鮑は5月~9月がシーズンであり、もうそろそろ終わるので、是非鮑を食べたいと行ってみた。
まずは鳥羽の
① 国崎(くざき) へ。
わずか450名程度の人が暮らす小さな小さな漁村だが、2000年以上の歴史を誇る漁村で、2000個の鮑を紐状にして乾燥させる熨斗鮑(のしあわび)が造られ伊勢神宮の催事に献上される。
その熨斗鮑を干す場所が伊勢神宮調達所にあった。(画像左)
国崎では現在、60名程度の海女さんがおられ、1年に30日以内、ただし、一日当たりは1時間20分と決められ、鮑の乱獲を防いでいる。一回の潜水は息の続く範囲なので約1分。妻が潜り、夫が舟を操る所謂ととかか海女は現在は8組おられるとのこと。トタンの小屋は、海女さん達が潜る前や潜った後に火をおこして温まる海女小屋。(画像右)
牡蠣で有名な的矢湾に行く途中には、蟹が道を横断する場所のようで「カニ優先道路」などと書かれた看板が。
的矢湾に行く手前にある
② 相差 にあるお店の「梵天」で活鮑などの昼食を。その様子は
こちら。
相差には日本で一番海女の数が多く、とても小さいが
相差海女文化資料館 がある。
画像右は
的矢湾。この時期には岩牡蠣はもうそろそろ終わりで、的矢湾の牡蠣には未だ早かったので、次回は是非ここの牡蠣をもとめて来たいかと。
③ 大王崎 へ。
知人がこの漁村の風景を描き個展をこの街で開催したかれこれ10年以上前に行って以来。
地上から灯火まで20メートル、水面上から灯火まで46メートルの大王埼灯台。
灯台を始めとする風景は絵になることから「絵かきの町・大王」として、画家が描いた絵の場所とその絵を紹介していたりもする。画像下段左は須場の浜、右は宝門の浜から。
大慈寺の石組は、1860年(蔓延元年)にノミを使って石を整形して造った石積みが美しい。
大王崎の波切(なきり)では、美味しそうな干物が漁港の傍らで並べられていた。
④ 浜島 へ。
宿で温泉や部屋の窓から熊野灘に沈む夕日を堪能。
お待ちかねの夕飯。伊勢海老と言っても伊勢や鳥羽で獲れるのではなく、実際には志摩町や浜島町で獲れる。しかし5~9月までは禁漁期間なので、今回食べたものは制限区域の外にいる海老とのこと。
伊勢海老のお造りは、昨年南アフリカはケープタウンで食べて以来。(その様子は
こちら)
海女小屋で、海女達が獲って来た鮑や伊勢海老を囲炉裏で焼いて食べていたことに因み、炭の上で鮑、伊勢海老、サザエ、あっぱ貝(=ひおうぎ貝、姫貝 画像下段右)を焼く残酷焼きを。鮑が非常に美味。お昼に食べた鮑のお造りも美味しく焼いた物と甲乙つけがたいが、私個人としては、本体はお造り、肝は焼いた方が好きかも。
翌日は、上記地図の⑤~⑩へ風景のみならず食を求めて。
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