南木曽(なぎそ)の馬籠(まごめ)宿と妻籠(つまご)宿に行った。
車道とは別に、旧中山道は、現在は石畳も整備されて自然歩道となっているが、馬籠宿に行くまでの南に位置する落合宿界隈には、昔ながらの石畳が3か所そのまま残っていた。
馬籠宿 は中山道69次の43番目の宿場で、現在は岐阜県中津川市だが、かつては長野県木曽郡山口村で、2005年2月に越県合併により岐阜県となったのだとか。木曽にある11宿のうちの一番南に位置し、明治28年と大正4年の火災で焼失したが、現在は復元されている。
馬籠宿には、明治5年(1872年)にここで生まれた島崎藤村の
藤村記念館 がある。実家は、本陣や庄屋、問屋をつとめる地方名家。
もともとは詩人、そして散文に移行し、明治39年「破戒」を出版、大正2年に渡仏し第一次世界大戦により帰国、昭和4年から10年まで「夜明け前」を連載、昭和18年(1943年)「東宝の門」執筆中に倒れ逝去した。
彼の実家である馬籠本陣は明治28年の大火でほとんどが焼失してしまったが、祖父母の隠居所(左から2つ目の小さな三角屋根の建物)だけが残り、現在重要文化財となっている。彼の執筆した原稿や私物が公開され、半生をまとめたビデオ上映、大礒で倒れた時の自宅の部屋がそのまま移築されている。
馬籠は前述のように現在は岐阜県に位置するが、藤村の生まれた時代は長野県であり、藤村の出身県をどちらと表記するか定まっていないとか。
前日に訪れた
犬山 では未だ萩が咲き始めたところだったが、藤村記念館の庭では萩が満開。この日は名古屋や岐阜では34度だったが、馬篭では28度と涼しかった。
馬籠を後にし北上すると、馬籠峠を降りたあたりの旧中山道はとても雰囲気があった。
その先に
男滝と女滝 がある。左が男滝で右が女滝。滝周辺はとても涼しくて気持ちが良かった。
そして馬籠宿から車で20分程度の所にある
妻籠宿 へ。中山道42番目の宿場で、現在は長野県木曽郡南木曽町。馬籠宿よりも規模が大きい。1976年に国の重要伝統的建造物群保存地区の最初の選定地のひとつになったとのこと。
当時の一般庶民が雑魚寝をした宿があるかと思えば、大名などが泊まった本陣があり、対照的で面白かった。
妻籠宿本陣も島崎藤村の家系になり、内部を見学した。
とろろ十割蕎麦1200円と五平餅450円を。
十割だけあってぶつぶつ切れるぐらいのしっかりしたお蕎麦。五平餅と言うと割り箸にご飯を楕円につけた形状を想像したが、ここはお団子状だった。
馬籠宿と同様、栗きんとんなどの和菓子屋さんが多くあり、栗ソフトクリームを食べたが、しかしあまりに暑かったので(妻籠は馬籠よりも暑く34度)、写真を撮る前に食べてしまった。。。
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