朝食には、大きなチーズをカットしてくれた。結構しっかり香り?におい?風味?がした。お粥をお願いしたところ、ハト麦などの雑穀だった。
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朝のトンサゾンは靄がたなびいてなかなか良い雰囲気。
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朝日を浴びた棚田もとても綺麗。トンサを後にして、一路西へ。
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ブータンは竹も多いので、国技のアーチェリーも竹製、農地のフェンスなども竹で編まれていたり、被る帽子なども竹細工だったり。道路脇では長い竹を女性が編んでいるところだった。
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途中で商店が数軒建ち並ぶ場所でしばし休憩。
赤いビニール袋に入っているのは赤米による所謂ぽん菓子。
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しかし、それにしてもブータンの子供達は良くお手伝いをする。ウォンディポダンでもせっせと水汲みをしている子供達や、道路補修を手伝っている子供達を見たが、この日は金曜だったので本来は学校があるはずだが、貧しい家は子供の労力も期待して学校に行かせない、あるいは学費が払えない場合もあるとのこと(学校制度については後述の予定)。この男の子は、以前の記事で紹介した大人がタバコ替わりに噛む檳榔(びんろう)の実を一生懸命剥いていた。右の画像の子供は、水力で動くマニ車の水を使って、何枚も洗濯をしていた。
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途中で綺麗な菜の花畑が。日本と同様、菜の花も食べ、油も採るが高級品とのこと。
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ウォンディポダンゾン

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3番目に古いゾン。
ブータン到着初日にウォンディポダンには来ていたが、その時は未だツェチュ祭の準備も行われていなかったので、日程を後回しにしてこの日に寄ることにした。
ツェチュ祭とは、パドマサンババ(グルリンポチェ)の偉業を讃える法要で、各お寺で年に一度ブータンの暦の10日に行われるもので、仏の教えを表現していると言われている。
実際にはウォンディポダンではこの翌日から3日間がツェチュ祭なのだが、我々の旅程では観ることが出来なかったが、本番さながらで観客も居る最後のリハーサル風景を観ることが出来た。本番は皆が仮面を被って踊るのだそうだが、この日は仮面なしなので顔の表情が良く分かる。3人だけすでに仮面をつけた人達が居たが、彼らはアツァラと言って、道化役。

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長い笛のドゥンチェンなどの重厚な音の中、踊られる。
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僧侶が踊ることが多いが、観た時のこのグループは僧侶ではなく、地元の人達。青い衣装の男性2人がいるが、そのうち両手にベルのような物を持った男性がこのグループのリーダー役となっているのだそう。
3日間色々なプログラムのダンスが披露されるのだが、僧侶や地元民が多数のグループに分かれ、グループごとに1つのプログラムを踊る。僧侶は全員修行の一貫として若い時期に踊り、本番でミスをするとそれは厳しく怒られるのだとか。
近年、ブータンの若い人達は、このツェチュ祭などに興味がなく、この日の観客も高齢者や子供が中心。若い人達にとってはイベントとしてデートに来るぐらいで、仏教はある程度学んでも、文化には興味がなく西洋文化に傾倒してしまっている、、、とガイドさんの嘆きの弁。(彼もわずか22歳だったのだが)

高齢者は、かつて自分も踊ったこともあって厳しく踊りをチェックしているのだそうだが、お弁当を各人持って一日中観ている。
ゾンの中は神聖な場所なので、我々も帽子は着用できず、ブータン人は民族衣装の上に男性は肩から白いカムニと言われる長い布を、女性はラチュという長い布を左肩にかけなければならない。
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一方子供はいささか退屈だったようで、珍しい外国人の我々に興味津津。写真を撮ってくれとせがんだ後のこのポーズには笑ってしまった。
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ゾンは前にも書いたが、宗教施設と地方の行政施設が併用された場所。入口にはそのうちの従事者の偉い人達の出欠ボードがあった。
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外では、ちょっとビックリの光景。僧侶は武器は持ってはならないので国技のアーチェリーもせずに石投げなどをして遊ぶと聞いていたが、この子供のお坊さん達はおもちゃのマシンガンで遊んでいた。
とても穏やかな平和な国なので、我々の感覚とは異なり、あくまでもひとつのおもちゃとしか捉えていないのかも知れない。
我々を見かけると、ニコニコと満面の笑みでポーズをとってくれたおばさん。
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近くでは、干し肉を作っていた。
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ゾンからプナツァン川(プナツァンチュ)の対岸の棚田が非常に綺麗だった。
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