手筒花火を未だ実際に観たことがなかったので、豊川市で行われる花火大会に行ってみた。
大筒を乗せた5つの櫓の入場などから始まり、各連区ごとや合同での手筒花火約600本と共に、スターマインや中国煙火の打ち上げ約2000発や仕掛煙火が交互に行われる3時間で、手筒花火を堪能することが出来た。
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手筒花火の最後には、「はね」と言われる大音量の爆発によって終わるのだが、その際には筒の下からも凄い勢いの噴煙が上がり、持っている人の身体ものけぞるぐらいの迫力。
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手筒には大小あり、小さい方は片手で持っていたが、大きい方は片足の膝のあたりを使って支えるようにしてあげていた。放揚した手筒は厄除けや家内安全を祈願して1000円で販売され、玄関に置くなどするとのこと。
最後には、5つ大筒の乗った櫓が集まり点火される。
手筒花火とは:
wikipedia より
1メートルほどの竹筒に火薬を詰め、それを人が抱えながら行う花火である。手筒花火は、打ち上げ式ではなく吹き上げ式の花火で、その火柱は大きいものだと10数メートルにもなる。 愛知県の三河地方、静岡県の遠州地方で特に盛んである。
日本で花火が製造されるようになったのは16世紀の、鉄砲伝来以降である。
『宮中秘策』(1741年)によれば、1613年に徳川家康が江戸城内で花火を見物したというのが、花火という語で確実に花火が使われたと分かる最も古い記録である。この花火の1種が、手筒花火である。
徳川の砲術隊が、三河岡崎にこの技術を持ち帰り、三河・遠州で、花火(手筒花火)が盛んになったという。
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最後には、5つ大筒の乗った櫓が集まり点火される。
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手筒花火とは:
wikipedia より
1メートルほどの竹筒に火薬を詰め、それを人が抱えながら行う花火である。手筒花火は、打ち上げ式ではなく吹き上げ式の花火で、その火柱は大きいものだと10数メートルにもなる。 愛知県の三河地方、静岡県の遠州地方で特に盛んである。
日本で花火が製造されるようになったのは16世紀の、鉄砲伝来以降である。
『宮中秘策』(1741年)によれば、1613年に徳川家康が江戸城内で花火を見物したというのが、花火という語で確実に花火が使われたと分かる最も古い記録である。この花火の1種が、手筒花火である。
徳川の砲術隊が、三河岡崎にこの技術を持ち帰り、三河・遠州で、花火(手筒花火)が盛んになったという。
始まる前には、せっかく豊川まで行ったので、日本3大稲荷のひとつで1441年創建の豊川稲荷に行った。稲荷とは言うが、曹洞宗の寺院とのこと。(本殿は1930年築)
奥の院には、霊狐塚と言われる所に、多くの像が奉納されていた。
豊川稲荷の参道は、一体何軒の鰻屋さんがあるのかわからないぐらい。そこでひつまぶしや、稲荷に因んだ鰻いなり寿司・きしめん・味噌田楽のセットなどを。その画像は こちら
奥の院には、霊狐塚と言われる所に、多くの像が奉納されていた。
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豊川稲荷の参道は、一体何軒の鰻屋さんがあるのかわからないぐらい。そこでひつまぶしや、稲荷に因んだ鰻いなり寿司・きしめん・味噌田楽のセットなどを。その画像は こちら
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