平安時代にはすでに郡上郡長滝神社の文化が白川郷に入り、鎌倉時代には親鸞の弟子が布教活動を行っていたこの地。
明治初年まで荘川(しょうかわ)町大字海上(現在はダム水没地区)より庄川(しょうがわ)上流を上白川郷、それより下流を下白川郷と呼んでいた。
白川郷の「荻町」と、五箇山の「相倉」、「菅沼」の3つの集落に合掌造りの家々があり、その3か所が世界遺産に登録されている。
荻町には現在114軒あり、1460年荻町城主の山下氏勝の入郷によって発展したと伝えられており、白川郷というとこの白川村を指すことが多い。
下白川郷 ひだ白川郷
ユネスコの世界文化遺産にもなった
白川郷 へ。渋滞がなかったので行きは名古屋から2時間ちょっとで行くことが出来た。まずは萩町城跡から全体を眺める。
豪雪地帯の為、合掌の家々は南北に向き、両側の屋根に乗った雪を朝日と夕日で均等に溶かすようにしてあり、南北からの風通しを良くする為に家は重ならないように作られている。
何軒か内部を見学できるので、最上階にまで上がれる
神田家 へ。
最大の和田家の二男が分家として建てたもので、江戸時代に石川県の宮大工が10年かけて建造した。合掌造り民家では主に養蚕をしていたが、神田家では火薬の原料となる煙硝をも作っていた。
囲炉裏の火は絶えることなく、その煙が家をいぶすことでの害虫駆除と同時に蚕の育成を早めたが、火の用心も非常に重要なので、中二階の壁には囲炉裏が見えるように火見窓が設けてある(画像左)。
また、雪の重みで根本が曲がった根曲がりの木の方が上部なのでチョンナバリ(曲梁)に使用されている(画像右)。
強風や地震などにも耐えうる合掌屋根を支える駒尻と言われる柱の先は玩具の駒のように先が削ってある。25メートルもの杉の筋かいが斜めになっていて、屋根の上部で交差するしくみ。
釘は錆びが来るので一切使われておらず、マンサクの枝を縄や留め具とし、その縄のずり落ちを留める為に竹のくさびが打たれている。
中二階、二階、三階、そして屋根裏の四階部分にも上がれ、そこからの景色はまた格別。
連休ということもあり観光客が多かったが、それでものんびりした雰囲気を味わうことが出来た。
火災に弱い建物なので、水があちこちに巡っている(画像左)。名古屋よりも少し涼しく、各戸の庭先には色々な花々が咲いていて綺麗だった。
明善寺(画像左) と、白川八幡宮に併設されている
どぶろく祭りの館 へ。
10月に行われるどぶろく祭りなどについて展示されているが、どぶろくは特区以外では販売出来ない為、ここで飲ませてもらえるどぶろくは貴重。やや酸味があり美味しい。年によってアルコール度数(15~20度程度)、酸味、色も異なるとのこと。
下白川郷には、牧・大牧の町名が残っているが、同族を表す古い言葉に似ており、本家・分家よりもごく近い血族関係者の一団をさすのだとか。
そして上白川郷の荘川へ行った。蕎麦街道としても有名な荘川は、どぶろく特区に5年前に認定されたので、お蕎麦とどぶろくを求めて。
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その2へ。
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