のカビルドはその植民地時代のアイコン的建物だったので、もともと両側に長い建物だったが両脇の道をつけるために建物がカットされたとか。
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ボカ・ジュニアーズ・スタジアム
アルゼンチンと言えばサッカー。マラドーナが所属したボカ・ジュニアーズのスタジアムは丁度リーグが終わったところで、中を見学できた。
現在、46チームがリーグに所属しているそうだが、ボカジュニアはもともと1905年にイタリア系移民の若者たちで形成され、希望したチームカラーはすでに他のチームが使っていたので、そのチームとの試合に勝てばその色を使えるようになることと決めた。あいにく試合に負けてしまったので、仕方なくその日の港に入って来た最初の外国船の旗の色にすることにしたところ、スウェーデン船が入港して来たのでシンボルカラーはスウェーデンの国旗の色である青と黄色になったとか。
観戦チケット代は10~100ペソ(約320円~3200円)。古い建物で、55000人収容と言うが実際には5万人程度しか収容できず、拡張したくとも、周囲にはびっちりと家々が建ち並んでいる為に拡張工事が出来ない。そのため、小さなスタジアムにぎゅっと押し込められていることからチョコレートの箱を意味するボンボネーラと言われている。
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カミニート
最初に移民が到着したのがカミニートのある港のボカ地区で、貧しい移民達はとりあえずその場にあった廃材やトタンなどで家を建て、それに着色した為、今でもそのなごりの建物が残る。
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現在は観光名所のひとつになっているので、タンゴダンサーの格好をした女性が観光客の男性に帽子と上着を貸してポーズをして写真を撮らせてあげる商売などをしていた(画像左)。路面電車は1920年にはすでに廃線となっていて今は線路が残るのみ(画像右)。
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プエルトマデーロ地区
ボカ地区の港の後に1905年に新しく造られた港だったが、それでも狭すぎると現在はこの場所より3キロ北を港とし、プエルトマデーロはおしゃれなウオーターフロント地区として高級アパートやレストランが建ち並ぶ。わずか数ブロックのためだけに最新鋭の路面電車まである。
この一角のアパートで、1スクウェアフィート(=0.09平米)が約4500米ドル。
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ブエノスアイレス出身の友人お勧めのお店でランチを。このお店の本店を友人は勧めてくれたが、あいにく少し遠いこともあり、プエルトマデーロの支店へ。
HAPPENING Alicia Moreau de Justo 310
運河脇の遊歩道沿いのテラスで、シラーやマルベックのグラスワイン(各8~12ペソ=260円~400円)と共に、ワインソースがけのステーキ(52ペソ=約1700円)と、牛肉モツのグリル盛り合わせ(43ペソ=約1400円)を。前日食べたトマトが非常に美味しかったので、今回もトマトとほうれん草のサラダと共に。
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