週末のブランチを食べに行った。
エッグベネディクトのクラシカル14.5ドル、エッグココット16.5ドル、クロックムッシュー14.5ドル(?)をコーヒーと共に。
エッグベネディクトは定番(画像左)、ココットにはホウレンソウとキノコがたっぷり入って上にグリュイエールチーズがとけて美味しいが、非常にポーションが小さい(画像右)。
クロックムッシューはしっかりチーズが塗られていて美味しかった。
croque-monsieur フランスを発祥の地とするトーストの一種である。カフェやバーで軽食のメニューとして提供される。
パンにハムとチーズ(グリュイエールチーズやエメンタールチーズなどが望ましい)をはさみ、バターを塗ったフライパンで軽く焼いて、モルネーソースやベシャメルソースを塗って温かいうちに食べる。ゆで卵や野菜をはさむ場合もある。上面に目玉焼きを盛り付けたものはクロックマダム (croque-madame) と呼ばれる。 名前は「かりっとした紳士」という意味で、由来は定かではないが、1910年にはパリのカフェのメニューに掲載されていた。。
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クロックムッシューはしっかりチーズが塗られていて美味しかった。
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クロックムッシュー&クロックマダムとは
wikipedia よりcroque-monsieur フランスを発祥の地とするトーストの一種である。カフェやバーで軽食のメニューとして提供される。
パンにハムとチーズ(グリュイエールチーズやエメンタールチーズなどが望ましい)をはさみ、バターを塗ったフライパンで軽く焼いて、モルネーソースやベシャメルソースを塗って温かいうちに食べる。ゆで卵や野菜をはさむ場合もある。上面に目玉焼きを盛り付けたものはクロックマダム (croque-madame) と呼ばれる。 名前は「かりっとした紳士」という意味で、由来は定かではないが、1910年にはパリのカフェのメニューに掲載されていた。。
エッグベネディクトとは
wikipedia より抜粋エッグベネディクトの発祥には諸説ある。
『ザ・ニューヨーカー』のコラム『Talk of the Town(街の話題)』での、ウォールストリート株式仲買人レミュエル・ベネディクトへの亡くなる前年1942年のインタビューによると、1894年にウォルドルフホテルを訪れ、二日酔いを直すために『バターを塗ったトースト、ポーチドエッグ、カリカリに焼いたベーコンと一口分のオランデーズ』を注文した。「ウォルドル フのオスカー」として知られる支配人のオスカー・チルキー (Oscar Tschirky) がこの料理に感銘し、ベーコンとトーストをハムとイングリッシュ・マフィンに替えて、朝食とランチのメニューに採用した。
クレイグ・クレイボーン (Craig Claiborne) は、1967年9月の『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』のコラムでフランスに移住したアメリカ人、エドワード・P・モンゴメリーからの手紙を紹介した。モンゴメリーは、この料理は1920年に86歳で亡くなった銀行家でヨット乗りのコモドール・E・C・ベネディクトが作ったと述べた。モンゴメリーはまた、コモドールの友人である伯父から母が受け取ったとするエッグベネディクトのレシピを一緒に送った。
1967年11月にマサチューセッツ州ヴェニヤード・ヘブンのメーベル・C・バトラーは、モンゴメリーの主張に対し、『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』で「ル・グラン・ベネディクト夫人にまつわる周知の真実」として彼女が考案者であると述べた。
ベネディクト夫妻は、1900年頃ニューヨークに住んでいたとき、毎週土曜日デルモニコスで食事していた。ある日ベネディクト夫人は支配人に「何か新しくて変わった料理はないの?」とたずねた。支配人がこれに応じて彼女の好みを尋ねると、焼いたイングリッシュ・マフィンとハムの上にポーチドエッグを乗せ、オランデーズソースとトリュフを添えることを提案した。
最も有力なこの料理の発祥はエリザベス・デイビッド (Elizabeth David) の『French Provincial Cooking(フランス地方料理)』で述べたフランスの伝統料理、ウ・ベネディクタン(œufs bénédictine )である。これはブランダード(戻した干しダラとジャガイモのピュレ)を焼いたパンに塗ったもので、次にポーチドエッグを乗せオランデーズを塗る。この料理がどのようにしてアメリカに渡ったかは未だに不明であるが、人気となった。タラと卵の組合わせは四旬節または肉を使用しない料理であること、干しダラは最も豊富だったルネサンスの時代にあったことを暗示する。
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